永島卓『永島卓詩集』(砂子屋書房版「現代詩人文庫」)。(その5)
『なによりも水が欲しいと叫べば』(1984年)。
「新川橋」「水門橋」「鼬橋」……と橋が次々にタイトルになって登場する。すべて実在の橋なのだと思う。橋の下の水は「油ヶ淵」に通じているらしい。碧南市へは私は行ったことがないが、おびただしい橋を永島のことばにしたがって渡るとき、とても不思議な気持ちになる。橋の一つ一つは別個なものなのに、必ずそこで永島に出会うので、どれもこれもが区別がつかなくなる。その区別のつかない濃密さのなかで、私は酔っぱらってしまう。ことばのうねりに。ここにあるのは橋ではなく、永島の肉体である。ことばをうねらせる永島の肉体である。
「明治橋」の書き出しの2行。
このうねる文体は、主語・述語・修飾節というふうに分析しても、何かがわかるわけではないと思う。1行目は「わたしの幻想は」(主語)「腐敗していた」(述語)と分析できるかもしれない。2行目は「わたしの橋は」(主語)「見つめていた」(述語)と分析できるかもしれない。だが、そう分析したところで、いったいどうなるわけでもない。「明治橋」の何がわかるわけでもない。そこからどんな風景が見えるのか。たとえば市役所が見えるのか、鉄橋が見えるのか、学校が見えるのか。「橋」を書きながら、実は橋そのもの、その橋の意味(碧南市にとってその橋が地理的にどういう意味を持っているか、あるいは歴史的にどういう意味を持っているか)は無視されている。
ここに書かれているのは「橋」ではないのだ。
1行目、2行目の主語を「わたしの幻想は」「わたしの橋は」と私は定義してみたが、本当の主語は「幻想」「橋」ではなく、そのことばを修飾する「わたしの」の「わたし」なのである。この2行には「わたしの」という表現はは1回ずつしか登場しないが、本当は無数に「わたしの」が隠されているのだ。
ここに省略されている「わたし」は少しずつ違っている。つまり、「わたし」とはいつでも一人であるけれど、常に一人以上「わたしたち」という存在であり、ある一瞬一瞬において「わたしたち」を構成する世界は違う。「風景が老いる」と感じる「わたし(たち)」、「残党」という意識を持つ「わたし(たち)」……。それぞれに違っているけれど、そのどれもが「わたし」にとっては、「わたしの」肉体から切り離すことができないものである。「わたしの」肉体のなかにうごめき、ことばになろうとしている。ことばになろうとしてなりきれなず、すべてがからみあい、粘着質をつくっている。「わたし」とからみあうというより、書かれていない「わたし(たち)」とからみあい、強い粘着力で結びついている。そのために一直線にことばは動かない。必ず、うねる。
そのうねりのなかで、これは「わたし(たち)」とは矛盾したいい方になってしまうが、永島は「わたし(たち)」から「わたし」を引き剥がし、「わたし」そのものになろうとする。「わたし(たち)」を生きながら、そのなかで「わたし」とは何なのか問い、「わたし」を引き剥がすことで、同時に「わたし(たち)」を照らしだそうとする。
「わたし(たち)」を無視して「わたし」と単独で(孤立して)、ことばを動かすことができなれば、永島はもっともっと簡単にことばを動かすことができるだろう。「うねり」のある文体ではなく、だれにでも主語・述語がめいかくにわかる、「意味」の明確な文章を書くことができるだろう。
だが、永島は、そういうことをしたくないのだと思う。
「わたし」は常に「わたし(たち)」である。「わたし」は碧南市に住んでいる。そこには無数のひとの生活があり、その生活の積み重なりと永島自身がどこかで重なっている。「見えない橋」が永島と無数のひとをつないでいる。そのつながりのなかに永島は生きている。そのことを無視して「意味」を明確にしても何にもならない。
ことばは誰かに通じればいいというものではない。ことばはいっしょに生きているひと、触れ合うひととわたしを結ばなければならない。「ひとみさん」(「ひとみさんこらえるとゆうことは」の登場する人物)に語って、それが通じなければ、ことばではないのである。「ひとみさん」につたえるためには、ひとみさんの肉体が吸収できることばでなければならない。肌と肌を重ねるとき、無言で通じる何かがあるが、その無言の力に似たものを取り込むために、永島は無数の「わたし(たち)」をくぐりながら「わたし」を差し出すのである。肉体としてのことばを差し出すのである。
『なによりも水が欲しいと叫べば』(1984年)。
