詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

もう一度書いておこう

2018-03-17 11:14:49 | 自民党憲法改正草案を読む
もう一度、書いておこう。
安倍の「私や妻が関わっていたならば、首相も国会議員も辞める」というのは「忖度」を促すことばではない。
「関わっていたという証拠を消せ」という「命令」なのである。
「命令」を忠実に「反映」したのが、改竄事件なのだ。

「忖度」というのは「理解能力」に乏しい人間が、「想像力」にもとづいて行動すること。

「関わっていたならば」と仮定形で話すところがポイント。
仮定形で話すのは、仮定形でしか話せないからだ。

安倍の仮定形は、こう読み直すべきなのだ。
「私も昭恵も森友学園の土地売買にかかわっていた。そのことがわかったならば(ここが仮定)、首相も国会議員も辞めなければならない。(だから、なんとかしろ)」
こう言っているのだ。
そして、「省略された命令」にしたがって、忠実に行動したのが佐川を始めとする財務省なのだ。

命令の「先取り反映」なのである。



詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(33)

2018-03-17 08:52:59 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(33)(創元社、2018年02月10日発行)

 「泣いているきみ」。一連目を私は繰り返し読む。

泣いているきみのとなりに座って
ぼくはきみの胸の中の草原を想う
ぼくが行ったことのないそこで
きみは広い広い空にむかって歌っている

 「泣いている」で始まり、「歌っている」と終わる。主語は「きみ」。ただし、「泣いている」の「きみ」は現実の「きみ」。「歌っている」の「きみ」は、ぼくが想像している「きみ」。
 どうして「泣いている」人間から、「歌っている」人間を想像するのか。
 ここにある「切断」と「接続」が詩である。
 「泣いているきみ」の「となりに座る」。何ができるわけではない。何もできない。でも、座っている。
 声をかけるでもなく、想像する。
 ここに、こうして座っていれば、やがて晴々とした笑顔に戻る。草原で、広い広い空にむかって歌っているきみに戻る。「胸の中の」きみが、「いま/ここ」にあらわれるのを待っている。
 ほんとうは「泣いているきみ」の「となりに座っている」のではなく、「歌っているきみ」の「となりに座っている」。
 こういうことが想像できるのは、「ぼく」が「きみ」を知っているからだ。「知っている」は「好き」ということだ。

 書きたいことはたくさんあるが、ここまでにする。
 これ以上書くと、一連目を読んだときの「うれしい」気持ちが台無しになる。





*


「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。

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目次

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河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83

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聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(32)

2018-03-16 10:44:55 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(32)(創元社、2018年02月10日発行)

 「魔法」に出てくる「音楽」は「小鳥たちは歌い」という部分にある。でも私が思わず傍線を引いたのは「答えはないけれど」ということばである。「答えはない」は「答は聞こえない」であり、「沈黙」である。こう書かれている。

青空はどうしてどこまでも青いの
子どもが問いかける夏の昼さがり
誰もほんとうの答えを知らない
風にゆれる木立がかぶりをふっている
答えはないけれど青空は美しい
子どものこころは歓びにはじける

 「答えはないけれど」は三行目の「ほんとうの答えを知らない」を言いなおしたものである。「答え」ではなく「ほんとうの」答え。空が青いということなら、太陽の光(青い光)が空中にある小さな粒子にぶつかり反射しているから、という具合に「科学的」に説明はできる。でも、それは「ほんとう」の答えではない。子どもが求めているのは「説明」ではない。
 あえて「答え」を探せば「青空は美しい」が「答え」と言えるかもしれない。青空が「ある」。その「ある」が「答え」だと。「ある」が「美しい」なのだと。
 でも、こんなふうに「急いで」読んでしまっては、いけないのだろう。
 三行目の「誰」という「主語」を借りてくると、「答えはないけれど」は「誰も答えないけれど」ということになる。「誰が」沈黙しているのだろうか。
 二連目を読んでみる。

この今にこうして私たちは生きる
見えない手が始めた時は果てしない
誰も問いかける手だてを知らない
雲間から太陽がほほえみかける
答えはないけれど小鳥たちは歌い
世界は限りない魔法に満ちている

