詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

コロナ第二波(その2)

2020-07-03 10:24:12 | 自民党憲法改正草案を読む
コロナ第二波(その2)
   自民党憲法改正草案を読む/番外366(情報の読み方)

 2020年07月03日の読売新聞(西部版・14版)の1面。コロナ感染のニュース。

東京107人新規感染/都知事「夜の繁華街控えて」

 という見出しに並んで、

緊急事態宣言「該当せず」 政府

 という見出し、記事がつづく。
 そのなかに、

 政府は、感染者数の増加はPCR検査を積極的に実施した結果だとみている。多くは30歳代以下と若く、重傷患者も多くないため、医療体制には余裕がある。

 これは、言い換えると30歳代以下にPCR検査を積極的に実施するようになった、ということだろう。
 「夜の街」と「若者」に焦点をしぼって「行動規制」に動き始めたというとである。こうい「絞り込み」に「Black lives matter」や「香港情勢」が関係していないかどうか。即座には判断できないが、私は「若者抑圧」を感じてしまうのである。
 27面(社会面)には、

中洲感染 解明に限界/店の特定難航 調査に「言いたくない」

 「言いたくない」のは、簡単に言えば「差別」があるからだ。「夜の街で遊んでいる」「夜の街へ行くから感染する」と非難されるからだ。
 記事中に、こんな部分がある。

(感染者の)2人は6月に入り、飲食店や自宅で複数人で会食を繰り返していた。加えて東京から来た友人数人と中洲のキャバクラ店に行ったと明かした。だが、友人の名前や店名だけは答えなかった。
 保険所職員が「感染拡大を防ぐために協力してほしい」と説得したものの、2人は「絶対に言いたくない」などと拒んだという。

 当然だろう。
 「友人の名前や店名だけは答えなかった」ということまで、報道されてしまうのである。さらに、保険所の職員とどういう対応をしたかまで報道されてしまう。
 なぜ、そんなことまで報道する必要があるのか。なぜ、保険所の職員は記者にそういうことまで語ったのか。
 私は、どうもいやなものを感じる。

 どこまでを「夜の街」というのか、定義はわからないが、人間は欲望で動いている。セックスは基本的な欲望である。そして、ひとがセックスに夢中になっているとき、いちばん遠くにあるのが戦争だ。他人(親兄弟だけではなく、ときには愛を誓った相手)さえも放り出して、だれかと交わる。他人の「命令」なんか聞かない。そういう「スケベ」があふれたら、いちばん困るのは「軍隊」だろう。出撃命令が出たときに、「私は、ちょっと用事があります。参加できません」と兵士が拒否したら困るのは指揮官である。そしてその用事というのが、「きょうは浮気相手とセックスをする日です」というようなことになれば、もう軍隊はてんやわんやだろう。
 私はフリーセックス(古いことばだなあ)を推奨するわけではないが、他人がどういうセックスをするかというようなことに、権力が口を挟んではいけない。そういう圧力を加えるときに「夜の街」というあいまいなことばを持ち出してはいけない。さらに、そこで得た「情報」を新聞を使って社会にまきちらすということはすべきではないだろう。
 この「監視社会」は、どんどん拡大するだろう。誰がどこへ行った、誰と会った、ということが追跡され、「誰と会ったか言いたくない」と答えれば、「言いたくないと言った」と報道される。犯罪者にさえ「黙秘権」がある。感染者に「黙秘権」はないのか。
 感染者が新たな感染者を生み出す。それはそのとおりだが、そうであるならば感染者を守る体制を整える必要がある。感染者を守る体制をつくらずに、感染者に責任を押しつけるのはおかしい。
 たぶん、こうした「感染者が悪い」という風潮を生み出すことで、政府の「給付金を出さなくても、それは政府が悪いのではない」(政府には休業給付金を支払う責任や義務はない)という論理を展開しようとしているのだ。すべて「個人」の責任。そのために、「個人攻撃」をしやすいように、報道を利用している。売り上げが伸びずに困っているなら、それは「夜の街に出歩く若者がいるからだ」と宣伝するために報道機関が利用されている。
 「個人攻撃」に対してはだれもが「防衛」の訓練ができていない。闘う訓練ができていない。特に若い人は、批判された経験が少ないから、よけいに不安になるだろう。若者の抑圧に、コロナ感染対策が利用されている。
 「政府は、感染者数の増加はPCR検査を積極的に実施した結果だとみている。」と読売新聞は報道しているが、具体的には「検査対象」をどう拡大したのか。若者だけを調査したのか。40歳以上にも検査を広げているのか。検査実施対象の実態と結果を公表しなければ、若者を狙った「魔女刈り」が横行するだけである。「あいつを新宿で見かけた、渋谷で見かけた。首にするなら、あいつからだ」。そういう論理が、すぐそばまでやってきている。







#検察庁法改正に反対 #安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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杉本真維子『三日間の石』

2020-07-03 09:08:47 | 詩集
杉本真維子『三日間の石』(響文社、2020年06月25日発行)

 杉本真維子の「ことば」は私には非常に読みにくい。
 きのう、小説の書き出しだけを引用した村上春樹の対極にある。村上春樹の文章は、読み始めたら一気に読むことができる。読むスピードがだんだん加速していく。
 杉本のことばは、そんなふうには読みすすめられない。
 「けやきに抱きつきに」の最後の一文。

