詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ペドロ・シモセ『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり』

2013-01-07 10:23:45 | 詩集
ペドロ・シモセ『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり』(細野豊訳)(現代企画室、2012年10月20日発行)

 ペドロ・シモセはボリビアの日系詩人、と帯に書いてある。ボリビアの詩を読むのは私は初めてである。ラテンアメリカの小説は少し読んだが(もちろん日本語でだけれど)、そこでもボリビアの小説家には私は出会っていない。ボリビアの「文学」そのものに出会うのがこれが最初である。
 ボリビアと感じていいのかどうかわからないが、「中南米(ラテンアメリカ)」という印象につながるのは次のような詩だ。

フィデル・カストロあるいはサルバドロール・アジェンデが語るとき、
わが祖国の飢えた子供たちが語っているのだ、
ラテンアメリカの河と風が、
その山脈が、パナマ人のパナマ運河が、
アコンカグア山、モモトンボ山、チンボラソ山が語っているのだ。

わたしがわが祖国を歌うとき、わたしはラテンアメリカの民衆を歌っているのだ。
                     (「ラテンアメリカについての論説」)

 「わたしがわが祖国を歌うとき、わたしはラテンアメリカの民衆を歌っているのだ。」この1行にはあることばが隠されている。
 「わたしではなく」「わが祖国ではなく」。つまり、

わたしがわが祖国を歌うとき、
それはわたし自身を歌っているのでもなければ、わが祖国を歌っているのでもなく、
わたしはラテンアメリカの民衆を歌っているのだ。

 あえて3行にわけて書いてみたが、それは「個人(個別)」ではなく「民衆」を歌っている。そこには「わたし」は不在なのだ。
 「わたし」の不在はペドロ・シモセだけのことではない。カストロにおいてもアジェンダにおいても「わたし」という「個人」は不在なのだ。「わが国」も不在なのだ。そのかわりに「民衆」がいる--というのは文字通りの「解釈」になってしまうが、でも「民衆」ということばも、この詩にはあまり適切とは思えない。「わたしの不在」のかわりに「民衆」がいる、というのでは、どうも落ち着きが悪い。
 では何が存在するのか。

自由のことを思うとわたしの胸は張り裂ける。
                               (「自由の家」)

 「わたしの不在」のかわりに「自由」が存在する。ただし、それは「自由の不在」という形をとっている。ほんとうに「自由」があるのではなく、「自由」は存在しない。それを強く求めているこころがある。「自由は不在」であるが、不在であるがゆえに「存在する」ときよりも強く見える。それは「わたしの不在」を自覚するときに「わたし」がよりはっきりと自覚できるのと同じだ。「不在」をとおして「わたし」と「自由」が重なり合う。一体になる。
 「自由」は「もの」ではなく、和田まさ子の詩を読んだつづきで書いてしまうと「こと」なのだ。「わたし」も「人間というもの」ではなく「人間であるということ」なのだ。「こと」のなかで「わたし」と「自由」が一体になる。「ひとつ」になる。切り離せないものになる。「わたしの不在=自由の不在」--だからそれを求める。
 そしてその欲望はボリビア、キューバ、チリという「区別」をもなくす「根源的な欲望」である。「わたしの不在」が「根源的欲望」として国境を超えて、その内部をつらぬいて動く。「自由」という「こと」になろうとして。そこには「ひと」だけではなく、山も風や河も押しかけてくる。
 このとき、その対極に「アメリカ合衆国」が「存在する」という具合に読むことができるだけれど、そういう「流通している図式的な構造」を内部から叩き壊してあふれていくジャングルのような熱いリズムがどこかにある。「存在する」。
 あ、日本語を読んで私は書いているので、これは適切な言い方ではないのだけれど、細野豊の翻訳は、何かそういう「熱くて強い音楽」を感じさせる。スペイン語ではどういう感じになるのか--私のかぎられたスペイン語ではそのもとのことばのリズムを再現してみることはできないのだが、弾ける音、とどまることを知らない声を感じる。変ないい方になるが、そういうものを感じているとき、私は「意味」を感じていない。むしろ「意味の不在」を感じている。「意味は存在しない」。そのかわりに怒りのような情熱がある。人を突き破っていく情熱を感じる。
 で、これが、最初に書いた「私の不在」とも重なる。「私」というものなど存在しない。存在するのは「自由」を求める激しい怒りだけである。その「怒りの熱さ(炎)」のなかで人は出会い、巨大な炎になっていく。「ひとつ」になっていく。その巨大さは「私」を「不在」にしないことには達成できない「こと」である。
 こういうことがことばで可能なのは、まあ、特別な幸福なことかもしれない。こういうことが、いまの日本語で(いまの日本で)可能かどうかわからない。東日本大震災のとき、ペドロ・シモセが書いているようなことばの力があればよかったのかもしれないけれど、だれもそういうことばにはたどりつけなかった(ように、私には思える。)日本語はとても「不幸」なのところにいるのかもしれない、とも思った。「怒り」のなかで結びつく力を失っているのかもしれない--そういうことも思ってしまった。
 あ、余分なことを書いてしまった。余分なというのは、ことばをかえていうと、自分を棚に上げておいて、ということになるのだが……。

 「不在」に戻ってみる。「不在」によって結びつくのは、「自由への戦い」(自由を求める肉体の根源的な欲望)だけではない。
 「秘密」という美しい詩がある。

わたしがそれを知っているとあなたが知っていること
をわたしは知っている。
それは徴候あるいは予感以上のもの、
行ってしまわない
不在以上のものだ。

あなたの膝に吹く一陣の風。
あなたの項(うなじ)までわたしを運ぶ香水。
あなたの首への湿った口づけ。
求め合いつづける
ふたつの肉体が
再会するときの
視線。

 これは「愛(セックス)」を描いているのだが、ここに「不在」ということばが出てくる。スペイン語でどう書いてあるのかわからないが、その「不在」が最初に引用した「わたしの不在」の「不在」とどこかで重なっている。「不在」というより「不在以上」で重なっている。いや結合している。絡みついて離れない形になっている。

フィデル・カストロあるいはサルバドロール・アジェンデが語るとき、
わが祖国の飢えた子供たちが語っているのだ、

 このとき、そこにカストロは「不在」、アジェンダも「不在」だが、その「不在以上」に(不在の内部からあふれるように)、「わが祖国の飢えた子供たち」が存在する。そして「不在」は「存在」を知っている。「徴候」「予感」のように、「知識」以上に知っている。「頭」ではなく「肉体」が知っている。
 「愛の不在」の瞬間、その不在以上に「愛を欲望する愛」があふれる。それは「存在する」というより、何か、人間を内部から人間ではないものにしてしまう。「人間の内部にある根源的ないのち」にしてしまう。人間というより、「いのち」に戻してしまう。
 「いのち」にまで戻ってしまうと、ああ、そこにはどんな区別もない。ただ「いのち」という「こと」がある。その「こと」を気取って「愛」と呼んでもいいし、もっと本能的に「セックス」と呼んでもいい。それは「ことばの方便」だ。そこには、そこにあるものを壊しながら、生まれつづける「いのち」という「こと」があるだけだ。
 壊れつづけるから「不在」、壊れながら生まれるから「不在以上」。その矛盾が炸裂する激しい光を、音楽を、ペドロ・シモセ(細野豊訳)のことばに感じた。







ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり
ペドロ シモセ
現代企画室
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和田まさ子「新潟までたどりつけない」ほか

2013-01-06 10:55:09 | 詩(雑誌・同人誌)
和田まさ子「新潟までたどりつけない」ほか(「地上十センチ」2、2012年12月15日発行)

 和田まさ子「新潟までたどりつけない」の感想を書くのもむずかしい。おもしろいのだが、そのおもしろさを私自身のことばで言い表すことができない。

わたしが寝ているあいだに
時代は変わった
旧式の私の頭脳で
答えられることはわずかで
列に並んでも後回しにされる
秋には新潟に旅行に行くはずだったから
切符を買うためにわたしはみどりの窓口にいる
しかし列車名を答えられないという失態のため
並んで待っても順番はこない
みんなが持っている用紙をわたしは持たず
みんなが持っている期待に満ちたよい気分にならず
ただ焦ってしまう

