詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

近藤久也『水の匂い』

2020-07-26 18:45:52 | 詩集
近藤久也『水の匂い』(栗売社、2020年02月25日発行)

 「忘れられたいきかた」という詩がある。「いきかた」は「生き方」だろうか。「行き方」ではないだろう。

好きだな
気配だけって

遠慮がちに
入り込んでくる

 でも、「気配」というのは何だろう。近藤は、こんな風に言い直している。

似たものに
匂い
錯覚

似て非なるものは
妄想

酷似なのが
記憶と怖れ

 なんとなく、納得する。納得したことを、別のことばで説明するのはむずかしい。私のことばで言い直すのはむずかしい。
 詩というのは、こういう瞬間に動いているのだと思う。

 でも。

 何が「でも」なのか、言うことはむずかしいが。
 でも、私は、「浦富海岸」のような具体的な作品の方が好き。

よれよれ男が
腰にパンの塊ぶらさげて
橋の途中までやってきた
欄干とんとん手で鳴らし
しわしわ手指でパンひきちぎり
川面へ放り投げる
いったいどっから寄ってきた
数十匹の銀色の魚ども
我先にと喰い争って
飛び跳ね
パンの塊わたされて
半信半疑でやってみた
来るわ来るわきりもなく
次から次へと
半狂乱の魚ども
いったいあれはなんの魚だ?ウグイ?
(腹は赤くないのに?)
どっかから
もうじき鯉や人面魚も
寄ってくるはず、すごいぞすごいぞ
人面魚ってどんなやつ?
考えてると男は袂の家へ
吸い込まれるようにはいっていった

 途中に出てくる「半狂乱」ということば。これは、先に引用した詩の「気配」とどう違うかな? いや、まったく違うものだとわかっているのだが、私は、なぜか考えてしまうのだ。どこか「通じる」と。
 「狂乱」に重点を置くと、まったく違っている。「狂乱」だけなら「錯覚」「妄想」、あるいは「記憶(怖れ)」に通じる。何か、限界を超えた感じ。でも、超えないのだ。そこに別の世界があると感じながら、超えない。ふみとどまる。
 「半分」だけ、それを感じる。
 その「半」に重心を置くと、「気配」というものと通じないだろうか。

 「狂気」の世界へ、越境するか、しないか。それが、はっきりしない。
 この不思議な「粘着力」。
 この粘着力を引き出しているのが、助詞「を」を省略する文体かもしれない。「を」だけではなく、「の」も省略されている。

よれよれ「の」男が
腰にパンの塊「を」ぶらさげて
橋の途中までやってきた
欄干「を」とんとん手で鳴らし
しわしわ「の」手指でパン「を」ひきちぎり

 助詞は、ことばとことばを「接続」させる働きを持っているが、一方で「接続しないものがある」ということを明確にしながら、それを「接続」させるのかもしれない。「切断されたものがある」。そのばらばらのものを「接続する(接続させる)」ものが助詞。
 しかし、その助詞をあえて省略すると。
 うーん。
 意識が「文法」(ことばの整え方)を乗り越えて、ぬるりと「存在」を接続させてしまう。
 この「つながり」は何?
 「半分の狂気」であると、私は呼びたい。「半分の文法」、「半文法」と呼んでみたい。
 近藤にとっては、きっと「半(半分)」ということが大事なのだ。「一」として完結するのではなく、どこか開かれている。どっちつかず。どっちつかずのまま、現実から越境していくのか、現実に踏みとどまるのか。越境を意識した瞬間に、半分は越境してしまっていると言うのは簡単だから、それは「保留」しておく。
 「半」が重要なのは、

半信半疑

 ということばからもわかる。「半信半疑」を「半分」ということばをつかわずに説明しようとすると、とてもむずかしい。そして、それは説明を必要としないくらい、だれにでもわかること。このへんな感覚こそが詩なのだ。
 「櫂と櫓」は、これを「説明しない」ということばであらわしている。「ことば」にはならない、けれどそこに存在してしまうものが詩。そして、「ことばにならない」と言いながら、ことばで書くのが詩。

父は
説明しない
あからさまなことも秘密のことも
なにごとかの経緯を
なにごとかの成り立ちを
教えないし、しからない
否定しない
主張しない 誇らない

 これは何のことかというと「櫓の漕ぎ方」のことである。父は櫓を漕ぐことができる。兄はそれをやってみるが、舟は進まない。
 「半分」わかっているのに、「半分」わからない。舟は進まないけれど、舟はそこにある。「櫓を漕ぐ」という「肉体」もそこにある。

兄が櫓をにぎっていた
父がなにか言っていた
ぎこちなく兄が
前後に動かした
水脈はすべらず不安そうに
ギコギコ右に左に
舟は揺れた
父の言葉は聞こえなかった











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イ・ウォンテ監督「悪人伝」(★★★★★+★★★★★+★★★★★)