私と彼らは、それっきり二度と会うことはないかもしれないが、別れることもないような気がした。

 これは、非常に美しい。この一文を読むためにこの一冊があるのか、と思う。
 しかし、その一文を含む最後の一段落。

 そのとき、彼らがとても気になったのに、立ち去るときはなんの躊躇もなく、軽く会釈をすることもなく、ひたすら前だけを向いていた自分が不思議だった。そんな立ち去り方は今までにないものだったから。私と彼らは、それっきり二度と会うことはないかもしれないが、別れることもないような気がした。

 どうだろうか。
 私には読みにくいのである。
 なぜなんだろうか。
 こういうことは「説明」がしにくいし、「説明」しても、他人に伝わるかどうかわからないが……。
 「彼らがとても気になったのに」はふつうならば「(いまは)気にならない」というかたちで終わる。村上春樹なら、絶対に、そう終わる。しかし、杉本は「気にならない」ということばを省略し、「自分が不思議だった」とことばを閉じる。どこかで「ことば」が折れて、その折れた部分を「客観的」に描写する。
 「自分が不思議だった」。
 なぜ自分がそうしてたのか、自分で自分のしていることが「わからない」。こういうとき、私は、「わからない」ということばを書く。もし、「不思議」ということばをつかうにしても、「自分のしていることがわからずに、不思議な気がした」と書く。「わからない」は省略できない。しかし、杉本は省略し、さらに「気がした」も書かない。「わからない」も「気がする(気がした)」も「主観」だが、「不思議」は「主観」とは少し違うように感じる。自分のことではない、という印象が私にはある。あえていえば「客観」なのである。
 「客観」のさしはさみ方が、どうにも私にはついていけないのである。「客観」が「主観」をぽきぽきと折りつづけながら、その「折り方/折れ方」を「主観」として書いているように見える。
 切断と接続。
 これは、詩であろうと散文であろうと、ことばの運動であるかぎり、切断と接続なのだが、その「主体」が「主観」と「客観」をごちゃまぜにしている。
 そのために、私は、いま読んでいるのは「客観」なのか、「主観」なのか、というところにつまずき、簡単に読み進めないのだ。

彼らがとても気になったのに、(主観=気になる)
立ち去るときはなんの躊躇もなく、(主観の客観化=主観なら「躊躇せず」になると思う)
軽く会釈をすることもなく、(客観=行動の描写)
ひたすら前だけを向いていた (客観=行動の描写)
自分が不思議だった。 (客観?=主観を傍観している、外から見ている)

 強引に「分類」すると、こういう感じ。
 「主観」から出発し、「主観」を「客観」として提出するというのが、どうも杉本の「文体」らしいのである。
 そして、もしそうだとすると、私が感動した「私と彼らは、それっきり二度と会うことはないかもしれないが、別れることもないような気がした。」は「気がした」というかたちで「主観」を前面に押し出した、非常に珍しい文章ということになる。 

 で。

 この私にとっては非常に奇妙な文体(日本語なのに、日本語としては聞こえない文体)を言い直す便利なことば(キーワード?)がどこかに隠れていないか、と探してみると。あるのです。「花の事故」。

かわいそう、という普段はあまり使わない形容が、換言できないものとなって、口から零れつづけた。

 「換言できない」。杉本は、どのことばも「換言できない」ものとして書いている。ことばを書く人はみんなそうだというかもしれないが、私はそうは考えない。「ことば」というのは、私にとっては「換言しつづける」ためのものである。あるいは「換言しつづけなければならない」ものである。
 私の大嫌いな村上春樹は、ただひたすら「スムーズな換言」をこころがけている。私の大好きなソクラテス(プラトン)もひたすら「換言」しつづけている。それを私のことばで言い直すとどうなるか(私が行動するとどうなるか)しか言っていない。「ことば」を「肉体」に「換言/還元」できないものは「ことば」ではない、とソクラテスは言っているように思う。
 私は、そのソクラテスを「先生」と思っているので、「還元できないことば」を差し出してくる人、その「文体」が、どうも苦手なのである。
 ちょっと言い直すと、感動したと書いた「私と彼らは、それっきり二度と会うことはないかもしれないが、別れることもないような気がした。」でさえ、書かれているのは「気」であって、「肉体」ではないといえる。「気」は、私のことばの分類では「肉体」に属しているけれど、杉本は「肉体」とは考えていないだろう、と思う。
 だから、私の「感動」は「誤読」なのである。
 私はいつも他人の文書を「誤読」する。どんなふうに「誤読」したかを、ことばで言い直すというのが私の書いていることである。

 杉本にとって「ことば」はあくまで「ことば」なのだろう。だが、私にとって「ことば」は「肉体」であり、「肉体」は「ことば」である。それは区別ができない。
 「ことば」至上主義のような、「ことば」のひとつひとつが「換言できない」ものとして動く「文体」を読むのは、私には非常につかれる。村上春樹の「文体」はひたすら加速するのであきれてしまうが、杉本の「文体」は絶対に加速しないのでつかれるといえばいいのだろうか。








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