 「たどりつけない」というのはカフカ「城」からはじまるかどうかわからないけれど、まあ「理不尽」の典型みたいなものである。その「理不尽」なことが、だれでも体験するみどりの窓口の列という状況のなかで語られている。それがおもしろい。カフカの「城」になると、そんなものは日本の日常にはないからね。だからカフカに起きたことはふつうの日本人には起きない。けれど和田の描いている「わたし」に起きたことは自分にも起きるかもしれない。
 列に並んでいる。「乗る列車は?」「ええっと」「早く答えて次の人が待っているんだから、そのあいだに次の人の席が売れてしまうかもしれないのだから」「ええっと」「わからないんだったら、次にして、わたしが先に買うから……」というようなことは、経験はしないかもしれないけれど、「早くしろよ」と思ったことはだれにでもあるかも。そういうだれにでもある「こと」をしっかりつかんで和田はことばを動かしている。
 で、この「こと」というのはなかなか不思議。私はいま列車の名前がわからなくて順番を変われといわれたことはなくても、前の人のもたもたぶりを見て順番を変わってほしいと思ったことはあるかもしれないと書いたのだけれど、「こと」には「両面」がある。一方の当事者がいて、別の当事者がいる。それは「対立」して「ひとつ」になっている。言い換えると「こと」には「裏」と「面」がある。それがくっついているのが「こと」。「裏」と「面」がいつもいっしょになって動いているのが「こと」。
 こういう両面性はなかなかわからないのだけれど、いろいろな形で「こと」をつくりだしている。その「こと」を和田はしっかりとつかみとる。
 それがはっきりするのは2連目。

新潟はなんのために行くのか
前に並んでいる人が聞くので
その町で人間になるとわたしはいった
すると笑われて
結局また列の最後尾に移動させられる

 「人間になる」--これって、変といえば変だよね。和田は「人間」なのだから。でも、よくいうよね。「人間になれよ」と。それは「まっとうな人間」という意味で「まっとう」が省略されている。省略してしまうのは「まっとう」が人間の本来のあり方だとだれもが無意識に知っている。それは「肉体」にしみついているからである。
 ここに「こと」がある。「まっとうな人間」というのは、人間が「まっとうであること」。人間は「もの」かもしれないが「まっとう」は「こと」なのだが、それは「肉体」にしみついてしまっているので見えない。「まっとうであること」と「まっとうでないこと」が面と裏にあって、内部でからみあっていて、そこから「まっとうということ」だけを取り出しなさいと言われても……。
 こういう「肉体」にしみついていて、ことばにする必要のないことをことばにしてしまうと、何か変。和田が書いているように「人間になく」ということは自分からわざわざ口にするようなことは少ないかもしれないけれど、たとえば「人間になれ」と言われて「私も人間ですけど」と反論するようなこと(反論したくなるようなこと)はだれにでもある。そして、このときは肉体にしみついてしまっている「まっとう」はことばにされなかったために、まるで存在しないことのように取り扱われて、どうも「論理」がうまく動かない。ことばの表面を論理が滑っていく感じがする。「わかっているくせに、そんなことを言って」とさらに怒られるようなこともそのときには起きる。
 この「論理がうまく動かない」感じ、でも言っていることはよくわかる、反論していることもよくわかるのに、というのはだれでもが経験すること(経験して覚えていること)だね。それを和田は「正面」からでも「反対側」からでもなく、その「ふたつ」がくっついて「ひとつ」になっている「真ん中」からつかんで動かしている。
 で、「真ん中」から動かすと。
 「正面」と「反対側」がすぐにはわからない。両方ともふだんはことばにして意識していないから、突然そういうことが起きるとどっちがどっちかわからなくなるし、だいたい「正面」と「反対」というのは見方の問題に過ぎないという主張(?)もあって、「反対側」なんてものは最初からなくて両方とも「正面」とも言える。
 えっ。
 「反対側」がないのに「反対側」なんていうのは変じゃない? 矛盾じゃない?
 そうなんだよなあ。矛盾しているし、変。この何かしら「矛盾」を潜り抜ける形でしか、和田の作品、そのことばの運動をつかみとることができないというところがむずかしい。
 和田の書いていることは、「論理的」につかもうとするとあいまい。でも、そういうことは「体験」した覚えがある。肉体が覚えている。そのことをきちんと書かないと感想にはならない。けれどそれをことばにすると(感想を書くと)、どうもうまくいかない。面倒くさくなる。「和田の詩はおもしろい。傑作だ」というだけですませておくと、とても簡単で、しかも正確なのに……。
 で、この変な「矛盾」、変な感覚はどうして起きるのかというと。
 「頭脳」で考えるからだね。和田は「旧式のわたしの頭脳」と書いているが、「頭脳」というのはいつでも古びていくものである。いつでも新しい何かが出てきてそれを消化しないことには「頭脳」はついていけない。--でも、「肉体」はそうではない。「肉体」には「旧式」ということがないというか、すぎたことを「肉体」は取り戻せない。「いま」しかない。「あのこと」「このこと」を「肉体」は「いま」のなかで動かすだけなのである。動かしたときに「いま」があるだけなのである。--「頭脳」にとっては「旧式」かもしれないが、肉体は旧式であることを気にしない。
 こういう例が適切かどうかわからないが、クロールの腕のかきは、昔はSの字を描いて水を引っぱった。いまはまっすぐにプルする。そんなことは「頭」の問題であって、どっちにしたって「肉体」は泳げる。肉体が泳いでしまえば、それは「いま」の泳ぎなのである。泳いだ人にとっては。
 あ、やっぱりこの例は適切ではなかったな。変だな。でも書いてしまったので、そのままにしておいて……。(私は、結論もなにも考えずに書きはじめる。途中の脱線も、どうしようもなく起きてしまう。)
 書きたいことを書くために、「飛躍」しよう。面倒くさい説明は省いて、私の肉体がつかみ取っているものについて書いてしまおう。

 「ヒラメ」に出てくる「ニンゲン」は「新潟まで……」に出てくる「人間」とは一見、逆のことを書いているようにも見える。

六本木に行って
暗闇の中をあると
闇のなかで食事する人たちの間を抜けた
それから
今夜はヒラメになった
雷鳴と雨の中を魚になって泳いだ
雨の空中を泳ぐ
わたしは水陸両用のヒラメであった
薄い体をタテにして
ひらひらとヒレを動かす
そうやって泳いでいると夜の雨の空気感が気持ちいい
しばらくして雨があがると
ニンゲンに戻った
ニンゲンはなんだかさみしい

 「新潟までたどりつけない」では「人間になる」のが目的(?)だった。けれど「ヒラメ」では「ニンゲンに戻った/ニンゲンはなんだかさびしい」ではニンゲンに戻る必要はなかったのでは、という気がする。「人間」と「ニンゲン」は、それとも違うのかな?
 違うにしろ、それは「正面」と「裏側(反対側)」くらいの違いであって、そして「人間」には正面も裏もないというか、その両方がないと人間ではないのだから「正面」「裏側」というような分け方は変なのだけれどね。
 で。(と、ここでも私は「飛躍」する。いや「逆戻り」かな?)
 この詩の「ニンゲンに戻る」前の「わたし(和田)」何だったのだろう。ニンゲンじゃなかったのかな? テキストに従えばヒラメだけれど。いや、その前は書かれていなけれど「ヒラメになった」だから「ヒラメじゃないもの」、つまり「ニンゲン」だった?
 でも、私には、それは「ニンゲン」ではなく、「ヒラメ」「ニンゲン」の区別を超えたものだったように思える。
 「こと」には「正面」と「反対側」があると書いたけれど--そして、和田はその「正面」「反対側」ではなく「真ん中」で「こと」をつかんでいると書いたのだけれど。その「真ん中」というのは「ニンゲン」「ヒラメ」の区別を超えた「いのち」のように私には思える。そして「区別」を超えるのではなく、「区別以前のいのち」をとおって、ときには「ヒラメ(正面?)」、ときには「ニンゲン(反対側?)」へと動いていく。
 「真ん中」は、まあ「いのちの原型」だね。このとき「真ん中」は忙しい。どっちへ行かないか決めないと動けない。でも、「限定されていない(混沌としている)」から、そこはきっとにぎやかだね。祝祭の雰囲気があるね。「ヒラメ」になったとき、その「祝祭」の雰囲気(そこを潜り抜けてきた興奮)がある。それが「ニンゲン」にもどってしまうと、なんだかさびしい。--わかるなあ、この感じ。
 和田の詩では、ひとは金魚になったり壺になったり、水すましにもなったりする。それが私を引きつけるのは、「ニンゲン」と和田が呼んでいるものと、そうではないものを結ぶ「祝祭」がどこかに漂っているからだね。その「祝祭」を「頭」のことばで整理して書き記すのはむずかしい。その「祝祭」を私の肉体は覚えていて(覚えていたことを和田のことばが教えてくれて)、それが楽しいとしか言えないのだけれど。

