大森立嗣監督「MOTHERマザー」(★★★★★)
監督 大森立嗣 出演 長澤まさみ、奥平大兼、阿部サダヲ
予告編を見て、非常に気になった映画である。何が気になったかというと、カメラの演技が少ない。最近の映画は、訳者が演技していないものをカメラの切り取り方で演技にしてしまう。それが、どうも気に食わなかった。この映画は、そういう部分が少ない。カメラの枠のなかで、役者が充分に演技をしている。そして、その「肉体」がきちんと伝わってくる。
唯一(?)、カメラが演技をするのは、長澤まさみが奥平大兼にすがりつき、「もうお母さんには修平しかいない」と泣くシーン。カメラは二人の全身から、奥平大兼の握りしめた拳へのアップへと動く。そのぎりぎりの抑制で震える拳に奥平大兼の感情があふれているのだが、ここはそのまま全身のままでとめておいてほしかった。奥平大兼が、長澤まさみから平手打ちされ、そのままぴくりとも動かない。顔は殴られたとき横に動き、斜め下を見ている。その動かない奥平大兼に長澤まさみがすがりつくのだが、そのままがいい。私の好みからいえば、もしカメラが演技をするのだとしても、それはアップではなく、むしろ引いてほしい。引いた画面の端に(離れたところで)、妹が遊んでいる姿が入ってきたら、私は泣いてしまっただろうなあ、と思った。
長澤まさみは、私は初めて見たのだが、とてもよかった。子どもを育てる力がないのだが、「私の産んだ子ども、私の一部」という感じが、せりふだけではなく、肉体から発散されている。自分の肉体そのものだから、彼女自身が肉欲におぼれる自分を許すように(性交することによって、その後何が始まるのか、それから起きることを受け入れるように)、子どもの「肉体/精神」が傷ついていくことを許してしまう。「修平なら、こういうことを自分の肉体で乗り切ることができる」と信じている。そして、その「信じていること」が暴走して、奥平大兼に祖父母(長澤まさみにとっては両親)殺しをさせてしまう。このときの、ふたりの全身の演技はとても素晴らしい。(カメラは演技を放棄して、ただ「枠」に徹している。)殺人を押しつける方も、引き受ける方も、どうしていいかわからなくなっている。長澤まさみは「息子が殺人を侵しても、その肉体も精神も傷つかない、そういう力を持っているはずだ。私の子どもなのだから」と思っている。奥平大兼は「もし祖父母を殺さなければ、殺して金を手に入れなければ、母は肉体も精神も傷ついて死んでしまう」と思っている。いや、ふたりは思っているというよりも、思い込もうとしている。互いの思いを了解した上で、自分の肉体を動かす。「これは、私の肉体」。ふたりが、互いのことをそう思っている。精神の苦悩も「これは、私の苦悩」と思っている。私は便宜上わけて書いたが、ふたりは、それをわけることができないところにまで追い込まれている。この緊張感がすごい。
ふたりには、結局何が起きたのかわからないのだと思う。わかることは、「私は息子が好き」「私は母が好き」ということだけなのだ。その「好き」のためにはいろいろなことができるのだけれど、その「いろいろ」を想像できない。「好き」という感情が強すぎて、他の人が「こうしたらいいのに」(親ならこうすべきだ/こどもならこう生きるべきだ)ということばを受け入れることができない。
倫理や正義をもちだすと、この映画は、とんでもないものになってしまう。長澤まさみの行為も、奥平大兼の行為も、社会(良識)は決して受け入れることができない。しかし、良識を超越しているものが、この世にはあるのだ。「いのち」そのものが、すべてを超越しているだろう。ひとが死んでも、どこかしらないところで「いのち」そのものはつづいているのだから。
ここから思うことは、たったひとつ。私の母は母の肉体を「分割」するように私を産み落としてくれた。「ひとり」として産んでくれた。そうであるなら、私はぜったいに「ひとり」にならないといけない。
そういう思いに至ったとき、ふっと、ラストシーンで長澤まさみも奥平大兼も「ひとり」であることを受け入れることができるようになっている、と思った。信じられないような「つながり」で「ひとつ」になっていた「ふたり」だが、最後は「ひとり」であることを受け入れて、自分と他人をみつめている。そこに静かな「安らぎ」のようなものがある。悲惨なストーリーだが、超越的な美しさがある。長澤まさみも奥平大兼も、非常にいい役者だ。
(T-joy 博多、スクリーン3、2020年07月14日)
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また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
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〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
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132ページ、1750円(送料別)
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長澤まさみは、私は初めて見たのだが、とてもよかった。子どもを育てる力がないのだが、「私の産んだ子ども、私の一部」という感じが、せりふだけではなく、肉体から発散されている。自分の肉体そのものだから、彼女自身が肉欲におぼれる自分を許すように(性交することによって、その後何が始まるのか、それから起きることを受け入れるように)、子どもの「肉体/精神」が傷ついていくことを許してしまう。「修平なら、こういうことを自分の肉体で乗り切ることができる」と信じている。そして、その「信じていること」が暴走して、奥平大兼に祖父母(長澤まさみにとっては両親)殺しをさせてしまう。このときの、ふたりの全身の演技はとても素晴らしい。(カメラは演技を放棄して、ただ「枠」に徹している。)殺人を押しつける方も、引き受ける方も、どうしていいかわからなくなっている。長澤まさみは「息子が殺人を侵しても、その肉体も精神も傷つかない、そういう力を持っているはずだ。私の子どもなのだから」と思っている。奥平大兼は「もし祖父母を殺さなければ、殺して金を手に入れなければ、母は肉体も精神も傷ついて死んでしまう」と思っている。いや、ふたりは思っているというよりも、思い込もうとしている。互いの思いを了解した上で、自分の肉体を動かす。「これは、私の肉体」。ふたりが、互いのことをそう思っている。精神の苦悩も「これは、私の苦悩」と思っている。私は便宜上わけて書いたが、ふたりは、それをわけることができないところにまで追い込まれている。この緊張感がすごい。
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