「新川橋」「水門橋」「鼬橋」……と橋が次々にタイトルになって登場する。すべて実在の橋なのだと思う。橋の下の水は「油ヶ淵」に通じているらしい。碧南市へは私は行ったことがないが、おびただしい橋を永島のことばにしたがって渡るとき、とても不思議な気持ちになる。橋の一つ一つは別個なものなのに、必ずそこで永島に出会うので、どれもこれもが区別がつかなくなる。その区別のつかない濃密さのなかで、私は酔っぱらってしまう。ことばのうねりに。ここにあるのは橋ではなく、永島の肉体である。ことばをうねらせる永島の肉体である。
「明治橋」の書き出しの2行。
風景が老いるように油ヶ淵の人称にまつわるわたしの幻
想はどこまでも捨てきれぬ残党としてのみ成立する橋
を囲みながら少しずつ腐敗していた
たえまなく跫音が去ってゆくとき歳月とともに孤立する
わたしの橋はだれに告げることもなく累積した感情の
債務を背負い風土の陰で息づくものたちを見つめてい
た
このうねる文体は、主語・述語・修飾節というふうに分析しても、何かがわかるわけではないと思う。1行目は「わたしの幻想は」(主語)「腐敗していた」(述語)と分析できるかもしれない。2行目は「わたしの橋は」(主語)「見つめていた」(述語)と分析できるかもしれない。だが、そう分析したところで、いったいどうなるわけでもない。「明治橋」の何がわかるわけでもない。そこからどんな風景が見えるのか。たとえば市役所が見えるのか、鉄橋が見えるのか、学校が見えるのか。「橋」を書きながら、実は橋そのもの、その橋の意味(碧南市にとってその橋が地理的にどういう意味を持っているか、あるいは歴史的にどういう意味を持っているか)は無視されている。
ここに書かれているのは「橋」ではないのだ。
1行目、2行目の主語を「わたしの幻想は」「わたしの橋は」と私は定義してみたが、本当の主語は「幻想」「橋」ではなく、そのことばを修飾する「わたしの」の「わたし」なのである。この2行には「わたしの」という表現はは1回ずつしか登場しないが、本当は無数に「わたしの」が隠されているのだ。
(わたしの)風景が老いるように(わたしの)油ヶ淵の(わたしの)人称にまつわるわたしの幻想はどこまでも捨てきれぬ(わたしの)残党としてのみ成立する(わたしの)橋を囲みながら少しずつ腐敗していた
ここに省略されている「わたし」は少しずつ違っている。つまり、「わたし」とはいつでも一人であるけれど、常に一人以上「わたしたち」という存在であり、ある一瞬一瞬において「わたしたち」を構成する世界は違う。「風景が老いる」と感じる「わたし(たち)」、「残党」という意識を持つ「わたし(たち)」……。それぞれに違っているけれど、そのどれもが「わたし」にとっては、「わたしの」肉体から切り離すことができないものである。「わたしの」肉体のなかにうごめき、ことばになろうとしている。ことばになろうとしてなりきれなず、すべてがからみあい、粘着質をつくっている。「わたし」とからみあうというより、書かれていない「わたし(たち)」とからみあい、強い粘着力で結びついている。そのために一直線にことばは動かない。必ず、うねる。
そのうねりのなかで、これは「わたし(たち)」とは矛盾したいい方になってしまうが、永島は「わたし(たち)」から「わたし」を引き剥がし、「わたし」そのものになろうとする。「わたし(たち)」を生きながら、そのなかで「わたし」とは何なのか問い、「わたし」を引き剥がすことで、同時に「わたし(たち)」を照らしだそうとする。
「わたし(たち)」を無視して「わたし」と単独で(孤立して)、ことばを動かすことができなれば、永島はもっともっと簡単にことばを動かすことができるだろう。「うねり」のある文体ではなく、だれにでも主語・述語がめいかくにわかる、「意味」の明確な文章を書くことができるだろう。
だが、永島は、そういうことをしたくないのだと思う。
「わたし」は常に「わたし(たち)」である。「わたし」は碧南市に住んでいる。そこには無数のひとの生活があり、その生活の積み重なりと永島自身がどこかで重なっている。「見えない橋」が永島と無数のひとをつないでいる。そのつながりのなかに永島は生きている。そのことを無視して「意味」を明確にしても何にもならない。
ことばは誰かに通じればいいというものではない。ことばはいっしょに生きているひと、触れ合うひととわたしを結ばなければならない。「ひとみさん」(「ひとみさんこらえるとゆうことは」の登場する人物)に語って、それが通じなければ、ことばではないのである。「ひとみさん」につたえるためには、ひとみさんの肉体が吸収できることばでなければならない。肌と肌を重ねるとき、無言で通じる何かがあるが、その無言の力に似たものを取り込むために、永島は無数の「わたし(たち)」をくぐりながら「わたし」を差し出すのである。肉体としてのことばを差し出すのである。