 (あ、最後になって、やっとことばが動いてくれたなあ、と自分でも思う感想になってしまった。--和田の詩に対する感想を書くのはなかなかやっかいだ。でも、読む度に何か書かずにはいられない。)






わたしの好きな日
和田 まさ子
思潮社
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田原「かならず」

2013-01-05 09:58:28 | 詩(雑誌・同人誌)
田原「かならず」(「現代詩手帖」01月号)

 田原「かならず」。この詩に私は困ってしまった。

かならず人々の中に帰っていき
嘲りや罵りを丁寧に聴き 暴力について考えを巡らす
かならず広場に出ていって
独断を指弾しごまかし欺きを暴き出す

ずらされた歴史をかならず糾し
その真実を復元する
失われれた記憶をかならず探して取戻し
再びそれを浮かび上がらせる

 池井の詩と同じように「知らないことば」があるわけではないのだが、どうしようもなく「わからない」ことばがある。「ことがあったな」のように、そのことばは繰り返される。きっと田原には大事なことばなのだ。

かならず

 タイトルにもなっている。そして、この「からなず」はやっぱり省略しても詩の意味は変わらない。「かならず」は言わなくても、ここに書かれていることが田原の思想ならば、田原は「かならず」それをするだろう。
 それなのに、田原は「かならず」と書く。
 うーん。
 こういうときである。あ、田原は日本人ではなく中国人だったと思うのは。中国人だったなと思い出すのは。
 田原は日本語で詩を書いている。そしてその日本語は私の知っている日本語、読んだことのある日本語なのに、ああ、こんな使い方を私の肉体は知らない、体験していないと感じる。そこにとても深い断絶を感じる。
 田原は詩のなかで1行おきに「かならず」を書いているが、それはほんとうは各行に隠されている。

かならず人々の中に帰っていき
嘲りや罵りを「かならず」丁寧に聴き 暴力について「かならず」考えを巡らす
かならず広場に出ていって
独断を「かならず」指弾しごまかし欺きを「かならず」暴き出す

ずらされた歴史をかならず糾し
その真実を「かならず」復元する
失われれた記憶をかならず探して取戻し
再びそれを「かならず」浮かび上がらせる

 たくさん「かならず」があるのに、田原は省略して半分だけ(?)書いている。半分しか書かないことで、肉体のなかにはまだ半分は残っているのだと告げる。この「かならず」の数の多さ、肉体にしまい込まれたままことばになるのを待っている「かならず」の執念(?)というか、意思の強さにわたしは圧倒される。意思の強さにたじろいでしまう。こんなふうに私の肉体は「意思」というものを「かならず」ということばをつかって反復しない。「意思」を反復しなくても、それは自分の「肉体」のなかにあるように思っている。たぶん、勘違いなのだろうけれど。つまり、反復しないのは、それが「意思」になっていないからなんだろうなあ。田原にはこういう反復の強い「意思」があって、それが無意識に出てくるんだろうなあ。
 「意思」の屹立(?)を田原は直視する。からなず、自分の「肉体」のなかから取り出して、ことばにする。--うーん、ことばの国の人、しかもそのことばは「話しことば」ではなく「文字のことば」。書いたら永遠に残ることばなんだろうなあ。
 書いて、それを残していく--そういうことを「肉体」が覚えていて(これはたぶん中国の「伝統」だね)、それが無意識に出てくるのだろう。
 で、その「書く伝統」が「古典」を呼び覚ます。「漢詩」の構造が「かならず」に誘われて出てくる。

咆哮する海とかならず直接向き合い
海とともにその残忍さを悲しむ
旋回する鷹をかならず仰ぎ望み
私の眼差しをその翼に委ねる

 かっこいいなあ。この強いことばの響き。とてもかっこいい。とても日本語では書けない。(田原は「日本語」で書いているように見えるが、きっとこれは中国語だ。)「仰ぎ見る」ではなく「仰ぎ望み(仰ぎ望む)」。動詞と動詞の接続の仕方が日本語で流通しているものとは違う。「望む」は日本語では高いところから見はるかすか、水平に遠くを見ることであって、上を向いて(仰いで)「望む」とは言わないようだ。「高望み」とはいうが、これは「むり」ということだから、状況が違う。田原の動詞、「仰ぐ」と「望む」の接続は日本語をいったん断絶させる。そこに何かしら強い力を感じる。強い力で日本語を断絶し、それから再び接続させる。そこにも強い力を感じる。うーん、かっこいい。ここに詩がある。
 私の眼差しを鷹の眼にではなく「翼に委ねる」。このことばの「遠い距離」、さっぱりした「距離」。ここにも対象をいったん断絶してから、ぐいと引き寄せて接続する力がある。ことばに立ち向かうとき力の強さがある。それがことばの力になっている。詩になっている。これは、日本で生まれ、日本で詩を書いてきた人間には、ちょっとできないなあ、と思う。
 田原の大好きな日本語の達人・谷川俊太郎だって、こんなふうにはいきなりは書けないだろう。中国語で、つまり漢詩でいったん書いて、それから翻訳しないことにはこういう具合はことばが動かないだろうなあ、と思う。(←私のいつもの「感覚の意見」です。)
 それを証明(?)するように、田原は次のようにも書いている。

かならず唐詩に立ち戻り
古人の知恵を復習する
かならず文明に疑いの目を向ける
地球を破滅の方向に引っぱっていかないように

 「唐詩に立ち戻り」。「唐詩」は「中国人の肉体」なのだ。池井のつかっている「ひらがな」は「日本人の肉体」であり、だから私にはなじみやすい。しかし田原の「ことばの肉体」は私にはなじめない。そこには「無意識」の「断絶」がある。この「無意識」は越えられないなあ。
 たとえ田原がひらがなで「かならず」と書いても、それは私の「必ず」とはまったく違うんだなあ、と感じた。それで私は困ってしまった。そして困ったから、それがまたおもしろいと感じた。





石の記憶
田 原
思潮社
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ステファン・ロブラン監督「みんなで一緒に暮らしたら」(★★)

2013-01-04 12:39:21 | 映画
監督 ステファン・ロブラン 出演 ジェーン・フォンダ、ジェラルディン・チャップリン、ダニエル・ブリュール



 どの国でも高齢化社会は避けられない問題になっている。そしてそれが映画にも反映している。高齢者が主役の映画が増えている。この映画もそのひとつである。で、この映画はテーマを取り除いてしまうとあまりおもしろくはない。
 気に入ったシーンはふたつ。ひとつは心臓発作を起こした友人を仲間が見舞いに行ったとき、病室に認知症の女性が迷い込む。看護士が追いかけてきて連れ出す。それを見た仲間が友人をこんなところに入院させておくわけにはいかない。連れ出そう、と計画を立てるところ。
 あ、いかにもフランスだねえ。何かが気に入らない。どうやって改善するか、と考えるとき、とりあえず「自分」になってしまう。他人をほうりだす。病院を改善するのではなく、そんなものはほうっておく。迷い込んできた認知症の女性の問題などどうでもいい。ここから逃げ出せば友人の状況は「改善」する。この個人主義(わがまま)の感覚は、まあ、なんとも言えない。フランス人だねえとしかいいようがない。ひとりの提案に仲間が一斉に賛成し(みんなでいっしょに暮らすことに反対していた妻さえ賛成し)、その脱出作戦に協力する。それ、おもしろい、やろう、やろう、という感じ。このわくわく感がいいねえ。俳優たちもよろこんで演技している。
 もうひとつは最後のシーン。認知症の男が妻が死んでしまったのを忘れて、名前を呼びながらさまよう。それをみた仲間たちが彼のあとをついていく。そのうちいっしょになって死んだ妻の名前を呼びはじめる。あ、そうなのか。認知症のひとに対する対応はこれがいちばんいいのか。「間違っている」と指摘するのではなく、そのひとの気持ちになり、彼が落ち着くまで思うとおりにやらせる。それしかないのである。仲間たちは認知症の専門家ではない。だからそれが正しいかどうかもわからない(私もわからないのだけれど)、いっしょに暮らしていてそのことに気がつく。「自分」を押し付けるのではなく、他人の「自分(わがまま)」を受け入れる、そばにいっしょにいる。
 フランス人は自分のわがままを絶対に譲らない。そのかわり他人のわがままに対しては寛容である。(買い物なんかしたとき、店で「わがまま」を主張した方が親切に耳を傾けてくれるでしょ? 「わがまま」を言わないと「この人は何だっていいんだ」というようなあしらい方をされるでしょ?)「わがまま」というのはふつうは「共存」しないのだけれど、フランスでは共存する。
 で、こういうことは実は映画の随所にこまごまと描かれている。運動家の夫がこんなわがままな女の家にはいることができない、出ていく、と家出の準備をしている。そうすると妻は、またか、という感じでアルコールを次から次へと飲んで……そのあとセックスすることで夫をつなぎとめている。この、あほらしいくらいに単純なわがままと、それを消し去る方法の簡単さ。
 それは仲間の妻と浮気して、それでも友人のまま、それを受け入れてしまう感じ。え、あなたもあの男と浮気していたの、と知って、それを受け入れてしまう感じ。さらには心臓発作を起こしながら病院で女の写真(診察するとき、乳房が見える!)を撮る男--そういう部分にもあらわれている。
 フランス人は「わがまま」を受け入れているのではなく、「生きていること」を受け入れている。「生きる」ということに対して「わがまま」であり、「生きる」ということは言い換えると愛とセックスなのだ。それ以外を「指針」にしていない。--というとおおげさかもしれないけれど、私にはいつもそんな具合に見える。
 フランス人は女性の名誉を大切にするといういい方もあるけれど、これは女性がどんな愛とセックスをしようと、それを「受け入れる」ということだろうね。なぜそれを受け入れるかといえば、女性がいなければ人間の「いのち」はつづいていかないと知っているからだ。これが現在のフランスの女性対策(就労支援や子育て支援)にもつながっている。日本とは大違いだね。
 と、まあ、こんなことを考えた。こういうことを考えさせる映画であった、ということかもしれない。考える映画なので、まあ、楽しくはないな。

