詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「詩はどこにあるか」6月号発売中

2020-07-01 15:53:09 | 詩(雑誌・同人誌)
「詩はどこにあるか」6月号を発売中です。
132ページ、1750円(送料別)
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
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山本育夫書下ろし詩集「不穏(ふおん)」

2020-07-01 10:41:20 | 詩集
山本育夫書下ろし詩集「不穏(ふおん)」(「博物誌」47、2020年06月22日発行)

 私はいいかげんな人間なので、よって立つべき「基準」のようなものを持っていない。そのとき出会ったものに、そのとき反応するだけである。そして、そのときの反応は、またいいかげんで、そのとき出会ったものだけに対して起きるのではない。それまでのできごとが影響して、そのときの反応というのが起きる。過去をふっきって、「いま」の反応を書くということはできないのだ。
 きのう(06月30日)、詩村映二『カツベン』(季村敏夫編)を読んだ。そのあと、山本育夫書下ろし詩集「不穏(ふおん)」を読んだ。すると、私のことばは、山本のことばに追いついていけないのだ。

 詩村映二の詩「催眠術」と山本の詩「01ぬかるみ」を並べてみる。

催眠術

少女はパラソルを斜めに廻しながら
ぴかぴか坂路を下りて来ます

一疋の蝶の色彩に移動する白い雲

望遠鏡の中のあかるい遠景が
催眠術にひつかかつてゐます



01ぬかるみ

まちをあるいていくと
少しずつ
足元が沈んでいくのだ
ことばの沼の中に
ぼくは足をひきあげ
さしこみ
しながら
ひとこと、ひとこと
ことばをさしこむ
詩を刻むように
あまりに足が重たくなるので
ときにはうぉおおぉと声を上げながら
ひきあげ
さしこむ、ことばを
見ると
ぬかるみことばはもう腰のあたりまで
這い上がってきていて
みるみる下半身は
詩になりかわっている

 詩村の詩はイメージが鮮烈で、軽快で、いかにも「詩」らしい。「催眠術にひつかかつてゐます」という非日常的なことばさえ、きらきら輝いている。まあ、「催眠術(手品?)」にひっかかっているのかもしれない。でも、「詩」は、だまされるためにあるものだからね。そこに絶対的「真実」を求めたりはしない。求めるとすれば「絶対的」の方だからね。詩村のことばには、何か「ことばの絶対性」のような強さが感じられる。
 で。
 山本のことばは、どうなのか。
 「ことばの沼」というのは比喩だが、その比喩から「ことば」を除外して、「沼」と思えば、沼を歩いている男の姿が浮かぶ。鮮烈でも軽快でもない。もたもたとしていて、わざわざそんなところを歩かなくてもいいのに、といいたくなる。
 なんだろうなあ、この違い。
 昔といまでは「詩」が違ってきた、といえばそれまでだが。
 いま、詩とはなんなのだろう。
 山本は、なぜ、これを「詩」として提出しようとしているのだろう。
 考えなければならないのは、そういうことだが、こういう「大問題」は考えてもしようがない。「詩」が自然に変化していくように、「大問題」の答えというのは自然の成り行きにまかせるしかない。なるようにしかならないのだ。

 と、書いて、少し落ち着く。
 やっと詩村のことばから離れられそうである。
 そうであるなら、いままで書いてきたことを捨てて、ここから書き直せばいいのかもしれないが、そういうことをすると「嘘」がまじる。
 だから、面倒なものをひきずりながら、私は書き続ける。

 山本の詩。めんどうくさい。このめんどうくささは、いいかえると「要約」できないということだ。「詩」は要約できないものだが、なんでも「要約」してしまうのが、人間のずぼらなことろ。で、この詩を、「ことばの沼にはまって動けなくなった男が、自分を棚に上げて、その状態を詩と呼んでいる」と書いてしまえば、なんとなく「批評風」。
 でも、そういうことでは、私の感じたことを書いたことにはならない。
 私が、この作品でいちばんつまずくところ、つまり「要約」できないと感じるところはどこかというと。

さしこみ
しながら

 いや、「さしこみ」はまだわかる。わかる気がするが「しながら」ってなんなのさ。なぜ「別行」なのだ。「しながら」にいったいどんな「重要性」(絶対性)があるのか。
 こう書き直してみる。

