詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『梅爾詩選』(竹内新訳)

2020-07-05 09:14:24 | 詩集


『梅爾詩選』(竹内新訳)(中国現代詩人シリーズ3、監修=田原)(思潮社、2020年05月25日発行)

 『梅爾詩選』(竹内新訳)を読み始めてすぐ、私は奇妙な感覚にとらわれた。いままで読んだ竹内訳とはまったく印象が違う。非常に読みやすい。不思議だ。竹内の訳し方が変わったのか、梅爾という詩人が、これまで竹内が訳してきたまったく違うタイプの詩人なのか。

何者が私のみぞおちを踏みつけて痛みをもたらしているのだろう

 巻頭の「荒涼とした出会い--マチュピチュ」をの一行目を読んだだけで、そのことばが私の肉体を整えにくる。
 「私のみぞおちを踏みつけて痛みをもたらしている」ということばのなかには、ふたつの「肉体」がある。「私のみぞおち」と「踏みつける」だれか(何者か)の「肉体」。それが「痛み」ということばで結びつくのだが、それは「私のみぞおち」から生まれる(自動詞)ではなく、「もたらされる」(もたらす/他動詞)なのだ。
 人が出会っている。
 マチュピチュ。そこで梅爾はだれかに会っている。しかし、そのだれかはいまここにいないだれかである。マチュピチュを築いただれかなのである。

リャマに背負われた民族は優しかった
優しさを背負う苦しみは
コカの葉から汁を滴らせ
高地の歌は天と同じく深く青くて果てしない

 「高地の歌」と「天」。その「人情」と「非情」の出会いを「深く青くて果てしない」と「非情」に重心をおいてことばにするのは「漢詩」そのものである。しかし、その直前に繰り返されている「優しい」(優しさ)と「苦しみ」の結びつきが、なんとも不思議である。
 これはいったい、何なのだろうか。
 私は大急ぎでことばを読み進む。

 二篇目。「双河鍾乳洞」。

私は火炎を呑んだり吐いたりして
裂けて崩れ落ちる経験も経てきました
腸が千切れるほどの痛みに向けて水がなみなみと注がれました

 これは鍾乳洞という地底の変化を描写したものかも知れないが、「腸が千切れる」(断腸の思い)ということばに集約される「漢詩」そのもの。その古典を踏まえて、ことばはつづいている読んだ。「愛のドラマ」として読んだ。

それは私の深く澄み切った血液です
傷口はもう癒合しません
あたり一面の石の花は 成長しています
カルシウム化する大小の池は
あなたの棚田です
あなたの歳月のなかで 彼女たちは一様に花を咲かせ実を結びます
あなたの温もりは彼女にとっては陽当たりであり
あなたの眼差しは 七億年のトンネルを通り抜けて
彼女の身体に注がれ そこには深い情愛があふれます

 「七億年」という時間のとらえ方に、やはり「中国」を感じるのだが、繰り返される「あなた(彼女)」ということば、そしてそれを「私」と重ね合わせ、「深く澄み切った血液」として引き受ける。そのときの「肉体感覚」。これに、私は震える。こういう「肉体の整え方」を私はしたことがない。
 拉致被害者の横田めぐみさん。その父親の横田滋さんが亡くなったとき、安倍は「断腸思い」と言ったが、そのことばの響き(肉体の整え方)とはまったく違うものがある。安倍のことばには、私は腹が立ったが、この梅爾のことばの動きには、私の想像をはるかに超える何かがある。私の「肉体」ではつかみきれない何かがあって、それが私の「肉体」を整えにくる。
 具体的に言うと、「深く澄み切った血液」の「深く澄み切った」ということば。「熱く駆け抜ける血液」なら、私は想像できる。だが「深く澄み切った血液」ということばに出会った瞬間、私は頭を殴られ、「肉体」を否定される。私の「肉体」は「頭で考えた肉体(断腸)」でしかなかった。私は安倍のことばに腹を立てたが、梅爾から見れば、「安倍の一人」にすぎないだろうなあ、という感じである。
 「あなた」を繰り返し、「彼女」を繰り返す。そのとき、梅爾は攫われた子どもを追いかけて死んだ母猿そのものである。この「一体感」は、どうしてだろう。地底の変化、地球の変化を、まるで母胎のドラマのように書く。この巨大な感覚は何だろう。