 ということとは別にとても感心したことがあった。ジェラルディン・チャップリンの姿勢がとても美しい。立ち姿がまるで現役の若手バレリーナのようにすっとしている。頭がからだ全体を持ち上げている、ひっぱりあげているという感じ。男優たちが猫背になっている、からだの上に頭が乗っている、そのためにからだがたわんでいるのに比べるとその違いにただただびっくりする。ワークアウトで鍛え上げたジェーン・フォンダだって、そんなにきれいではない。このジェラルディン・チャップリンが自転車をこいでからだを鍛えているシーンが途中に出てくるが、そこでも思いがけないシーンがある。自転車をこぐだけなら誰でもできるが、そのあとハンドルに両足をのせ、その両足にからだをぴたりと折り曲げてくっつけてみせる。あ、こんなに柔軟なんだ。あの姿勢のよさは日頃からからだをととのえているからなのだとわかる。これにはびっくりしたなあ。若さは何よりも姿勢にあらわれる、ということを教えられ、反省もした。
 そういう意味では学ぶことの多い映画ではあった。
                      (2013年01月03日、KBCシネマ2)


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池井昌樹「草を踏む」

2013-01-04 10:50:34 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「草を踏む」(「現代詩手帖」01月号)

 池井昌樹は私には「わざと」からとても遠い詩人に見える。「嘘」を必要としない詩人である。「嘘」がないために「おもしろみ」が少ないかもしれない。えっ、ことばはこんなふうに動いていいのか、という驚きが少ないかもしれない。こういう詩人を取り上げて感想を書くのはとてもむずかしい。なぜかというと、「わざと」があると、その「わざと」に向き合いながら、これはこういう「意味」ですよと「注解」すると何となく何かを言ったような感じになるのに、池井の詩の場合はそういうことができない。何を書いても新しい何かを発見したという気持ちになれない。感想も「よかった」以外に書けないので、わざわざ感想を書くまでもないということになってしまう。
 でも私は池井の詩が好きなので感想を書く。「わざと」書くのだと言ってもいいかもしれない。私の感想は池井の詩への感想というより、私がいつも考えていることを強引に語るだけになるかもしれない。
 「草を踏む」の全行。

いつだったかな
おまえとは
このよのくさをふみしめた
ことがあったな

 おまえとはだれだったのか
 わたしとはだれだったのか
 どんなあいだがらだったのか
 なんにもおぼえていないのに

どこだったかな
ふたりして
このよのくさのうえにいた
ことがあったな

 いまはじまったばかりのような
 すっかりおわってしまったような
 めもあけられないまばゆさのなか
 こころゆくまでみちたりていた

すあしでくさにたっていた
ことがあったな
ただそれだけのことだけが
ただそれだけのことなのに

 いつもの詩のように「だれだかわからなもの」と「わたし(池井)」が出会っている。「いつ」かは「わからない(おぼえていない)」。それは「はじまったばかり」のようでもあり「おわってしまった」ようでもあるという正反対のことがらを平気で結びつける。そこには「区別」というものがない。「区別」がなくて、かわりに「区別のなさ」がある。この「区別のなさ」を「永遠」と呼んでもいいし、そういう「区別のできない」状態を「放心」と呼んでもいい。「永遠」と「放心」が出会うといえばいいのか、「放心」のなかに「永遠」があるといえばいいのかわからないが--と書いてしまうと、いつも私が書いてきたことの繰り返しになる。「新しい」感想、言い換えると、「草を踏む」という作品に対する感想にならない。
 あら、困った。

 でも、私はほんとうは困っていない。この詩については書きたいことがある。
 この詩には「ことがあったな」という行が3回繰り返される。この「ことがあったな」とは何だろうか。何のために書いているのだろうか。そのことを書きたい。
 長い間「現代詩講座」を開いていないのだが、架空の講座を開いてみようか。

<質問>この詩に知らないことば、わからないことばはありますか?
<受講生>ありません。
<質問>「ことがあった」って、知っていることば?
<受講生>知っています。
<質問>じゃあ、どういう「意味」? 自分のことばで言いなおしてみて。
<受講生>ええっ、「ことがあった」なんて誰でもつかうことば。
    言いなおすことなんてできない。
(ね、これが池井の詩には「わざと」がないという根拠。別なことばでは言いなおす必要がない。「比喩」でも「虚構」でもない。)
<質問>じゃあ、こんなふうに考えてみた。
    もし「ことがあった」という行がなかったらどうなる? 「意味」は変わる?
<受講生>変わりません。
<質問>じゃあ、どうして書いたんだろう。
<受講生>えっ、私は池井さんじゃないからわからない。

 「知らない」わけではないけれど、「わからない」ことばがある。それはさっと読んだときは気がつかないけれど、大切なことだ。
 「わからない」ことばのなかには、それを書いたひとがいる。「池井さんじゃないからわからない」けれど池井ならわかる--そのひとだけの「意味」のようなものが、そこには含まれている。
 では、この池井の「ことがあったな」には何が含まれているのだろうか。

<質問>「ことがあったな」って、では、どういう時につかう?
<受講生>何かを思い出したとき。
<質問>思い出すのは何を思い出すのかな?
<受講生>「あったこと」
<質問>ほかのことばはないかな? 池井が書いていることばで……。
<受講生>おぼえていること。

 そうだね。思い出すのは「おぼえていること」。池井は「なんにもおぼえていないのに」と書いている。「おまえ」と「わたし」が誰で、どういう関係だったか、具体的なことは何にも覚えていないけれど、草を踏みしめたことは覚えている。そういう「ことがあったな」。
 そうすると「こと」というのは「くさをふみしめる」、その「踏みしめる」動詞だね。これは草の上に「いた」、草に「たっていた」という具合に、動詞が変化していくけれど、それは変化しても「こと」は変わらない。「動詞」と「こと」はそんな具合に密着している。
 そして「動詞」というのは「肉体」と関係している。「踏みしめる」は「足」で、足という肉体で。「たっていた」の行には「すあしで」とちゃんと書いてある。これは、私の流儀で言いなおすと「肉体で覚えている」ということ。
 「肉体」でははっきりと「覚えている」。しかし「肉体で覚えている」ことは、ことばではなかなか言い表すことができない。
 だから、

