岩佐なを「鼻濁音」(「孔雀船」96、2020年07月15日発行)
岩佐なを「鼻濁音」を、どう読むか。
私は何度も何度も書くのだが、岩佐のことばが気持ち悪くて好きになれない。「うらみち」は「音」というよりも「文字」が気持ち悪いが、それが「そぞろあるく」とつながっていくとき、読むのをやめよう、と思う。
でも、この気持ち悪い何かが、あるとき突然好きになって、あれはいったいなんだったのだろうと、いつも思う。
で、つづけて読んでしまうのだ。
「虹式」というのは「造語」だろうなあ。つまり、「造語」をつかってまでも、何か書きたいことがあるということなのだが、それは「声色」そのもののように、生理的なものなのだと思う。それが生理的であることが、私には、耐えがたい。
猫の、ぐにゃりと体に触れてしまったときのよう恐怖心が私を襲う。
こんなことは書いてもしようがないのだが、書かずにはいられない。
「声色」が「忍び音」にかわるころは、「曲」がぐにゃりと「曲がる」ものになっている。猫の、あの、ぞっとする「肉体」に。
わっ、「意味」を理解したくない、と私は思わず拒絶反応から、逆に、ひかれ始める。「したわしい」ということばなんか、私は、自分からは絶対に口にしない。ほとんと日常的には聞かないことばである。だから拒絶反応が起きるのだが、そして、拒絶反応が起きたのだから、ここで放り出せばなんでもないことなのだが、ここまで拒絶反応が起きるのはなぜなのか。それを知りたくなってしまうのだ。
岩佐って、どういう人間?
好奇心だ。
で、
鼻濁音づかいの
ということばに出会ってしまった瞬間、あ、どんな曲かわからないが、岩佐の聞いた「あの曲」は鼻濁音を含んだことばがあるのだ。そして、その鼻濁音の重なりが、虹のようにやわらかなのだ。鼻濁音を岩佐は「忍び音」と感じているのだと思い込む。そういうことができる人間なのだ。
ここなんです。問題は。
私の感覚では鼻濁音は「忍び音」ではない。「声色」というような、べったりと肉体に(生理に)へばりついてくるものでもない。しかし、岩佐は、この「べったり感」をこのましく思っているのだろう。あるいは、私が「べったり」と感じるものを、違うものと感じているのかもしれないが。
「にげろ」の「げ」を岩佐は鼻濁音で発音するかどうか、岩佐が話しているのを聞いたことがないので判断できないが、そのことばはこうつづいていく。
岩佐が「いつどこでどうして/どうなったのか」というくらいだから、このことばを追いかけている私には、そういうことがわかるはずがない。
そして、この「わかるはずがない」に出会ったとき、私は安心するのだ。ここに詩がある、と思うのだ。他人が何か思った瞬間のこと(美しいと思ったのか、汚いと思ったのか、もっと他のことを思ったのか)を、他人である私がわかるはずがない。その「わからなさ」を、しかし、岩佐は追いかけている。追いかければ「わかる」にかわるという保障はない。
途中を端折って、最後。
と岩佐自身が投げ出している。
詩とはそういうものだろうと、私は思う。「結論」はないのだ。「結論」は、つまずいた瞬間にある。何かを変だな、これは何なのだろうと思った瞬間にある。そのわからないものを、別のことばで言い換えてみる。そのときのことばの運動のなかにある。「結論」にたどりついたら、それは詩ではなく、もっと別なものだ。
岩佐は、瞬間的に、そう思った。そのことばが動いた。私には絶対に思いつかないことばが、その瞬間に動いている。これを、私は信じるのだ。
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岩佐なを「鼻濁音」を、どう読むか。
立夏のうらみちをそぞろあるく
盲学校跡の空き地のほうから
虹式で重なりなった声色の
曲が流れてくる
あの忍び音の
したわしいね
鼻濁音づかいの経緯を想いかえしては
にげろ
にげろと呟いてみる
私は何度も何度も書くのだが、岩佐のことばが気持ち悪くて好きになれない。「うらみち」は「音」というよりも「文字」が気持ち悪いが、それが「そぞろあるく」とつながっていくとき、読むのをやめよう、と思う。
でも、この気持ち悪い何かが、あるとき突然好きになって、あれはいったいなんだったのだろうと、いつも思う。
で、つづけて読んでしまうのだ。
