詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

林嗣夫『洗面器』

2019-07-12 15:48:15 | 詩集
洗面器
林嗣夫
土曜美術社出版販売


林嗣夫『洗面器』(土曜美術社出版販売、2019年06月30日発行)

 林嗣夫『洗面器』は、いままでの林の詩とは違っている。私だけの勘違い(印象)かもしれないが、「林嗣夫」という名前がなかったら、別のひとの詩集と思ったかもしれない。もちろんいままでの林の詩を思い出させる作品もあるが、あ、林はこんな詩も書くのかと驚かされる作品がある。

 「菜の花」は菜の花を部屋に飾る詩である。飾ったあと、「火曜サスペンス劇場」の主題歌を聴く。すると、

出会った言葉はやがてすれ違い
欲望となり
土の中に埋められた白い女の手首となる

出会った愛はやがてからまり
早春の夜明けの橋を渡りきれずに
突き落とされた男の血よりも赤い血となる

 この「火曜サスペンス劇場」の「要約」の仕方に、私は驚いた。こういう「要約」が林のなかで動いているとは知らなかった。
 出会ったのは「男と女」ではなく「言葉」。「すれ違う」というのは、林の詩の作り方を思わせるが、その「言葉」が「欲望となり」「女の手首となる」が私の記憶に残っている林とは違う。「言葉」がことば以外のものに「なる」ところまでは同じなのだが、変化した先のものがいままでとは違う。
 「出会った言葉」は「愛」に「なる」。そして「からまる」。そして「突き落とされた男の血よりも赤い血」と「なる」。書かれていない「なる」と書かれている「なる」。そのなかに、いままで書かなかった林が動いている。

 「乾いた音」には詩と版画のコラボレーション展「愛ひととき」に寄せてという註釈がついている。版画に触発されて書いたものだろうか。

女は蛇のように脱皮するのだ

やさしく抱き 髪をなで
愛しい思いで見つめていると
おもむろに自分の皮膚を脱ぎはじめる
すこし疲れたからだでベッドに並んで横たわり
ほとんど意味もない言葉を交わしているとき

私とは反対側の手
(おそらく無意識に--)
女は脱ぎ捨てた自分の半透明の皮膚をもてあそぶ
そのセロファンのような
乾いた音を聴くのが好きだ

 「セロファンのような」という直喩が、直前の「半透明の皮膚」ではなく「乾いた音」へと飛躍していくときの超越性。詩の特権的暗喩。暗喩でしか聞き取れない「音」があり、林はそれをことばにしている。
 林は「耳の人」だったのか、と私は驚いたのだ。
 「ことばの人」だから、もちろん「耳の人」でもあったのだろうけれど、私はどちらかというと「論理の人」と思い込んでいたので、「肉耳」とでもいいたくなるような「絶対感」に驚いたのだ。

 「ペットボトル」は「耳の人」と「論理の人」をつなぐ作品といえるかも。庭に落ちていたペットボトルが「カコン カラコロ コロン コロ」と転がっていく様子を描いている。

空っぽ、をため込んで
ため込んで
その重さにうんざりしていたところを
思いがけなく
新しい風と光の中に解き放たれた
転がるごとに
空っぽ、を振りこぼし
空っぽ、をまき散らしていく
かるく跳ね 震え
そして止まって横になっても
ペットボトルはゆっくりと
呼吸をつづけた

 「空っぽ、を振りこぼし/空っぽ、をまき散らしていく」の「空っぽ」が「カコン カラコロ コロン コロ」よりももっと透明に、私の耳には聞こえる。
 「呼吸をつづけた」という「暗喩」は「論理的暗喩」である。

 記憶に刻まれている林の姿にいちばん近いのは「紙のことが」という作品。

わたしがいちばん好きな形は
髪飛行機
小さな思いを乗せて
少し前へ飛んでいく

〔追記〕昔、祖父母が紙の原料となる楮やミツマタを採
って暮らしを立てていた。肌寒い早春、山奥の作業小屋
でミツマタの大きな束を釜で蒸し、むしろを敷いた土間
に引き下ろす。湯気の立つ中で一本一本皮を剥ぐ。わた
しも、飛び散った黄金色の花の香りの中で、仕事のまね
ごとなどしながら遊んだものである。その頃の祖父母の
思いは、きっと、幼いわたしを少し前へ飛ばすこと。

 紙飛行機が「少し前へ飛んでいく」と「幼いわたしを少し前へ飛ばす」が重なり、胸が熱くなる「比喩」の世界が浮かび上がる。「論理」が「比喩」になる。「比喩」が「論理」になる。ことばと、そういう世界が結晶する「少し前」を飛んで行く。
 「追記」と林は書いているが、むしろ、前半が「前書き」と読める構造になっている。こういう「しかけ」も「論理の人」につながる。




*

評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093


「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パベウ・パブリコフスキ監督「COLD WARあの歌、2 つの心」(★★★)

2019-07-12 10:37:16 | 映画
パベウ・パブリコフスキ監督「COLD WARあの歌、2 つの心」(★★★)

監督 パベウ・パブリコフスキ 出演 ヨアンナ・クーリグ、トマシュ・コット

 恋愛の描き方は、会話の仕方に似ている。日本人(同士)の会話は、相手の反応を見ながら少しずつ進む。ときには話していることばを相手が引き継いで語り始める。ふたりの共同作業といえば共同作業だけれど。外国人の会話というのは、話し始めたら話は最後まで言ってしまう。言い終わってから、相手が話し始める。恋愛も「私はこんな風にあなたを愛している」「私はこう愛している」と語り終わってからセックスがはじまる。「ことば」ではなく「しぐさ」も含めてだけれど。
 で、こういう「恋愛」を見ると。私なんかは「恋愛」を見ている感じがしない。独立した「個人」と「個人」が、たまたま出合い、ひとつの時代を生きたという印象の方が強い。こんなに「個人」として「独立」したまま、自分の思いを語るだけで、それが「恋愛」なのか、という、なんというか「圧力(重さ)」のようなものを感じてしまう。「恋愛」というよりも「思想劇」だなあ。
 この映画の主人公(女性)はポーランドの「いなか舞踊団(歌劇団?)」の一員であり、やがて歌手として成功するが、やっぱりポーランドのいなか(?)へ帰っていく。そういうストーリーのなかで、私は、ふたつのセリフに驚いた。「個人」というものの「自覚」の強さにうならされた。
 ひとつは主人公自身のことばではない。公演でスターリンを讃える歌を歌わせる計画が持ち上がる。舞踊団の女性指導者は「いなかの人間は指導者を讃える歌なんか歌わない」と主張する。結局、押し切られて歌うことにはなるのだが、このときの「いなかの人間」の「定義」が私には非常に納得がいった。私もいなか育ちである。「偉い人」なんか関係ないと、いつも思う。自分の生活があるだけ。誰が偉かろうが、そのひとを讃えたくらいで苦しい生活は変わらない。そんな他人のことなんか知ったことではない、と思う。
 もうひとつは、男が女に亡命を持ちかける。しかし主人公はついていかない。再開したとき男は「どうして来なかったのか」と質問する。女は「自分に自信がなかった」と答える。「男の方が自分よりはるかに優れていて、対等ではない。だからついていくことができなかった」。これは「恋愛」よりも「個人」を重視した生きたかである。「恋愛」というのは自分がどうなってもかまわないと覚悟して相手についていくことだと私は思っていたが、この女はそうは考えていない。あくまで「自分」が存在し、「自分」をどう生きるかを考えて動いている。「恋愛」もその「一部」である。「自分の生き方」は自分で決める。「自分を自分に語る」。そのあとで相手と話す。そのときの「ことば」は完結している。
 こういう「まず自分がいる(自分を完結させる)」という生き方だから、二人は別れ、それぞれの恋人(夫や妻)との暮らしの一方、それとは別に昔からの「恋愛」も平行させて生きる。「恋愛」は出合っているふたりの間で動くものであって、それぞれの「背後」は関係がない。「背景」とは関係なく「個別の恋愛」として「完結」させることができる。「いなか」の、「土着のいのち」そのものの恋愛を見る思いがする。
 そうか、「中欧(東欧)」というのは、こういう文化なのか、とも。
 映画の最初の方に、「いなかの歌」を集めているシーンがある。テープを聞きながら、「まるで酔っぱらいががなりたたている」という感想を舞踊団を計画しているひとりがもらすが、その「酔っぱらいのがなりたて」の歌がとてもいい。歌は人に聞かせる前に、まず自分で歌うもの。その人が「完結」させるもの。つまり「聴衆」を必要としていない。その歌い方にも、会話や恋愛に通じるものを感じた。
 映画は、最後は、ふたりが「恋愛」を成就させるのだけれど、成就した恋愛よりも、そこへ至るまでの「自己主張(自己完結)」のぶつかり合いの方が、強くて、とてもいい。モノクロのスクリーンが、この映画に、独特の強さを与えているのもいい。
 (KBCシネマ、スクリーン2、2019年07月11日)
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(54)

2019-07-12 09:25:45 | 嵯峨信之/動詞
* (子供が聞いた)

--ゼロと一との間には
数がいくつあるか

 不思議な「祝祭」がある。
 この質問にであったとき、ひとは子供に帰る。こういう質問がありうることを、ひとははじめて知る。そして思い出すのだ。もしかすると「私は、この子供だったかもしれない」と。
 まるで「子供」と「私」の間には、「私」がいくつあるのか、と考えるように。

 「間」はひとつ。しかし「間」にある何かは、いくつかわからない。「ある」という動詞の不思議な「祝祭」。




*

評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076093


「詩はどこにあるか」2019年4-5月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168076118
(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)

オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする