詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

りょう城『しあわせなはいじん』

2020-07-21 17:17:47 | 詩集


りょう城『しあわせなはいじん』(モノクローム・プロジェクト、2020年01月20日発行)

 きのう、朝日カルチャーセンターの講座で、りょう城『しあわせなはいじん』のなかの一篇を読んだ。どれを選ぶか迷ったが、いちばん「わかりにくい」だろうと思うものを選んだ。言い直すと「抒情」から遠い作品。「ホットケーキ」。

ホットケーキを焼くときみたいに
私の顔を焼くとき
小さな泡が追い出される
泡は云う
「ぷす、ぷすです」
「ぷつ、ぷつなんですよ」

カーテンはめくれ
傾いた七色の陽光が
私の穴を照らしだす

穴の先は キラキラした
真っ黒な宇宙だ

じつに、動きある、
光ある、まっ黒な、
死の世界

たのしいゆうげ
ホットケーキのクレーターの顔面
カーテンは静かに月を透かしている

穴は貫通している

 二行目の「私の顔を焼くとき」とはなんだろう。「私の顔」をどうやって焼くのだろうか。ホットケーキを焼くみたいにフライパンで焼くのか。そんなことはできない。だから、わからない、とひとりが言う。
 「穴の先に、光があって広がっていく感じが、何かおもしろい」とひとりが言う。わからないけれど、何か、不思議。
 「私というのは、ホットケーキを焼いている私ではなく、焼かれているホットケーキになった気持ちなのかなあ」と別のひとりが言う。
 この「私はホットケーキ」という「誤読」を積極的に推し進める。強引に「ホットケーキになって、ホットケーキがしゃべっている、と思って読み進める。
 「焼く」ではなく「焼かれる」。「焼かれるホットケーキを見ている(見ながらホットケーキを焼いている)」と読んでみる。
 ホットケーキを焼くと、気泡が出てきて、それが「穴」になる。「ぷす、ぷす」という音が聞こえる? 「ぷつ、ぷつ」という音が聞こえる? 作者のりょうは、その両方を聞いている。
 ここには「区別できない」私がいる。「私」はホットケーキを焼いている。「私」は焼かれている強力粉(薄力粉?)でもある。これは、焼かれている強力粉の「気持ち」がわかるということ。「わかる」は想像してみるということ。
 「ぷす、ぷす、ぷつ、ぷつ」の穴。その穴を見ていると、

穴の先は キラキラした
真っ黒な宇宙だ

じつに、動きある、
光ある、まっ黒な、
死の世界

 それが事実だと仮定して、では、このことばはだれが言ったことばなのだろうか。だれの感情(気持ち/思考)をあらわしているのか。ホットケーキを焼いている私か、私に焼かれているホットケーキか。
 わからない。
 わからないことが重要なのだ。
 わからないものがあり、(ことばにならないものがあり)、それをことばにしようとすると、どうしても「非論理的」になってしまうけれど、それは「必然」なのだ。
 これを「わかる」ように文法的に「修正」してしまうのではなく、修正しないまま、ことばにしてしまう。
 キラキラしている。でも真っ暗とも感じる。光がある。でもまっ黒。死の世界が動いている。死というのは、もしかすると食べられてしまう(焼かれてしまった)ホットケーキの感じかもしれない。キラキラというのは、食べるとおいしいぞと思う人間の気持ちかもしれない。
 あるいは、これは、もしかしたら何かいやなことがあって、その鬱憤晴らしにホットケーキを焼いて、「食ってやる」と思っているのかもしれない。焼きながら思い出した「こんちくしょう」という気持ちが「ぷす、ぷす、ぷつ、ぷつ」込み上げてくる。「こんちくしょう」と思うのは、人を憎むと思えば「まっ黒な感情」かもしれないけれど、「怒り」というのはどこか輝かしい美しさに満ちている。キラキラしている。真剣に怒っているひとは、どこか美しいものを持っている。
 複雑な感情の交錯がある。それが、がホットケーキを焼く(焼かれる)ときの「フライパン」の上で出会っている。
 人間は、人間の気持ちを想像できるのはもちろんだけれど、存在しないはずのホットケーキの気持ちも想像できてしまう。そして、そこから、その二つを区別せずに、人間でも、ホットケーキでもない「何か」になって「世界」を考えてみることができる。
 この「何か」は人間でも、ホットケーキでもない。だから、その「何か」が考えることは、私たちが話す「日本語」と違っていても、ぜんぜんかまわない。

穴の先は キラキラした
真っ黒な宇宙だ

じつに、動きある、
光ある、まっ黒な、
死の世界

 矛盾しているけれど、それで、いい、のだ。
 最初は矛盾していても、それを考え続けていると矛盾を突き飛ばして、何かが動いている。ことばが、生まれてくる。

穴は貫通している

 りょうが書こうとしている「穴」には底がない。「貫通している」。トンネルみたいにつながっている。
 でも、何と何?
 ホットケーキを焼く私と、私に焼かれるホットケーキを「穴」をとおしてつながっている。そのつながりを予感しながら、ことばを動かし、最後に「貫通してしまう」(つなげてしまう)というのが、この詩なのだ。

 最後に、ひとりが、こんなことを言った。
 なんだかとんでもないことを書いているのだけれど、そういうとんでもないことが起きているとき、やっぱりカーテンは揺れて、夕暮れの傾いた太陽がキッチンに射してくるという日常の細部が具体的に書かれている。それが、いい感じだなあ。
 キッチンから宇宙まで貫通するものがある。ホットケーキのプツプツの穴と、月のクレーターが重なる(つながる)みたいに。

 こういう感想に出会えたとき、詩を一緒に読んでいることが楽しくなる。ひとりで読むよりも、多くの人と読みながら、語り合うことが楽しくなる。



 わかりやすい詩を紹介しておく。「耳すなどけい」。

ねむれない夜
まくらに耳をつけると
うごきだした

耳すなどけい

記憶の向こうから
夜のまんなかへ
さらさら
流れだした

親しく
なつかしい
つぶ

寝返りをうつと
耳から
あまのがわ
あふれた

 耳に響いてくる鼓動の音。それを「砂時計」という比喩にしている。寝返りを打つとき、その一粒、二粒がこぼれ、こぼれ始めるとどっとひろがっていく。それは「あまのがわ」みたい。
 つらいことがあって、耳に鼓動が響いてくるのだろうけれど(それを聞いてしまうのだろうけれど)、それが最後に「天の川」にかわる。
 美しいし、「意味」をつけくわえたくなる。「抒情」にしてしまいたくなる。
 
 こういう詩もいいけれど、「ホットケーキ」のような、抒情を叩き壊すことばのパワーをもった作品の方が、私は好きだ。













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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(84)

2020-07-21 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (ぼくを疑うのか)

小児の掌ほどに世界が小さくなつて
ぼくの胸におさまるのだ

 これは願望だろうか。それとも絶望だろうか。
 「小児の掌」をどう読むか。純粋さと読むか、脆弱さと読むか。「小さくなる」は否定的なイメージをもつが、純粋さ(結晶)にもつながる。
 おそらく嵯峨は「願望」(希望)のようなものを書こうとしているのだと思う。多くの嵯峨の詩にあるのも、そういう「青春の夢/抒情」だからである。
 だからこそ、私は「絶望」と読んでみいたい気持ちに襲われる。「ぼくも絶望することがあるのだ/絶望を疑うのか」と叫んでいると読みたい気持ちになる。
 理由はない。



*

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