閻連科『丁庄の夢』(谷川毅=訳)(河出書房新社、2020年06月30日新装版発行)
閻連科の文体は、私にとっては、まず「音」である。ことばが「音」そのものとして聞こえる。もちろん私は谷川毅の訳文(日本語)を読んでいるのだから、私の聞いている音は「原音」ではない。しかし、強烈な音が聞こえる。音が重なり合って、壮大な交響曲のように響く。そういう印象がある。そして、その音の強さの背後には、人情を無視した自然の非情さがある。非情と向き合うために、人間は「情」のかぎり、声を張り上げないといけない。『年月日』という短篇は、非情と向き合った人間が聞き取った自然の音も書かれていた。それは交響曲ではなく、あえていえばピアノのソロのような音楽だが、ピアニッシモの音さえも、宇宙の果てまで届くような強さを持っている。純粋なのだ。そういうことが伝わってくることばだ。
今回読んだ『丁庄の夢』も強い音がぶつかりあっているが、新しい要素として「匂い」が加わった。これまでも「匂い」を書いているかもしれないが、私の記憶からは抜け落ちている。
その匂いは、「血の匂い」だ。
地下に管が蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、その中を血が流れていた。きちんと接合されていない継ぎ目の隙間から、管の曲がったところから、血が水のように噴き出していて、空中高く飛び散り、どす黒い雨のように降り注ぎ、べっとりとした生臭い匂いが鼻をついた。さらに平原でも、祖父は井戸や川の水が真っ赤で生臭い血になってしまっているのを見た。
そして、血の匂いはまた、死の匂いでもある。
口元から血が流れていた。口元だけではなく、鼻からも血が流れていた。血は何筋もの流れを作っていた。学校に死人の血の臭いが漂った。
生きている「熱い血」の臭いではなく、死んだ血の生臭い臭い。
しかし、そんな臭いを嗅ぎ取ってしまうのは、小説の舞台になっている村には、また違った臭いがあるからだ。
秋の夜の月のしかりの下で、荒れ地の枯れ草には白枯れた香りがあった。ほど近いところにある黄河古道には、焼いた砂に水をかけたような渇いた匂いがあった。それらの匂いが肯定に集まってきて漂っていた。その匂いで一杯になって、違った静けさが人々に染み渡っていった。馬香林の歌に様々な味わいがあるように。
舞台は、ほんとうは美しい村なのだ。それは漢詩に出てくる「非情」に似た人間を超える美しい村なのだ。しかし、その村を舞台に、血を売るという商売がはじまり、エイズが蔓延していく。村人がつぎつぎに死んでいく。
つまり。
死んでいく人間の血は汚れ、その臭いは強烈だが、生きている人間の血は純粋に美しいかというとそうではない。病気におかされ瀕死の血があると同時に、別の人間の肉体のなかには死を食い物にして生き延びる非情な血がある。(人間もまた、あるいは人間こそ、非情の存在なのかもしれない。)
それが次から次へと、血のぶつかり合い、臭い(臭い、香り)のぶつかり合いとして描かれる。
そのなかには、病気におかされながら、その絶望の中から新しくいのちを獲得して燃え上がる血の臭いもある。エイズに感染し、連れ合いに捨てられたもの同士が、愛に燃え上がる。
叔父さんは(略)、熱病のできもの特有の臭いの他に、隠そうとしても隠せない若い娘の放つ匂い、まだ汚されたことのない清らかな味わい、結婚したばかりの娘の鮮烈な女の香りを感じ取っていた。
二人の愛と生きることへの欲望は、結果的に、社会を変えていく。その瞬間が美しく描かれる。
そして、その愛憎の境目に、また別の臭いがさしはさまれる。棺桶の臭い。棺桶をつくる木、切り出された木の真新しい臭い。それは木の血の臭いといえるかもしれないが。
漆黒の闇の中に、切ったばかりの木屑の新しく白く輝く香りが灯のある方から漂ってきた。香りは村の西から、南から、北から、東の横町から流れてきてまとまると一塊になり、揺らめいていた。
情(人情)と自然の非情がぶつかり合い、それが人間の温かい情(人情)と残忍な欲望の対立を鮮烈にする。人間の非人情(残忍な欲望、他人の死を気にしないという人情)と自然の非情はまったく違うのだ。自然の非情は、悲劇を一瞬にして美に結晶させ、詩を生み出すが、人間の非人情が生み出す悲劇は詩にはならないのである。簡単にカタルシスを与えてくれないのである。
だからこそ、引き込まれてしまう。
しかし、閻連科は基本的に詩人なのだと思う。最後はいつも小説を読んだというよりも、詩を読んだような激烈な感情が噴出してくる。
この小説のクライマックスは、小説の語り手である死んだ少年の父親を、祖父が殺す場面である。
その最後の瞬間を読んだとき、私は、あっと叫んでしまった。
地面を染めた血は、春の野に花が咲いたようだった。
非常に短い。その短さに、私はびっくりしたのだ。なぜというに、閻連科のことばの特徴は、ことばがことばを誘い出すように、何度も言い直されるところにあるからだ。
たとえば、
死人は木の葉が落ちるように、火が消えるように死んでいった。墓掘り人はついでのように鍬を振るい穴を掘り、まるで死んだ犬や猫を埋める穴を掘っているかのようだった。悲しみもなく、泣き声もなかった。泣き声も悲しみも涸れた川のように音を立てることもなく、涙も灼熱の太陽の中に降る霧雨のように、地面に落ちる前に蒸発してしまった。
という具合。「死人は木の葉が落ちるように、火が消えるように死んでいった」は、ふつうなら、「死人は木の葉が落ちるように死んでいった」か「死人は火が消えるように死んでいった」と書くだけだろう。(死と木の葉が結びついたイメージは「葉っぱが一枚落ちると人が一人いなくなった」というような具合に、この小説では何度も繰り返されている。)しかし、それだけでは気がすまずに、「犬猫を埋めるように」という描写があり、さらに「涸れた川」があり、最後に「灼熱の太陽と霧」の比喩がある。この、どこまでもつづくことばの暴走(?)のようなものが閻連科の特徴なのに、クライマックスでは、それが一行で断ち切られているのだ。
それは、どうしてか。
クライマックスの一行は、主人公の死んだ少年の声なのだ。
それに対して、他の部分の饒舌ともいえる描写は、語り手の声であると同時に、その場を生きる人たちの声なのだ。一人の声ではなく、多数の(無数の)声。一人が声を発すると、それに刺戟されるようにして、別な一人が気づいたことを語り、それを引き継ぎ別の人が語る。集団で引き継がれる声。閻連科の小説が、どこか「民話風」というか、土着の声を感じさせるのは、自然の非情と向き合うと同時に、そういう「語り継がれた声」を含んでいるからだと思う。
加速し、どこまでもどこまでも広がっていく文体の中に、クライマックスで主人公の声が単独で屹立する。だからこそ、それが激烈に響く。
音の過剰、色の過剰。そして、この小説の臭い(臭い、香り)の過剰。閻連科の感覚は、世界を更新し、どこまでも広がっていく。こういう文体と同時代を生きるのは、たいへんなよろこびだ。
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私は中国語をまったく知らないのだが、小説の中に出てくる「嗅覚」の世界を、臭い、匂い、香りと訳し分けた谷川の文体にも感謝したい。世界は、ことばにしたがって明確になっていく。
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