ぼくは足をひきあげ、(足を)さしこみしながら(さしこみながら)、それにあわせて、ひとこと、ひとこと、ことばをさしこむ

 こうやって書き直してみると、足をさしこむこと(歩くこと)がことばをさしこむこと、詩を書くことと「要約」することができる。そして「要約」してみればわかるのだが、「しながら」は消えている。「さしこみながら」と「さしこむ」という動詞にのみこまれている。のみこまれながら、次の動詞を強引に接着させている。
 詩村の詩には、イメージの接着があるが、それは接着しながら同時に過激な「分離」を感じさせる。離れているものが、強引に結びつけられている。手術台の上の出会いだ。
 でも、山本は逆に、自分の肉体を引き離すために動いているのに、肉体そのものに自分がのみこまれ、つづいてことばものみこまれるということが起きている。「強引に接着させている」と書いたが、どうにもならずに「接着させられている」。
 分離できない。
 ぬかるみに足をとられるのは肉体の反応。そこにわざわざ「ことば」を接着させ、ことばをぬかるんだ沼にする必要はないだろう。
 でも、そうしてしまっている。
 このときの「絶対性」が「しながら」なのである。
 私には、その「絶対性」は必要ではない。わざわざめんどうなことをしているとしか見えない。けれど、山本はそれを必要としている。そういう「個別的絶対性」。言い直すと、その「絶対性」に触れるとき、山本が「個人」として突然、あらわれてくる。
 ほんらいならば、先行する動詞にのみこまれながら、後続する動詞のなかへと消えていくはずの「しながら(という意識)」がここではしゃしゃり出てきて、自己主張しているのだ。それが、この詩の山本の「肉体」のあり方、つまり思想なのだ。
 詩村の詩が、「意識の飛躍(断絶)」を輝かせるのに対して、山本は「飛躍しない意識/持続するしかない肉体」を語ることで、「肉体(ことば)」の「連続性」(とぎれなさ)を明確にする。
 「ときにはうぉおおぉと声を上げながら」は、「さしこみ/しながら」にあわせて言い直すと「ときにはうぉおおぉと声を上げ」「しながら」なのである。「足をひきあげ」「しながら」、「さしこみ」「しながら」だけではなく、「声を上げ」「しながら」なのである。「声」というのは「肉体」から飛び出していく何か、「肉体」を持続しながら「肉体」ではない何か、でも必ず「肉体」を連想させる何かである。その「声」のような「ことば」、つまり「肉体」から出て行こうとして、肉体の切り離せなさをひきずっていることばが「詩」ということになる。

 あ、何か、めんどうさくさくなってきたぞ。同じことを書いているだけで、ぜんぜん、ことばが前へ進んでいかない。
 なんとか「要約」できないかなあ、と思っていたら、こんな詩に出会う。

09まきとる

なにかが
そろりそろりと
あるいていきました

囲みの中で
しのようなものに
見えているけれど
そこにはしはない
いまあるいていきましたからね
そうひとつながりの文字を

ひっぱって
ズルズルと
一本の線にして

 「ぼくが歩く」のかわりに「何かが歩いていく」。主観だったものが、ここでは客観として書かれている。客観的にみると、つまり、他人の視点で「要約」してみると、それは「ズルズル」としている。「ひっぱっている」(ひきずっている)。それは「一本の線」になっている。
 そういうことだな。
 詩村が離れたものをことばをつかって接合したのに対して、山本は「肉体/ことば」を離れたところまで引っ張っていって接合する。「ことば」だけで接合するのではなく「肉体」で接合する。肉体が「他者」に接合し(まじわり)、もう自分の「肉体」ではなくなる。
 セックスの絶頂というのは、まあ、自分の肉体の絶頂のことなんだけれど、人間なんて「わがまま」で「自己中心的」だから、そういうとき、この快感は「相手ものも」とも思ってしまう。「一体感」というのは、そういものだね。
 これを、山本は、ことばでやっている。
 もう若くはないから、一気に絶頂に達するというのではなく、「ズルズル」と「絶頂」までひきずっていく。「肉体」が絶頂に達するというよりも、絶頂が「肉体」にのみこまれる感じ。しかし、絶頂を「肉体」がのみこむというのは、「100メートル競走のセックス」よりも「体力/ことば力」がいる仕事なのだ。達人の「わざ」だ。



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Estoy loco por espana(番外篇77) Luis Serrano

2020-07-01 08:23:13 | estoy loco por espana



Luis Serrano の写真

La combinacio’n de gris y amarillo es estimulante y hermosa.
Destacando su belleza es el cambio grises.
La parte baja de la pared que se conecta a la carretera, la parte arriba de la pared brillante.
Y bturador.
La silla dibujada en el obturador derecho. La silla detra’s de la persiana entreabierta.
Adema’s, la ventana (?) dibujada en el obturador izquierdo y la parte oscura de la habitacio’n.
Las letras en la parte superior de la pared que corresponden a ese negro.
Puedo escuchar la mu’sica que es bien equilibrada y afinada.

灰色と黄色の組み合わせが刺戟的で美しい。
その美しさを強調しているのが、灰色の変化だ。
道路とつながる壁の下部、明るい壁の上部。シャッター。右側のシャッターに描かれた椅子。半開きのシャッターの奥にある椅子。
さらに左のシャッターに描かれた窓(?)と室内の暗い部分。
その黒に対応する壁の上部の文字。
バランスが美しく、研ぎ澄まされた音楽が聞こえてくる。

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