「虹式」というのは「造語」だろうなあ。つまり、「造語」をつかってまでも、何か書きたいことがあるということなのだが、それは「声色」そのもののように、生理的なものなのだと思う。それが生理的であることが、私には、耐えがたい。
猫の、ぐにゃりと体に触れてしまったときのよう恐怖心が私を襲う。
こんなことは書いてもしようがないのだが、書かずにはいられない。
「声色」が「忍び音」にかわるころは、「曲」がぐにゃりと「曲がる」ものになっている。猫の、あの、ぞっとする「肉体」に。
したわしいね
わっ、「意味」を理解したくない、と私は思わず拒絶反応から、逆に、ひかれ始める。「したわしい」ということばなんか、私は、自分からは絶対に口にしない。ほとんと日常的には聞かないことばである。だから拒絶反応が起きるのだが、そして、拒絶反応が起きたのだから、ここで放り出せばなんでもないことなのだが、ここまで拒絶反応が起きるのはなぜなのか。それを知りたくなってしまうのだ。
岩佐って、どういう人間?
好奇心だ。
で、
鼻濁音づかいの
ということばに出会ってしまった瞬間、あ、どんな曲かわからないが、岩佐の聞いた「あの曲」は鼻濁音を含んだことばがあるのだ。そして、その鼻濁音の重なりが、虹のようにやわらかなのだ。鼻濁音を岩佐は「忍び音」と感じているのだと思い込む。そういうことができる人間なのだ。
ここなんです。問題は。
私の感覚では鼻濁音は「忍び音」ではない。「声色」というような、べったりと肉体に(生理に)へばりついてくるものでもない。しかし、岩佐は、この「べったり感」をこのましく思っているのだろう。あるいは、私が「べったり」と感じるものを、違うものと感じているのかもしれないが。
「にげろ」の「げ」を岩佐は鼻濁音で発音するかどうか、岩佐が話しているのを聞いたことがないので判断できないが、そのことばはこうつづいていく。
げに気をつけてしだいに鼻孔からも
大きく発生すると
むかしはぬぬっぬぬっと
ちかづいてきて尾をふる
だいじゃび(大蛇尾)
にげずに受けとめられるこころもち
なにをなにを
こころで
いつどこでどうして
どうなったのか
岩佐が「いつどこでどうして/どうなったのか」というくらいだから、このことばを追いかけている私には、そういうことがわかるはずがない。
そして、この「わかるはずがない」に出会ったとき、私は安心するのだ。ここに詩がある、と思うのだ。他人が何か思った瞬間のこと(美しいと思ったのか、汚いと思ったのか、もっと他のことを思ったのか)を、他人である私がわかるはずがない。その「わからなさ」を、しかし、岩佐は追いかけている。追いかければ「わかる」にかわるという保障はない。
途中を端折って、最後。
もはや
いやはや
と岩佐自身が投げ出している。
詩とはそういうものだろうと、私は思う。「結論」はないのだ。「結論」は、つまずいた瞬間にある。何かを変だな、これは何なのだろうと思った瞬間にある。そのわからないものを、別のことばで言い換えてみる。そのときのことばの運動のなかにある。「結論」にたどりついたら、それは詩ではなく、もっと別なものだ。
したわしいね
岩佐は、瞬間的に、そう思った。そのことばが動いた。私には絶対に思いつかないことばが、その瞬間に動いている。これを、私は信じるのだ。
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定員30人。
週1篇、月4篇以内。
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(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
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作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。
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また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
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