ただそれだけのことだけが
ただそれだけのことなのに

 と、あいまいに終わるしかないのだけれど。

<質問>この行のあとに、ことばを補うとしたら?
<受講生>……。
<質問>覚えている、の反対は?
<受講生>忘れる

 そうだね。
 で、私なら「忘れられない」補う。肉体で覚えたことは、いつまでも覚えている。忘れられない。自転車に乗ることを覚えたら、いくつになっても乗れる。泳ぐことを覚えたらいくつになっても泳げる。肉体は忘れない。そして、この肉体が覚えていることをことばで言いなおすのはむずかしい。自転車に乗ることを、左右にバランスをとりながらペダルをこぐ、前に進むスピードが横に倒れることを防ぐ、なんて言いなおしても、実際に自転車に乗っているときはそういうことをことばにして頭で意識しているわけじゃない。無意識だね。
 そういう「無意識」が覚えていることを池井は書いている。「無意識」だから、そこには「時間」がない。だから永遠。「無意識」だから「放心」。
 「ことがあったな」という行はなくても「意味」は変わらない。でも池井は「意味」ではなく、その「意味」が変わらない何かを書きたくて「ことがあったな」と書かずにはいられない。書いてしまう。「わざと」ではなく、ほんとうに「無意識」に。
 池井はいつでも「覚えていて/わすれられないこと」をそのまま何もつけくわえずに、生まれたての赤ん坊のような、ほかほかのゆげがたっている感じで書く。池井はこの至福を「めもあけられないまばゆさのなか/こころゆくまでみちたりていた」ということばで書いているのかもしれない。それを読むと私はとても幸福になる。私の「肉体」が覚えている何かがゆっくりと目を覚ます。池井のことばは私の肉体が覚えていることを目覚めさせてくれる。






池井昌樹詩集 (現代詩文庫)
池井 昌樹
思潮社
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中村稔「私は物言うのを止めねばならぬ」、長谷川龍生「胞衣(えな)と空間線量」

2013-01-03 10:28:02 | 詩(雑誌・同人誌)
中村稔「私は物言うのを止めねばならぬ」、長谷川龍生「胞衣(えな)と空間線量」(「現代詩手帖」01月号)

 中村稔「私は物言うのを止めねばならぬ」に「嘘」はないように見える。岡井隆の「比喩」、谷川俊太郎の「虚構」とは別のところでことば動いている。

葉桜が翳を落とす遊歩道を歩めば、
道いっぱいに散りしいた白い花々。
さみどりの梢を仰ぎながら、私は思う、
私は物言うのを止めねばならぬ。

災厄に襲われた日から一年余、
津波に攫われた幾千の人々の阿鼻叫喚を
耳を澄ましても聞くことはできないから
私は物言うのを止めねばならぬ。

 だが「嘘」「虚構」のかわりに「矛盾」がある。「私は物言うのを止めねばならぬ」と言いながら、中村はことばを書いている。ものを言っている。いや、それは思っている(わたしは思う)のであって、言っているわけではないという見方もありうるだろうが、やはりそこには「矛盾」のようなものがある。「わざと」がある。わざと「私は物言うのを止めねばならぬ。」と書くことで矛盾を引き起こしている。矛盾を引き寄せることで、中村のことばは「文学」になっている。
 ただ、この「わざと」は岡井隆や谷川俊太郎の「わざと」と違って見えにくい。だから言いなおしてみる。
 中村の書いていることばに「矛盾」がある。そしてその「矛盾」は私の見方では「嘘」を含んでいる。ただしこの「嘘」はそれ自体として「嘘」なのではなく、それと向き合っているものに対して「嘘」ということである。どんな主張もその人自身の「本当」にもとづいてなされるものだけれど、それはあらゆる人に受け入れられるものではない。何かが受け入れられないとき、私たちはそれを「嘘」と呼ぶことがある。最愛の人が死んだ。そう聞いた瞬間「嘘だ」という声が漏れる。そう言うしかない「嘘」というものがある。「事実」なのだけれど、それを受け入れる用意ができていないとき、私たちはそれを「嘘だ」ということばにして拒絶する。それが瞬間的、本能的なものであるだけに私たちはその「嘘だ」というこえに対して批判をしない。そのときの「嘘」の定義のなかに「矛盾」がある。事実と違うということを「知っていて」こころがその事実を否定する--その事実とこころの矛盾。矛盾は「こころ」のなかにある。
 それに似た「こころ」が中村の詩のなかにある。
 本当は言わなければならないのである。何かを言わなければならない。けれど、それは中村がいま書いている、

葉桜が翳を落とす遊歩道を歩めば、
道いっぱいに散りしいた白い花々。

 ということではない。まるでなにごとも起きなかったようなことばではない。日付が刻印されていない、どこにでもある(繰り返されてきた)春の風景ではない。そういうことではない何かを言わなければならない。
 また

災厄に襲われた日から一年余、
津波に攫われた幾千の人々の阿鼻叫喚を
耳を澄ましても聞くことはできないから

 ということでもない。「私(中村)」の個人的な「事情」でもない。「津波に攫われた幾千の人々の阿鼻叫喚」を実際に聞いた人が本当にいるかどうかもわからない。津波に襲われた人は大声をあげて助けを求めただろう。それは確かだろうと推測できるが、そのときそのまわりには津波の大きな音があった。人の声より津波の音の方が大きかっただろう。聞きたくても聞こえない。聞こえていても聞こえない--自分が逃げるのに必死で人の声は聞こえない。むしろ、「こっちへ来い」と必死に呼んでいるのに、その声が相手に聞こえない、届かない。「こっち」と呼ぶ声も津波がのみこんでいったというのが実際だろう。私の書いていることも「空想」だが、中村の書いている「幾千の人々の阿鼻叫喚」も想像に過ぎない。
 こんな「想像(空想)」は、春になれば桜が咲き、桜が散り、遊歩道に花びらがしいたようになっているという「風景」とおなじように「流通言語」である。こんなことは確かに「言うのを止めねばならぬ」ことだろう。
 だが、それでは何を言うべきなのか。

あの日、たちまち消失した幾百の集落、
家屋は瓦礫と化し、生計のたつきを失った人々に
私たちが差しのべる絆はあまりに細く脆いから
私は物言うのを止めねばならぬ。

(略)

森や畑、屋根や道路に飛散した放射能は
いつ除去できるのか。私たちは私たちの子孫に
償いがたい負の遺産をのこしたのだから
私は物言うのを止めねばならぬ。

 書きながら中村は少しずつ「発見」している。「言うのを止めねばならぬ」けれども言わなければならない。「たちまち消失した幾百の集落」があったことを。「家屋は瓦礫と化し、生計のたつきを失った人々」がいたことを。「森や畑、屋根や道路に飛散した放射能は/いつ除去できるのか」わからないということを。「私たちは私たちの子孫に/償いがたい負の遺産をのこした」ということを。
 だが、それを言うには、いま書いていることばではだめだと中村は感じている。何かが足りないと中村は感じている。

復興や復旧の目途が立たない政府の
無策無能を非難することはやさしいけれど
彼らに権力を与えたのは私たち自身なのだから
私は物言うのを止めねばならぬ。

さみどりの木立の中、足許からムクドリが飛び立つ。
私たちのうけた傷痕は、私たちの社会が
よって立つシステムの破綻によるのだから
私は物言うのを止めねばならぬ。

 それでも書くしかないのである。いまおきたことをまねいたのは「私たち自身なのだから」、「私たちの社会が/よって立つシステムの破綻」しているということだけは、書いておかなければならない。そのことをもっと別な形でことばにできるようになるまでは、「物言うのを止めねばならぬ」。そして、もし、その言うべきことが自分のことばになったあと、もう一度

葉桜が翳を落とす遊歩道を歩めば、
道いっぱいに散りしいた白い花々。

 と書くべきなのだ。そう書きたいのだ。もちろんそのときは、このことばは違った形になっているだろう。今のままではないだろう。
 それまでは、ものを言えないということを言っておかなければならない。この「矛盾」を解消する方法があるのかどうかわからないが、中村はそれを矛盾として自覚しているから、こう書いているのだと思う。