2020-07-26 12:31:03 | 映画
イ・ウォンテ監督「悪人伝」(★★★★★+★★★★★+★★★★★)

監督 イ・ウォンテ 出演 マ・ドンソク、キム・ムヨル、キム・ソンギュ

 これは、もうわくわく度がとまらない大傑作。
 何が傑作の理由かといって……。
 チラシに、こう書いてある。

極悪組長×暴力刑事vs無差別殺人鬼

 さて、あなたがこの映画の出演依頼を受けたとしたら、だれを演じたいですか? この「問い」にどう答えるべきか考えると、傑作の理由がわかる。
 映画でも小説でも、それが「傑作」であると感じるのは、自分を主人公に重ねて、主人公のこころの動き(行動)に心酔するからだ。こんな風に生きたい。こんな風に言ってみたい。
 さて、「これが私の夢の生き方だ」と、言いたいのはだれ?
 見終わっても、「答え」が見つからない。

 社会の常識からいえば、まあ、刑事がいちばん無難。暴力刑事ではあるけれど、社会のために働いている。他人から「後ろ指」さされることもない。与えられた仕事をするだけではなく、「正義感」もある。その「正義感」から暴走するのだけれど、この手の刑事はいままでも映画で描かれてきたしなあ。
 それに、この暴力刑事が魅力的なのは、極悪組長と無差別殺人鬼がいてこそなのだ。どちらかひとりでは、そんなにおもしろくない。平凡。そう考えると、「主役」じゃないよね。
 タイトルからわかるように、主役は極悪組長。彼は無差別殺人鬼に襲われ、重傷を負う。面子が丸つぶれ。だから加害者を探し、仕返しがしたい。仕返ししたということを、みんなに示したい。そのために刑事と手を組んで、「捜査情報」をたよりに無差別殺人鬼を追いかける。
 ストーリーとしては、この暴力刑事と極悪組長が手を組むというところにおもしろさの秘密があるのだが、それを支える(?)のが無差別殺人鬼。彼次第では、単なるストーリーになる。なぞというか、殺人鬼の「快感」を体現しなくてはいけない。殺したいと思うことと、実際に殺すこととの間には大きな隔たりがあるのだけれど、その隔たりを感じさせず、接着剤のようにして「快感」がないといけない。「憎しみ」ではなく「快感」。人間として許されることではないのだが、だからこそ、映画なら、そんな「人生」も体験してみたいと思うでしょ?
 だから、たとえば。
 クライマックス。屋上にいるところを見つかり、走って逃げる。そのあとカーチェイスが始まる。結末はわかっている(想像がつく)にもかかわらず、殺人鬼に対して、「逃げろ、逃げろ、逃げ抜け」と私は応援してしまう。これって、「反正義」の感覚だよなあ。「逃げろ、逃げろ」と応援しながら、わくわくする。追跡の途中で刑事の車と組長の車が衝突すると、「やったぜ」と思ったりする。
 その一方で、刑事の車と組長の車が協力して殺人鬼を追い詰めるのを期待している。
 矛盾しているねえ。
 でも、こういう「矛盾」した感覚を引き起こすというのが、「傑作」の基本。
 どうせ、映画なんだから。
 自分が現実には体験できないことを、リアルに感じたい。
 で。
 自分の現実で、いちばん実現(実行)できないのは、どっち?
 極悪組長? 暴力刑事? 無差別殺人鬼?
 全部できないから、全部やってみたい。

 この映画は、荒唐無稽であるだけではなく、細部が非常に綿密。法廷で展開される証言につかわれる「メモ」。その「主語」を破り捨てて、目的語、述語の部分だけを利用するというところなど、うなってしまう。いや、叫んでしまう。
 「うまい!」
 脚本が、完璧。

 でも、なんといっても、この映画はマ・ドンソクの演技につきるかなあ。
 極悪組長とはいっても、この丸顔、しまりのない唇、憂いを含んだ(?)目つき。矛盾した愛嬌というか、かわいらしさがある。それを隠しながら「極悪」を生きているのだが、ときどき「憎しみ」ではなく「よろこび」をあらわす瞬間があり、そのときの表情がいい。
 暴力刑事が部下を殴りつけるとき、「おまえ、やるじゃないか」という表情をしたりする。最後の最後には、刑務所に収監されるのだが、その刑務所に殺人鬼がいるのをみつけ、「ここにいたか、待ってろよ」という感じで、にやりと笑う。いや実際に「にやり」までいかない。「にやり」を隠して、相手を見据える。
 こんなこと、私はしたことがない。
 だから、やってみたい。
 映画なんだから。

               (KBCシネマ、スクリーン1、2020年07月26日)









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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
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