* (美よ)
前後を省略した二行では「意味」がわからないかもしれない。しかし前後を引用してもわかりにくいだろう。「誤読」の要素が増えるだけかもしれない。
詩はもともとわからないことを自分勝手に解釈する瞬間、「誤読」する瞬間に生まれる。だれが、いつ読んでも同じ「答え(正解)」になってしまっては読む意味もない。
「しずけさこそ」「かがやかせるところ」。このつながりがわかりにくいのは「しずけさ」は「ところ」(場所)なのか、という疑問とつながる。「中間」ということばがあるから「場所(ところ)」という意識がうまれるのか。
「かがやかせる」ところではなく、「かがやかせた」ところと読むと、「ところ」は「場所」のときもあるが「時間」のときもある。……し終わった「ところ」という言い方がある。
「時空」も「時制」もいりまじっている。ゆらいでいる。嵯峨の意識のなかでは明確かもしれないが。
何もはっきりしないのだが、その「あいまい」のなかで、「しずけさ」と「かがやく」が重なり、それが「美」になる、と瞬間的に思う。「しずけさ」の「かがやき」が「美」なのではないのか、と。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
ひとつの中間に漂うしずけさこそ
おまえが裸身をかがやかせるところではないか
前後を省略した二行では「意味」がわからないかもしれない。しかし前後を引用してもわかりにくいだろう。「誤読」の要素が増えるだけかもしれない。
詩はもともとわからないことを自分勝手に解釈する瞬間、「誤読」する瞬間に生まれる。だれが、いつ読んでも同じ「答え(正解)」になってしまっては読む意味もない。
「しずけさこそ」「かがやかせるところ」。このつながりがわかりにくいのは「しずけさ」は「ところ」(場所)なのか、という疑問とつながる。「中間」ということばがあるから「場所(ところ)」という意識がうまれるのか。
「かがやかせる」ところではなく、「かがやかせた」ところと読むと、「ところ」は「場所」のときもあるが「時間」のときもある。……し終わった「ところ」という言い方がある。
「時空」も「時制」もいりまじっている。ゆらいでいる。嵯峨の意識のなかでは明確かもしれないが。
何もはっきりしないのだが、その「あいまい」のなかで、「しずけさ」と「かがやく」が重なり、それが「美」になる、と瞬間的に思う。「しずけさ」の「かがやき」が「美」なのではないのか、と。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)