 長谷川龍生「胞衣(えな)と空間線量」は中村と違って、あえて「物言う」、「物言うことを止めない」。

頭脳で 考えていると
過去も 近未来も 何もかも
見えると思っていた
いまは 何も見えない

 長谷川の「矛盾」は「頭脳で 考えている」ときは「何もかも/見えると思っていた」のに「いまは 何も見えない」というところに凝縮している。
 このとき「見える」「見えない」は何にとっての見える、見えないなのか。「頭脳」にとって見えないのか。それとも「眼(肉体)」には見えないのか。「頭脳」で「見える」ことは「肉体」にも見えると思っていたが、頭脳で考えたことが正しくないとわかったので、そのために肉体的にも何も見えなくなってしまったということか。
 この疑問が長谷川を突き動かしていることに私は衝撃を受けた。
 「頭脳」で見えることは「肉体(眼)」にも見える--と私たちは考えがちだ。あるいは「眼(肉眼)」に見えなくても「頭脳」で見えるなら、それは「見えた」ということだと信じがちだ。半径一センチの円に内接する正千角形と正九百九十九角形を「頭脳」で考えることができる。そしてそれは「千」と「九百九十九」という数字として正確に「見える」、識別できる。そうすると、私たちはそれを「見た」という気持ちになる。でもそうではない。それは私たちの錯覚であって、それは「眼」では見えない。数字に頼って「頭脳」が「見ている」(識別している)と思い込んでいるだけである。--こういうことは私のような凡人にはしょっちゅう起きることだが、長谷川にそういうことが起きるとは私は思っても見なかった。
 「瞠視慾」を書いた長谷川はいつでも「眼」でしっかりものを見ている。「見る」ということが、そのまま「肉体」のなかに侵入していく。「肉体」が「頭脳(ことば)」を支配している。そこに書かれている「欲望」は「肉体」のものであって「頭脳」のものではない。長谷川は「肉体で見る」詩人であって、「頭脳で見る」詩人ではないというのが私の印象だった。
 だがこの詩で長谷川は「頭脳」で考え、その結果「見えると思っていた」と反省し、「いまは 何も見えない」と言う。そのことを「言わなければならない」と「肉体」が感じ、そして叫んでいる。
 乱暴な言い方になるかもしれないが、中村は「頭脳」で考えて「私は物言うのを止めねばならぬ。」と語るのだが、長谷川はそういう「頭脳」を否定して、「肉体」そのものに「何も見えない」と言わせる。「何も見えない」のだから語れないはずなのだが、その「語れない」ことを「見えない」という叫びにするのである。

頭脳で 考えていると
過去も 近未来も 何もかも
見えると思っていた
いまは 何も見えない

 この「見えない」と書かれているものを、もう一度見直してみる。「過去も 近未来も」--これは「もの」ではなくて「時間」のなかにある「こと」だから、そういうものは「見える」というより「想像」するしかない。だからこれは「想像」することが拒絶されている、拒否されている、ということになる。「想像」は「いま/ここ」を離脱して「いま/ここ」ではないところを動くものである。想像することが拒絶されている。
 「想像」が拒絶されたとき(「瞠視慾」も「想像」で書かれているといえば言えるのだけれど、それは「頭脳の想像」ではなく「肉体の想像」である。共感である。道に倒れて腹をかかえている人間を見たら、腹が痛いのだと思うときの共感である)、言い換えると「いま/ここ」から離れて何かを「見る」ことを拒絶されたとき、それでは残されたものは何か。「いま/ここ」である。リアルな「いま/ここ」があり、それはリアルすぎてことばを超えている。--ことばを拒絶するリアルというものがある。
 そして「いまは 何も見えない」は、「いまは いま/ここを離れたものは何も見えない」であり、「何も見えない」は「何も語れない」ということでもある。「語れない」長谷川の「眼」に「いま/ここ」が迫ってくる。目が近づいていくのではなく、「いま/ここ」が「眼」に直接迫ってくる。そこに「頭脳」が入り込むことを拒絶する。この拒絶に長谷川の「肉体」の「正直」がある。「本能」がある。

水もかくれ 土もひそみ 石も埋もれ
こまかい断崖の底に 白い残骸だけが見えている
何か うごめいている
そこだけに時間がきざまれている

 ふつう「瓦礫しか見えない」とひとは言う。しかし長谷川にはその「瓦礫」が見えない。そのかわりに「白い残骸」が見える。「瓦礫」は消えてしまって「白い残骸」が見える。それは「瞠視慾」で長谷川には「女」が消えてしまって「排泄の欲望」が見えるのと同じ感じだ。長谷川は「肉体」で「白い残骸」と共感しているのだ。「肉体」で見ているのだ。
 「何か うごめいている」の「何か」は「白い残骸」が内包している「排泄」に通じる「肉体」そのものの「欲望(本能)」だ。それが「時間」となって「いま」を動かしている。「過去」や「近未来」ではなく、「いま/ここ」があるだけなのだ。

ぼくは 小宇宙の一端の 複合した時間の隙間に入っているようだ
つい さっき ぼくは ながいながい 眠りの淵から
目ざめたような気がする
つぎに このまま 白い残骸をこえて
稲のむらがる低地の方に
突入していくだろう
目ざめてから 数秒間のうち
ぼくの八十五年間の胞衣(えな)の記憶が よみがえった
この記憶は 過去のものなのか
これから始まる 予感なのか

 「いま/ここ」は「過去」も「未来」も区別しないのだ。ただ「いま/ここ」があり、それは「肉体」の「共感」のなかに、「過去(八十五年間)」も「未来」もひっくるめてしまう。「ひとつ」にしてしまう。「いま/ここ」に「過去」という「いま」から断絶した「こと」や「未来」という「いま」から断絶した「こと」はないが、「過去」も「未来」も区別できない「混沌」という「時間」がある。それが「肉体」を襲ってくる。「肉体」は「頭脳」を叩き割られて、無防備に、むきだしにされている。
 この「思想(肉体)」は中村の書いている「頭脳」のことばでは「混沌(無)」にしか見えないかもしれない。それは「ことば」にしても「流通」しないかもしれない。けれど語らねばならない。中村は「物言うのを止めねばならぬ」と書いたが、長谷川は「物言うのを止めてはならない」と言うのである。そのとき中村の「主語」は「頭脳」であり、長谷川の「主語」は「肉体」である。



現代詩手帖 2013年 01月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
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谷川俊太郎「朕」

2013-01-02 13:14:53 | 詩(雑誌・同人誌)
谷川俊太郎「朕」(「現代詩手帖」01月号)

 谷川俊太郎「朕」は嘘を書いている、というと「誤読」になるのだが、というか、詩は本当のことを書かなければいけない、自分が体験したことを書かなければならないという「決まり」があるわけではないのだから、「嘘を書いている」という言い方が感想になるかどうかもあいまいなのだが……。

皇帝は絹の掛け布団の下、絹の敷き布団の上で目覚めた。后の愛犬が皇帝の横にもぐり込んできた。后がつけたその狆の名を皇帝は忘れている。

 これは岡井隆の「レクイエムの夜まで」、日記風の作品とはまったく違っている。「主役(?)」が谷川俊太郎ではないということが岡井の作品といちばん違うところである。谷川はいきなり「嘘」からはじめている。そしてその「嘘」は「比喩」でもない。もっと大がかりである。こういう「嘘」を「虚構」と呼んだりする。
 そして「比喩」と「虚構」とは違ったものなのだけれど、共通項もある。きのう書いた日記から引用する形で書いてみると……。

 「比喩」も「虚構」も嘘なのだけれど、嘘をつくという肉体の動きには何かおさえることのできない本当(本能)がある。それは「いま/ここ」にあるものではない何かが嘘といっしょになってあらわれてくる誕生の悦びでもある。この悦びは本物だ。それが本物であるということが楽しいのかもしれない。嘘をつくことで自分が自分ではなくなる、しかもその自分ではなくなるということのなかに誕生の悦びがあり、その「快感」が嘘をつかせるのかもしれない。--これは「比喩」と「虚構」に共通する。
 というようなことを私はきのう岡井の詩の感想を書きながらふと思っていたのだが、そしてきょうはそのつづきを書こうと思っていたのだが。
 私は気分屋だし、きのう書いたことは書いてしまった瞬間終わったのだろう。何かを覚えているが、それはそれとして別なことを書きたくなった。「虚構」の物語をつくりあげることのなかに自分が自分でなくなる、新しい人間になって生まれ変わる再生の悦び(誕生の悦び)があると書いてもいいのだけれど、少し気持ちが変わってしまった。書いている内に同じ場所へ戻ってくるかもしれないが、「朕」の書き出しの2行を引用(転写)している内に違うことを書いてみたくなった。
 だからきのうのつづきにはならないかもしれないことを書いてみる。

