詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(76)

2020-07-09 10:22:33 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (水よ)

空へとどこうとして
急に無一文になつて地獄へ落下する水よ

 「無一文」と「地獄」が唐突に出てくる。
 「水」が比喩なのか、「無一文/地獄」が比喩なのか。
 「地上」と言わず「地獄」と言うところに、これを書いたときの嵯峨の壮絶さがあらわれている。
 「急に」ということばこそ書きたかったのかもしれない。「急に」だけは比喩ではなく、実感そのものだ。

 たぶん「思想(肉体)」は特別なことば(意図して書かれた比喩)に表れるのではなく、だれもがつかうことばに無意識にあらわれるものなのだ。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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加藤 治郎#自由律つぶやき

2020-07-09 08:36:35 | 詩(雑誌・同人誌)
加藤 治郎がフェイスブックで「#自由律つぶやき」を書いている。
「自由律俳句」と主張しているわけではないのだが、「自由律句」として、私は読んでいる。
7月9日の作品は、

地下鉄混んでいる大雨の朝

あ、これいいなあ。
「大雨の朝」の「朝」がいい。
どこまで「特定」するかというのは人の好みだろうけれど、「大雨の日」では見えてくる情景がまったく違う。「大雨の夕方(帰宅時間)」「大雨の夜」とことばを動かしてみると、「朝」がいかに的確かということがわかる。
しかし、その「的確性」を強調していない。それこそ「つぶやき」のように、自然にもれてきたもののように書かれている。
これが、この句を「自由」にしている。おもしろくしている。

フェイスブックには「シェアマーク」がなかったのだが、コピー&ペーストで、強引に「シェア」してしまう。
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