秋山基夫『シリウス文書』(思潮社、2020年06月20日発行)
秋山基夫『シリウス文書』。「パープルレター」「和歌二十八首を読む」がおもしろいのだが、文字が多くて引用に手間がかかる。
「句集評」には「大野呂甚大句集『くりごと』を読む」という副題がついていて、これも刺戟的なのだが、この句集がほんとうにあるかどうかわからない。句集を捏造して、秋山が評を書いている、ということばの運動かもしれない。そういう意味では、この作品について書くと、いちばん秋山に接近できると思う。ただし、句集が捏造である、という前提である。「現実」など、どこにもないのだ。「生活」というものもない。あるのはただ「ことば」だけだ。
この決意のような潔さは、とても気に入っている。
でも、きょうは、どうも目の調子がよくない。だから「マンダラ」を引用しながら感想を書く。私は秋山とは違って、いつでも「現実」しだいでことばが変わってしまう人間である。
だからこそ、秋山の、現実なんか関係ないという潔さが気持ち良く感じられるのだろう。
さて。どう書こうか。こんな部分がある。
中空へたましいがふらふら昇る
黒髪を撫でたお方を恋いこがれ
夢の夢よりもはかない世に臥し
山の端に出る月を待っています
和歌にありそうなことばの動きだなあ。「新しさ」は感じない。けれど、私のことばが整えられるのを感じる。
この四行は、ことばを整えて書かれている。それは一行の文字数がそろえられているという「形式」をとおしてもうかがえる。
そして、この「形式」というのは、私は一行の文字数を例に上げたが、そういう表面的なものではなく、ほんとうは何かもっとことばの内部構造のようなものに属している。ことばの肉体。秋山のことばは、鍛えられた肉体を持っているのである。
月はむかしのゆめの月ではない
春はむかしのゆめの春ではない
「月はむかしの月ではない/春はむかしの春ではない」ならば、すでに和歌で歌い尽くされたことだ。しかし、そこに「ゆめの」ということばを補うだけで、世界が二重化する。「むかし」というのは「ゆめ」なのだとわかる。「ゆめ」とは「ことば」という意味でもある。「ことば」にするから「むかし」が「むかし」として「いま」に蘇る。そういう、かけはなれたものを「いま」に呼び寄せる運動が「ことば」であり、「ことばのゆめ」、つまり「ことばの欲望」なのだ。それを秋山は生きている。
この「欲望」は、不思議なことに、鍛えないと衰えてしまうものなのだ。
秋山は、「ことばの肉体(欲望)」を鍛え続けている。それが、私には、一種のリズムとして響いてくる。
若い人の「ことばの欲望」は鍛えられた欲望というよりも、剥き出しの、整えられない欲望である。そういう若い人の欲望についていくのは、かなり厳しいが、秋山の欲望になら、まだついていけると、私は感じる。
たぶん、どこかで同じような鍛え方をしているのだろうと思う。ある意味で、ことばの鍛え方には「時代」が反映するということかもしれない。
こんな部分もある。
ほろほろと山吹散るか滝の音 芭蕉
熱風が夏のひと月を襲いつづけひとむらの山吹が枯死した
わしゃあやっぱ山吹の黄色が黄色の中の黄色じゃ思うとる
吉野川岸の山吹ふく風に底の影さへうつろひにけり 貫之
「わしゃあやっぱ」は口語だが、口語は口語で「欲望」の整え方があるのだ。その整え方が、この一行を支えている。私はなんとなく「仁義なき戦い」の菅原文太の「声」を思い出すのだが、私も秋山も、ひとが大声で主張する「声のリズム」を聞いて育った世代だろう。この一行は「大声」で発せられたものではないかもしれないが、「大声」をだすことができるのだという「強さ」、いいかえると「どす」を秘めている。「欲望」を矯めている、という力を感じさせる。
そういうものが、芭蕉と貫之のことばを叩き壊して、あざやかに噴出している。
こういうのは好きだなあ。
いまは、若者が大声で主張するということがなくなった。そういうことも反映しているかもしれない。……と書くと、また違った問題になるかもしれないが。
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