 私は、詩を読むとき、その人の「来歴」を気にしない。何歳だろうか、どういう仕事をしてきたのかを気にしない。しかし、こんなに強く私の肉体に働きかけてくることばは、どこからくるのか気になった。焦ってしまった。そして、まだ二篇目の途中というのに、我慢できずに巻末に書かれている「略歴」を読んだ。そして、「ええっ」と大声をあげてしまった。

梅爾詩は独自のイメージを有し、激情と張力に満ち、人はしばしば彼女が女性であることを見落としてしまう。

 女性だったのだ。
 私は何の根拠もなく梅爾を男だと思っていた。竹内の訳してきた中国詩人が男だったからかもしれない。
 ここに書かれている「肉体」は「女の肉体」である。女の肉体と向き合えば、当然、男の肉体は「変更」を迫られる。女の肉体には、男の肉体を超越するものがある。たどりつけないものがある。それが、ぐい、と迫ってくる。
 それはあからさまに言えば「勃起しろ。その性器で快楽を引き出してみろ」というようなものであるときもあるが、性交を越える「愉悦」を知っているかという「思想」そのものに語りかけてくるときもある。
 梅爾のことばが私の「肉体」に語りかけてきたのは、後者である。
 私は梅爾を男だと思っていた。そして、そのことばが、私の知らない巨大な何か、私の肉体を超越する何かを平然と、しかも柔らかさに満ちたことばで語っていることにびっくりした。その超越があまりにも大きく、私の手には決して届かない。それなのに不思議なやわらかさがある。
 女は「いのち」を生む。自分の「肉体」をふたつにわけて、自分以外の「肉体」を出現させる。そのとき、女の肉体のなかで、ことばのなかで何が起きているか。それを私は「私の肉体」として、何も知らない。その「知らない」何かが、私の「肉体」を整えにくるのである。
 梅爾は、そういうことを「明確」に言っているわけではないが(どこかで言っているかもしれないが)、私はそれを感じてしまう。
 ことばの出方、ことばを「肉体」にしていくときの響きがまったく違う、と私は感じてしまうのだ。

 そうだったのか、と思い、「マチュピチュ」を読み返してみる。

私は練兵場で馬に鞭を当てるが
この東方の女はどうすれば 豪胆によって
おまえを滅亡から救い出す空想ができるというのだろう

 「私」は「東方の女」であると、明確に書かれている。しかし、私は読み落としていた。「滅亡から救い出す空想」ということばが、いわば「男の空想」の「定型」だからである。(私は、こういう「空想」を男の「定型」と感じている。--ここでは、私は、梅爾を完全に男であると確信している。勘違いというよりも、確信、がそのときの私の意識だ。)

口の閉じられた石は鉄と同じように重々しい
その昔に振り上げられたハンマーが
クスコの虚空を叩いている
黄金は不死だといっても それは
おまえの存続と引き換えられるものではかった(*)
王は油絵のなかに戦々恐々として座し
ヨーロッパの鎧兜、邪悪な馬と向き合っている

クスコの笛の音には悲しみが流れている
おまえは侵略と野蛮のなかにある文明を解読できず
太陽神は一撃に耐えられないのだった
苦難はまだ始まったばかりだった
   (*「はかった」ではなく、私は「なかった」と「な」を補って読んだ)

 このことばもよく読めば「女らしさ」があふれている。しかし、私は李白のやわらかな音楽が梅爾のなかに動いているのだとかってに想像していたのだ。いかにも中国、漢詩の伝統の国の悠久につながることばだと「先入観」で読んでいたのだ。「先入観」で読んだから、「東方の女」を読み落とし、このことばは不思議だと感じたのだ。
 「不思議」ではなく、「当然」のことばなのに、その「当然」につきあたれずに「不思議」ということばで、私自身をごまかしていたのだ。

 詩集のつづきを読み、感想を書くには、いったん私の「態勢」を整えなおさないといけない。
 だから、きょうの感想は、ここまで。

 (竹内の翻訳は、梅爾が女であることによって変化したのか。女の肉体に、竹内も反応しているのか。よくわからないが、他の詩人の翻訳に比べると、今回の詩集は非常に読みやすい。まだ二篇目の途中までしか読んでいないのだが。そして、私のこの感想は、その読みやすさに引き出されたものなので、そのことを書いておく。)





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