『梅爾詩選』(竹内新訳)(2)(思潮社、2020年05月25日発行)
詩集を読むとき、私は、行き当たりばったりに読む。最初から順に最後まで読むということはない。特に、近年はページが多いので、読み通すのに体力がいるから、どうしてもその日その日、気の向くままにという感じになる。
きょうは『梅爾詩選』(竹内新訳)の「夢に清渓湖に帰る」という詩を読んだ。タイトルが、いかにも「漢詩」らしい。「夢に」の「に」のつかい方が「漢詩」の「読みくだし」を思い出させ、ちょっと緊張する。
夜のなかを母鹿がやって来る
まなざしは静まり返った湖面のように優しく
蹄の跡はにじみ出た水に満たされ
月の光がこうこうと降り注いでいる
小さな鴛鴦は抱き合い眠っている
梅爾が女性だと知ったので、そんなに驚きはしなかったが、女性と知らなかったら「蹄の跡はにじみ出た水に満たされ」ということばで、私はじっと立ち止まったと思う。女性と知っているので、「ほっ」くらいの感じで次の行に移った。移ったけれども、やっぱり少し違う何か、私の「肉体」を刺戟してくる「正しさ」、おまえは間違っているぞ、と叱責する声を聞き、立ち止まることにしたのだ。つまり、このことを書いておこうと思ったのだ。
他の詩人のことば、男のことばと、どこが違うのか。
大岡信だったと思うが、春のなぎさを少女が歩く詩がある。砂浜に足跡がある。その足跡のかたちに水がにじむ、というような繊細な描写がある。古今・新古今派に通じる繊細さであり、そこには何か、繊細さを知っているんだぞという「みえ」(みせびらかし)のようなものがある。男が書くと、繊細は、どうしてもそうなる。
梅爾も「蹄の跡はにじみ出た水」と書いている。視線は大岡と同じように動いている。しかし、そのあとに「満たされ(る)」という動詞がつづく。私は、ここに驚く。踏みしめた土の下から水がにじみ出る、ということを発見し、ことばにするだけではないのだ。それがどうなるかを見守っている。この「見守る」という感覚が、私にとっては驚きである。あ、そうなのだ。何かを発見したら、それがどうなるか「見守る」ということが必要なのだ。発見で喜んでしまってはいけないのだ。(ということもないのかもしれないけれど。)
そして、この「見守る」に、私は私が忘れている「女性の正しさ」を感じる。「見守る正しさ」とは、産んだ子どもを「見守る正しさ」である。こう書いてしまうと、女性に何かをおしつけている、女性差別だという批判が返ってくるかもしれないが、それを承知で私は書く。「見守る」は「時間をかける」であり、「寄り添う」でもある。そしてそれはいっしょに何かをする(共同で何かをする)ということではなく、何が起きようとも私はお前の傍にいる。お前は、もうひとりの私なのだという感覚だろうと思う。
「時間をかける」という感じは、水が蹄のかたちを満たすのをみつめたあと、さらに「月の光がこうこうと降り注いでいる」という時間をみつめ、そこから「小さな鴛鴦は抱き合い眠っている」へとつながっていく。ここに「静かな動き」(静かな連絡/接続)がある。別のもの(切断されたもの)なのに、つながっている。それは「見守る時間」がつなぐものなのだ。
そういう「時間」が私の「肉体」のなかに入ってくる。
この切断と接続、不思議な距離は、つづきを読み進むとこんな風に言い直されている。
私は清らかな魚
遥かな夜のなかで
水からセンチメートルの彼方にいる
「センチメートル」。何センチか書かれていない。他の詩には「三メートル」というようなことばがあったが、その距離に比べると非常に近い。近いけれど「彼方」と梅爾は言う。自分が産んだ子ども。しかし、生まれてしまったら、もう全体に「一体」になることはないという「彼方」の「絶対性」がある。これが女性の「肉体感覚」なのだろう。
この「距離感」にも、私は立ち止まる。それは頭で想像はできるが(だから、これが女性の「肉体感覚」なのだろう、と書いたのだが)、私は「肉体」で実感していない。だから、それを実感し、ことばにする「肉体」に出会うと、何か、自分の「肉体」そのものを整えられるような気がするのだ。
こんな言い方が正しいかどうかわからないが、「肉体」が勃起する感覚、刺戟を受け、目覚める感じになるのだ。性器が、ではなく、ことばが勃起して、ことばを射精しろ(書いておけ)と励まされるのだ。そして、私はそれをそのまま書く。
脱線したが、さらに読み進むと、詩はこう展開していく。
険しい峰の橋を渡り悠久の岩の谷川を渡って
風景を心ゆくまで見てから
酔っ払ったコオロギのように
北斗七星島の港に停泊し鴛鴦の娘に眼差しで
思いを伝えるほど素晴らしいことはない
「鴛鴦の娘」と「娘」を出してくるところなど、「男」の詩人とかわりはないが、これは梅爾の「男性(おとこ・せい)」というよりも「性(ジェンダー)」を超越した視点なのだと思う。どうして「性」を超越してしまうか。「心ゆくまで見てから」ということばがあるが、「心」が満足してしまったから、「性/肉体」は二の次になるのだろう。この感じを「酔っ払った」とも書き直している。
そしてこの「素晴らしい」瞬間のなかに、「眼差し」ということばがあることからわかるように、これはこれで「見守る」の一形態なのだ。
こういう行を経たあと、詩は最終連にたどりつく。
私はもう目を覚まさず綿の花のなかに横たわり
おまえを哀惜することができる
おまえの心が翡翠のようでありさえすれば
私は断崖に眺められるその瀑布と青苔のあたりで
もう一億年おまえを見守る
私の「誤読」は、梅爾の「見守る」ということばにのみこまれ、「正しい」にかわる。最初の連で「見守る」ということがこの詩のキーワードだと「肉体」で私は感じたのだが、それが「ことば」になって、ここにある、と感じる。
こういうことは、またまた不謹慎な表現になるかもしれないが、「ことば」でセックスし、いっしょに絶頂に達したような快感!
でも、これはもちろん私の「誤読」。梅爾は私の「肉体」も「ことば」も問題にしていない。私は「時間」をせいぜい自分の一生としか考えていないが、梅爾は「一億年」と書いている。
最後に私は、梅爾にぶん殴られるのである。お前の肉体は間違っている。だからたかだか七十年かそこらしか生きられない。女の私は一億年生きるのだ、ざまあみろ。悔しかったら、一億年生きてみろ、と言われてしまうのだ。
この「絶対的正しさ」に、私は、ただ立ち止まるだけである。私の感想は、ただの妄想。独りよがりだ。
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