 谷川は「主役」を「朕(皇帝)」にしてことばを動かしはじめる。谷川は皇帝ではないから、「朕」はもちろん谷川ではない。いわば「嘘」からことばを動かしているのだが、こういう嘘に出会ったとき、こんなのは嘘だ、嘘だから読む必要はない、という気持ちにならないのはなぜだろう。
 「文学」はもともと「現実」そのものではなく、嘘だから?
 嘘を知って、でも、何になるのだろう。
 というようなことを言ってもはじまらない--のではなく、「皇帝は」という書き出しを読んだだけで、これが「嘘(文学)」とわかるのに、次の瞬間、私はそれが「嘘(虚構)」であることを忘れてしまう。ことばの運動のなかにある「本当」に引き込まれている。

皇帝は絹の掛け布団の下、絹の敷き布団の上で目覚めた。

 「絹の掛け布団の下」「絹の敷き布団の上」と繰り返されることばが、「嘘」を「本当」に変えてしまう。「絹の布団のなか」でも十分なのだが、つまり「意味」は同じなのだが、「絹の掛け布団の下」「絹の敷き布団の上」とことばが動くと、そこに「絹の布団」とは別の「本当」が入り込み、それがことばをささえるのだ。「上」があれば「下」がある。「掛け布団」があれば「敷き布団」がある。これは「皇帝」がいない世界、主役が谷川でもあるいは私(谷内)でも成り立つ「世界の構造」である。ここにひとつの「本当」がある。ことばが動いていくときの世界の「本当」がある。ゆるぎのない「よりどころ」がある。それはことばが必然的に「肉体」としてもっているものである。
 私たちがことばを通して「覚えている」世界の構造の「本当」を利用して、谷川は嘘を動かしていく。ことばを動かしていく。それは嘘なのに、そのときの嘘は私たちの「覚えている」本当の世界の構造を踏まえている。谷川はそこから脱線しない。
 きのう書いた岡井のことばの運動と強引に対比させるなら、谷川は「注解」しない。岡井の「注解」は「世界の構造」を別の角度から見てみるとこうなるという性質を持っているが、谷川はそういうことはしない。
 谷川は逆なのだ。私たちが「覚えている」構造の「本当」を利用して、世界を拡大する。岡井の「注解」は世界の「内部」へ入っていく--そうすることで、「構造」はこうなっていると語るのに対して、谷川は「構造」を利用して「事実」を積み上げていく。世界を拡大する。

后がつけたその狆の名を皇帝は忘れている。

 犬の名前を忘れる--そういう「人間のあり方」。これはだれもが「肉体」で「覚えている」。つまりそこに「本当」がある。上があれば下がある、というのと同じくらいに肉体は何かを忘れるということを「覚えている」。谷川はこの「覚えている」ことの「内部」に入っていくようにしてことばを動かすのではなく、ここでは「覚えている」ことを利用して、「覚えている」ことの外へと動いていく。世界を水平に広げる。(一度谷川と話したとき、私は、岡井の詩はビルディングのように垂直の厚みをもっているが、谷川の詩はどこまでも広がるすそ野のような広さをもっている、と感想を語ったことがある。それをいま思い出している。)
 そしてそのとき谷川らしいいたずらがそこにつけくわえられる。「犬の名前」ではなく「狆の名前」。「狆(犬)」と「朕(皇帝)」が「ちん」という「音」のなかですれ違い、そのことが「朕」から「皇帝」という「肩書」の重々しさを取り払う。
 で、「朕(皇帝)」から「肩書」がなくなると、どうなるか。

朕は本来何者でもないはずだ、朕はモーツアルトを聞きながら、后に爪を切ってもらうことだけを楽しみにしている中年男に過ぎない、と皇帝は思う。

 「朕」は「皇帝」ではなく「何者でもない」人間、「本来」の「人間」になる。「中年男」になる。その男は、女に「爪を切ってもらうことだけを楽しみにしている」。この「楽しみ」の「構造」--これがまた私たちの肉体が「覚えている」楽しみなのである。つまらないことを他人にしてもらうときの何とも言えない楽しみ、それは重大なことをしてもらうときよりも何か肉体にしっくりくる不思議な楽しみでもある。ああ、こんなこともしてもらえる、と思うとき、肉体がふっとゆるむ。その肉体のゆるみのなかにも「本当(本来の人間の生き方)」がある。
 こういう「構造」は詩のなかに次々にあらわれる。

辺境での兵士たちの不満を皇帝は我がことのように聞くが、それが偽善だということに気づいていない皇帝を、后は許している。

 「偽善」と「偽善に気づかない」ということ、さらにそれを「許す」という「構造」のなかにある「本当」。この「構造」の「本当」を私たちの肉体が「覚えている」のは、それがすべて「動詞」だからである。「偽善」は文法的には「名詞」だが、それは「もの」ではなく「こと」である。「こと」のなかには「動き」がある。「時間」がある。だれかとだれかのあいだで起きる「こと」が「偽善」であって、「偽善」そのものが「本」や「パソコン」のようにあるわけではない。
 谷川が利用している(のっかっている)何かが「もの」ではなく「こと」、肉体が「覚えている」構造であるからこそ、谷川は次々に「構造」をさまざまな出来事で彩ることができる。どんな変化があったとしても「構造」を踏まえるという「方法」がぶれないので、そのことばは必ず私たちの「肉体」の「覚えている」ことを刺戟する。つまり「覚醒させる」。「本当」が少しずつ増えていく。「虚構(嘘)」を利用しながら嘘を増やすのではなく、「本当」を増やしていく。
 そこには、たとえば

<私は人を愛した事があったろうか>という題名の歌曲が都に流行っている。三度聞いて三度落涙したことを、朕(自分)は恥じていない。

 というようなものもある。センチメンタルな流行歌(?)を聞き涙を流す。それをはずかしいとは思わない--そういう「こと(本当)」がある。「こと」はすべて「本当」なのだ。そこには肉体が動いているからである。肉体で動くものは「本当」でしかありえない。それを肉体は「覚えている」。それがなければ人間ではないとさえ思うかもしれない。--ということも「覚えている」
 「朕(皇帝)」ということばから始まりながら、谷川の詩は「皇帝」という特殊な個人ではなく、誰の肉体もが「覚えている」こと(本当)に触れる。そして動いていく。その結果、ことばは「皇帝」ではなく、「人間」そのものを描くことになる。
 そして、ここまで谷川のことばを追ってきて、私は突然気づくのである。谷川は「構造」を利用してことばを動かしている、「構造」の外へむけてことばを動かしているのだけれど、実はそうすることで「構造」の内部、芯にあるものを明確にするのである。それは谷川が信じている「こと(本当=本来)」でもある。
 人間は同じ、人間の「いのち」は同じ--だから、谷川は何でも書くことができるのである。この同じは「本当」ということである。

平民になった僕は、皇帝だった朕といったいどこが変わったというのだろうか。今もモーツァルトは美しく、后の狆は相変わらずきゃんきゃん吠える。

 「変わる」ものがある。しかし「相変わらず」同じもの、同じ「こと」がある。それが「同じ」--あるいはたぶん「相変わらず」の方が谷川の思想(肉体)に近いのかもしれないが--であることを「わかる」ために谷川は「嘘」を書くのかもしれない。どんなに嘘を書いても、そこに人間が登場する限り、その嘘は「変わらぬいのち=本来のいのち、本当のいのち」の動きそものもと結びついている。そういうものに触れるのが谷川の肉体(思想=本当、本来)なのだ。



谷川俊太郎詩選集 1 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
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岡井隆「レクイエムの夜まで」

2013-01-01 13:08:01 | 詩(雑誌・同人誌)
岡井隆「レクイエムの夜まで」(「現代詩手帖」01月号)

 岡井隆「レクイエムの夜まで」は日記風の作品である。

十一月十六日夜 わたしの左目瞼に小(ちい)さ子の神が宿りたまふた。

 「小(ちい)さ子の神」とは「比喩」である。つまり「わざと」書いたことばである。そしてそれが「わざと」であるということは、本当はそうではないということである。「嘘」ということになる。
 なぜ、嘘をつくんだろう。
 この「答え」は「わかっている」。その「答え」を「知っている」。でも、その「答え」を書き記すことはむずかしい。
 なぜだろう。
 嘘をつくのは、考えてつくからではない。--というと言いすぎなるかもしれないが、嘘をつくのは「嘘をつくということ」を「覚えている」からだ。何かを言おうとして、その瞬間「覚えている」嘘をつくということばの動きが、瞬間的にぐいと肉体から出てくるのである。
 だから嘘というのは本当ではない--と書いてしまうと、なんだか変な感じだが、嘘と定義してしまうと本当ではなくなる。嘘なのだけれど、嘘をつくという肉体の動きには何かおさえることのできない本当(本能)がある。それは「いま/ここ」にあるものではない何かが嘘といっしょになってあらわれてくる誕生の悦びでもある。この悦びは本物だ。それが本物のであるということが楽しいのかもしれない。嘘をつくことで自分が自分ではなくなる、しかもその自分ではなくなるということのなかに誕生の悦びがあり、その「快感」が嘘をつかせるのかもしれない。
 その自分ではない自分を見て、だれか(相手)が驚くのを見るのが楽しいのかもしれない。
 と、ここまで書いたら、岡井の詩ではなく、谷川俊太郎の「朕」について感想を書きたくなってしまったが、ちょっと我慢して岡井の詩と向き合ってみる。(谷川の詩についてはあす書く--つもり。)

