* (ぼくはきみを知っている)
泣く。ひとは泣き叫びながら生まれる。しかし、これは肉体の反応である。「覚え」てから泣くのではない。だから「泣くこと覚える以前」というのは悲しみを覚える以前ということになる。うれしくて泣くということもあるから、喜びを覚える以前ということでもある。
悲しみや喜びによって、時に区切りができる。以前と以後がある。そして、人間はそれを「覚える」。
「覚える」は「知る」につながる。しかし必ずしもそれは一致しない。
人には知っていることと知らないことがある。覚えていることと覚えていないことがある。ふたりはいつ出会ったといえるのだろう。いつ出会うのだろう。いま出会っているのか。これから出会うのだろうか。きみはぼくを、いつ「覚える」のだろうか。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
〈泣くことを覚える以前のきみを〉
きみはぼくを知らぬという
泣く。ひとは泣き叫びながら生まれる。しかし、これは肉体の反応である。「覚え」てから泣くのではない。だから「泣くこと覚える以前」というのは悲しみを覚える以前ということになる。うれしくて泣くということもあるから、喜びを覚える以前ということでもある。
悲しみや喜びによって、時に区切りができる。以前と以後がある。そして、人間はそれを「覚える」。
「覚える」は「知る」につながる。しかし必ずしもそれは一致しない。
人には知っていることと知らないことがある。覚えていることと覚えていないことがある。ふたりはいつ出会ったといえるのだろう。いつ出会うのだろう。いま出会っているのか。これから出会うのだろうか。きみはぼくを、いつ「覚える」のだろうか。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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