詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

柴田千晶「差出人」

2019-07-09 21:09:42 | 詩(雑誌・同人誌)
柴田千晶「差出人」(「Down Beat」14、2019年07月07日発行)

 柴田千晶「差出人」を読み、恐怖に襲われた。詩は「事実」である必要はないし、柴田は「事実」を書いているのではないかもしれないが、ことばがこんなふうに動くところまで「社会」が変わってしまったのか、と驚いた。
 出したはずのない封書が「受取拒否」郵便として「わたし」に届く。それで「わたし」は「受取拒否」をしたひとのことを調べ始める。

霜村さんの住所をgoogleマップで調べてみる。茶畑の
真ん中に赤い気球が浮かんでいる。ストリートビューの小さ
な人をドラッグして、赤い気球が示す家の前に立ってみる。
特長のない二階建ての民家だ。玄関脇に紫と黄色のパンジー
を植えたプランターが二つ並んでいる。ここが霜村さんの家
だろうか。画面を拡大しても表札の文字はぼやけて見えない。
駐車場に止まった軽トラックのナンバープレートの数字なら
読める。
45-19……死後行く。

 「45-19……死後行く」が「事実」ではなく「虚構」だと告げているのだが、その「虚構」以前に書かれている「虚構」が不気味である。
 何といえばいいのか。
 「わたし」が「霜村さん」と名づけた「受取人」への興味のあり方が、怖い。「人」を理解するとき、何で理解するか。「ことば」で理解すると同時に、私は「文字」「声」でも理解する。「ことば」の「意味」(内容)と同時に、私の「肉体」が受け止める「感じ」から何かを理解する。それは、「私の肉体」が集めたものである。
 でも、この詩の「わたし」は、他人が集めてきたものを、そのまま「霜村さん」と結びつけている。これって、危険じゃない? 私は、どうも、そういうものを信じる気持ちになれないのである。

 で、これは、こんなことにもつながる。
 柴田の作品とは関係がないのだが、海外の思想家の思想(ことば)を取り込んで書かれた詩がある。その「ことば」は、私の「肉体感覚」で言うと、ちょうどgoogleが集めてきた「情報」のように見える。「他人の視点であつめられた情報」。
 私は、こういうものに接すると、落ち着かなくなる。
 「海外著名人の思想」の場合、その「情報」は、すでに確立されている。でも、個人の「思想」とはけっして確立されることのないものだと思う。常に揺らぐ。毎日点検し、これからどうしようかと思いめぐらす「家計簿」みたいなものだ。「確立された形式」にあわせようとしても、あわせられるはずがない。それが「暮らし」というものであり、「暮らし」から生まれてくる「事実」ことが「思想」だ。

 脱線したが。
 柴田が書いていることばにも、そういうものがある。
 「特長のない二階建ての民家だ。」
 他人が集めた「情報」だから、こういう表現になる。自分が集めると、絶対に「特長」がことばに出てしまう。「特長」づけないと、自分で見たことにはならないし、自分で見たものならどうしても「視線」がどこに動いたかが「ことば」として残る。
 後出しジャンケンのように「玄関脇に紫と黄色のパンジーを植えたプランターが二つ並んでいる」と追加されても、「他人の集めた情報」が自分で集めたものに変わってくれそうもない。






*

評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093


「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(51)

2019-07-09 09:41:25 | 嵯峨信之/動詞
* (空間のどこかが少し歪んでいる)

 抽象的に始まる詩の最後の二行。

部屋から出てきた片手のない男が
ベコニアの花に水をやつている

 「ベコニアの花」は「空間のどこかが少し歪んでいる」ことを知っているか。知らないだろう。知らないことがあるが、それでもベコニアの花は完全である。そして、その完全さは「水をやる」男によって、いっそう完全なものになる。
 この完全は「非情」かもしれない。「情け」を考慮しないという意味である。
 私たちの「情」は、こんな具合に、ときどききれいさっぱり洗い流される方がいい。絶対的な「美」に出合うために。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする