詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(52)

2019-07-10 10:11:45 | 嵯峨信之/動詞
* (狂気にはきまつて方向がない)

狂気にはきまつて方向がない
小さな庭をよこぎる蝮でも何かに向つている

 私はこの詩を「空気は……」と読み違えていた。「空気には方向がない」、けれど「蝮は自分で方向を決めて動いている」。「方向がない」はすべての方向に開かれているということ。だからどんな生き物でも「方向」を作り出す(生み出す)ことができる、と。
 ということを書こうとして、引用し始めて、あっ「狂気」だと気づいた。

 うーん。

 「狂気」に「方向」はないのだろうか。むしろ「絶対的な方向」にとらわれ、その「方向」以外を選ぶことができない状態が「狂気」ではないのか。
 私の考えでは、「方向」をもたない「空気」が「正気」になる。
 「向かう」というのは、「いま/ここ」から違うところへ行くということだろう。「向かう」というのは「狂っていてもかまわないから、それを選ぶ」という覚悟のことである。「正気」を捨てるということである。

 嵯峨の書こうとしているのは、私の感想とは別のことだと思うが、私は私が「いま」思っていることを書く。ことばを、その方向へ向かわせる。動かしていく。


















*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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