![]() | 子実体日記 だれのすみかでもない |
彦坂 美喜子 | |
思潮社 |
彦坂美喜子『子実体日記』(思潮社、2019年02月25日発行)
彦坂美喜子『子実体日記』の「あとがき」によれば、発表ずみの短歌作品に手を入れて再構成したもの、とある。
本人がそう書いているからそうなのかもしれないし、本人がそう書いているのだからそうではないのかもしれない。私は短歌にはあまり関心がないので、短歌が発表されていたという同人誌は読んだことがあるけれど、彦坂の短歌は記憶していない。
私がおもしろいと思ったのは、「変態をくりかえし」という作品。
太りゆく月みつめつつ痩せてゆく男の足は地中にのびて
(呆けていくって、せんないことやねぇ……
吸根をあなたの身体に刺し入れて枯れるまで一緒にいてあげる
(お礼いうてええのんかしら
上弦の三日月が呼ぶ抜け出して三日月の上に重なって果て
(いつからそんな数奇なことをおもいつかはったん
短歌の間に「独白」がはさまれている。対話しているのかもしれないが「呆けていく」男には音は聞こえても「意味」は聞こえないから独白になるしかない。
短歌を素材にしていると彦坂が書いているから思ってしまうのだが、この独白をこそ短歌にした方が刺戟的ではないだろうか。発表ずみの短歌を利用するのではなく、それを解体してしまって、解体した瞬間に生まれてくる「韻律」になりきれないものを力業で韻律にしてしまった方が強いものが出てくると思う。
こう感じるのは、短歌がそのまま引用されているのかどうかわからないが、たとえば一行目の
太りゆく月みつめつつ痩せてゆく男の足は地中にのびて
このリズムは、いまはやりの短歌とはずいぶん違う。「太りゆく」を「痩せてゆく」と言い換えるとき、そこにしのびこんでくる同じ音の繰り返し。これは万葉時代の長歌のうねりを思い起こさせる。「上弦の三日月」が「三日月」ともう一度言いなおされるときのリズムにも、それを感じる。
このうねり。肉体の中をくぐっていく「声」というか、「音」。そこには「意味」ではなくて、もっとほかの力が働いていると思う。整理される前のいのち。抽象化される前、意味になる前の「肉体」そのものの動き。
声、喉、音、耳で「ことば」を突き動かしている。
この衝動のようなものを、私は括弧に入った「独白」の、たとえば「せんないことやねぇ」にも感じる。関西弁と言っていいのかどうかわからないが、「共通語」とは違う「肉体」が動いている。「共通語化」されずに生きている「肉体」そのものの動きがある。
これを五七五七七に噴出させれば、きっと「現代の万葉」になると思う。
「ええのんかしら」「おもいつかはったん」というようなことばは、彦坂にとっては「日常」なのだろうが、その暮らしのもっている「肉体」の響きがいい。
「漢字」のもっている「抽象」と闘う力を感じる。
古今、新古今は、この視点から見ると、漢字の力で抽象することを覚えた人間の到達点にも思えるが、日本語の詩にとってのそれは衰弱の始まりだったかもしれない。
あ、これは自分で書いていながら、変な感想、変な思いつきだなあ。
一種「理路整然」としたあとがきの「方法論」(引用はしないが)を読むと、「方法」で整えてしまうと、美しくはなるかもしれないけれど、弱くなってしまわないかなあ、と不安を抱いてしまう。
このままならいいけれど(傑作だと思うけれど)、このままというのは、どういうときでもいちばんむずかしい。
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