 嘘の一番不思議なことは、一度嘘をつくとそれが止まらないということである。これは岡井の詩のつづきを読むとわかる。ただし、その止まらない嘘には、ちょっとおもしろい仕掛け(?)がある。

なに、高齢と寒気がもたらした免疫力低下により麦粒腫が生じただけでのことだが、小さ子の神は折々瞼の海に小舟をお出しになる。と同時に左眼はかすかにふさがれる。

 岡井の嘘には何かしら本当のことが含まれる。(岡井だけではなく、誰の嘘にも共通することだけれど)。嘘は嘘のままでは信じてもらえない、嘘だけではことばが行き詰まるので本当のことをまぜる。
 「免疫力低下により麦粒腫」。まあ、ものもらいのようなものだろう。それを岡井は「高齢と寒気がもたらした免疫力低下」という本当(事実?)をまじえることで、ことばの運動の「土台」のようなものをつくり、その上でことばを動かす。そうするとことばが加速する。ぬかるみは走れないが、固く踏みしめた道路なら走りやすい--その固い地盤が「事実」ということになるのかな。
 「小さ子の神」は「瞼の海」に「小舟」を「出す」という嘘が楽々と動くようになる。「瞼の海」は「瞼」が「左眼」と同様「肉体」を指し示しているので、すっと私の「肉体」にも入ってきて、ものもらいが瞼の裏でいやな感じで動いているのだなと「わかる」。この「わかる」は、私が「覚えている」ものもらいのときの違和感を思い出すという意味である。岡井のものもらいは潰れて海、じゃなくて、膿を出すのかな? そのために角膜が汚れ、一瞬、視界がふさがれたような感じになるのかな? 自分の肉体ではないのではっきりとはわからないが、ぼんやりと、そういうことが「わかる」(覚えていることを思い出す。)

 この嘘は

十一月二十一日 眼科を再訪し手術的摘出つまり暴力(バイオレンス)による小さ子の神惨殺を協議。しかし当面は抗生剤(アンチ・バイオテック)にて保存的にゆくこととなる。

 という具合に加速する。手術は「暴力」による「惨殺」か。なるほどね。
 で。(で、でいいのかな?)
 で、この「ことばの加速(嘘の増殖)」は、岡井の場合、少し不思議な特徴を持っている。「小さ子の神」が「暴力的惨殺」ということばにたどりつく前に、実は、変なところを通る。寄り道(?)と言えばいいのか--でも、それは寄り道ではなくて「本当の道」なのだけれど。

十一月十九日 眼科受診、投薬される。原発問題について雑文を書く。原発を魔女のやうに怖れる風潮もここまで高まると一種滑稽味を帯びる。つまり俳諧の世界だね。

 これは岡井が原発袋叩きに異議をとえなた(?)ことと関係しているのだが、ここには「小さ子の神」のような比喩は存在しない。「日常」の感想が、「日常」のことばで語られている。それは、何といえばいいのか、一種の「注解」のように岡井のことばを補強する具合に働く。
 「暴力」も「惨殺」も、「(抗生剤にて)保存」も、原発問題を想像させるでしょ? 「原発問題」についての「日記」を読んだあとでは、それを「肉体」が覚えていて、「暴力」「惨殺」「保存」に影響してくるね。
 そのとき、それは「比喩」なのだけれど、比喩ではなくなる。
 言いなおすと、「暴力」「惨殺」「保存」ということばの「わざと」はものもらい(小さ子の神)とだけ結びつく「純粋な比喩」ではなく、原発とも結びつく「複合的な比喩」ということになる。

 岡井のことばの特徴は、この「複合的」というところにある。
 別なことばで言い換えると、あることがらが複数の「注解」で増殖しながら、「現実」をまるごと抱え込むところにある。「複合」を生きる「いのち」を岡井は、そうやっておのずと「肉体」にする。
 十一月二十日の杢太郎論を書いている部分。

あれあれ杢太郎の詩のうちでも評価の低かつたはずの「雷雨の夜」なんてのがおもしろくなつて来た。<男はまじめに涙ぐみてさせ言ひたれども/女は崩れたる膝直(なお)さむとせず/なほもひたすらにヰオロンをば/月琴(げっきん)のごとくにも、膝の上にて弾(ひ)き居(ゐ)たり。>といつた男女の構図が昨日のように思ひ出されて。は、は、は。小さ子の神の舟遊びの伴奏としても秀逸か。

 この部分など、何のために書いている? 何の効果を狙っている? 「原発」と「暴力」「惨殺」「保存」のような「複合的比喩」につながる?
 なかなかわかりにくいのだけれど。
 まあ、いいか、岡井には有名な男女の問題が記憶として肉体にあり、それやこれやを思い出して、「は、は、は。」と笑うのも、「現実」の「複合」を注解するものだよなあ、などとぼんやり思っている。つまり、ここから岡井の「人生全体」のようなものがなんとなくみえてくる。(勝手な想像だけれどね。)ものもらいだけの人生ではなく、岡井がいろいろな時間を生きていることがわかってくる。それはつまり私自身もいすいろな時間を生きているということを肉体そのものとして覚えていて、その覚えていたことが刺戟を受けて「わかった」つもりになるということだけれど。

十一月二十五日 麦粒腫はやはり神の子だつた。眼科は繁華街のショッピングセンター・モールの八階にあり、家妻と二人で、おどろくべき豊富な品々の並ぶ食料品の棚をみ回る。こんなことは麦粒腫の、いや小さ子の神の宿りたまはざりせばわたしには訪れなかつたことだ。

 「家妻と二人で」。なんとまあ、憎らしい(?)ではないか。杢太郎の部分もものもらいとは関係がないし、つまり、そういうことは書かなくてもものものらいの手術はおこなわれたのだろうし。
 何よりも、この二十五日の「日記」の部分の、「家妻と二人で」はなくても文の「意味」はなりたつでしょ? 眼科の帰りにモールを通って食料品を見た、というのは「ひとり」でもできることである。でも「家妻と二人で」の方にも「意味」があるのだ。そして、その「意味」は杢太郎の詩が「おもしろくなつて来た」ということと「複合的な事実」として結びついているのだ。人生全体が思いもかけなかった形でふわーっと浮いてくる感じだ。

 だんだん、何を書いているかわからなくなってきたなあ。何を書こうとしていたのだっけ?
 嘘について。嘘は「事実」を踏まえながら暴走する。加速する。ここまでは、いわば一般的な法則だね。
 岡井の嘘(「わざと」書かれたことばの運動)は、ひとつのテーマの中だけで展開するのではなく、現実の複数の場面を動く。そのとき、ひとつひとつの現実は、岡井のことばの運動の、瞬間瞬間にあらわれる注釈のような感じである。
 そして、注解というのは本来「テキスト(嘘)」をわかりやすくするためのもの、テキストを主とするなら従のものなのだが、岡井の場合、その従が従だけでは終わらず、存在感を増していく。(ドンキホーテのサンチョパンサのようなものだ。)
 だから、この詩はものもらいの詩? 原発の詩? 岡井の男女関係の詩? 何とでも読むことができる。岡井は何が書きたかったか--などと、問い詰めても始まらないし、どんな結論を出しても、それはそのときの「方便」にすぎない。
 ただ、そこにそうしてあるだけなのだ。
 私は「レクイエムの夜まで」の感じの「レクイエムル夜」の部分にまでは触れないのだが(あえて触れないのだが)、それはそこまで感想を書き進めて行っても、岡井の詩のどこが好きかは書き終えたことにならないから、ここで終わるのだ。



注解する者―岡井隆詩集
岡井 隆
思潮社
コメント
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