 「誰もほんとうの答えを知らない」は「誰も問いかける手だてを知らない」と「対」になっている。「答え(答える)」は「問い(問う)」とで「ひとつ」になっている。「問いかける手だてがわかる」、そして「問いかける」ならば、「答え」は「わかる」ということだろう。「問い」のなかに「答え」は存在しているのだ。
 (「問いかける手だて」の「手」に注目すれば、答えは「見えない手」の持ち主なら知っているということになるが、私はここには深入りしない。「見えない手」の持ち主も、「魔法」も、私は「存在」を確かめたことがない。)
  「答え」と「問い」が「対」である、「問い」のなかに「答え」があるということろから、詩を読み返してみる。「答え」はたしかに「ない」が、「問い」はないか。ある。子どもが問いかけている。

青空はどうしてどこまでも青いの

 ここに「答え」がある。「答え」と気づきにくいけれど、かならず「答え」はある。「説明」ではない「答え」がある。
 ここでは、ことばが繰り返されている。「青」が二回出てくる。ここに「答え」がある。これが「答え」なのだ。
 「青空即青」であり「青即青空」が「答え」。それは「同時」にある。切り離せない。「青空は青いから青空という」。「どうして」かといえば「どうしても」なのだ。「どこまで」かといえば「どこまでも」なのである。そうとしか言えない。
 この「そうとしか言えない」は「完全」であるということ。「そうとしか言えない」は「変わることはない」であり、「変わることはない」は「変わらない」であり、「そのまま」である。「あるがまま」にかわらないのが「そのまま」。この「そのまま/あるがまま」を「美しい」と言いなおせば、

答えはないけれど青空は美しい

 になる。「そのまま/あるがまま」が「美しい」。「青空」だけではない。「風にゆれる木」は「風にゆれる」から「美しい」。もちろん風がないとき、ただまっすぐに立っているときも、「そのまま/あるがまま」に「美しい」。
 問いかけても答えない。ただ「そのまま/あるがまま」の「ある」に触れる。それが「答え」であると子どもはわかっている。だから「歓びにはじける」。
 でも、こうやって、こんなことを書いているのは、「青空はどうしてどこまでも青いの」と問いかけて、それっきり問いかけたことも忘れて笑う子どもに比べると、何もわかっていないことになる。「答え」にとらわれて「答え」をつかみそこねることになる。

 詩の感想はむずかしい。




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河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
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樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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谷川俊太郎の『こころ』を読む
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「反映」ということばの「意味」

2018-03-16 09:04:25 | 自民党憲法改正草案を読む
「反映」ということばの「意味」
             自民党憲法改正草案を読む/番外191(情報の読み方)

 2018年03月16日読売新聞(西部版・14版)の社会面の記事が非常に興味深い。

森友文書/財務省 徹底書き換え/「要請」→「申し出」「通知」→「提示」

 という見出し。
 300か所以上の書き換え部分のなかには「その意図をはかりかねるほど徹底した削除や変更が多数見つかっている」と指摘している。「要請」はすべて「申し出」に、「通知」はすべて「提示」に改竄されている。
 なぜなのか。「要請」を「申し出」に書き換えなければならない理由は?
 こう説明している。

行政文書に詳しい真山達志・同志社大教授(行政学)は「『要請』だと、財務局と学園が対等という印象を受けるが、『申し出』は下の立場にある学園が単に意見を示しただけと受け取れる」と解説する。

 つまり、「交渉」を主導していたのは森友学園ではなく財務省(近畿財務局)であり、森友学園の言いなりにはなっていない、と言いたいのである。
 籠池は安倍昭恵の名前を出し、背景に安倍がいることを示す。「対等」というよりも、財務局よりも安倍の方が「上」。その圧力に押されたのではない。「上」という扱いはしていないし、「対等」とは見ていない。「下」と見ている。そういうことを「ことば」で明示するために「申し出」にしたのだ。
 読売が「論理」の出発点にしている「2016年6月の国有地売却に関する決裁文書」は朝日新聞が03月13日に14、15面で紹介した文書に含まれていないので全貌がわからないが、「交渉」に安倍(昭恵)への「忖度」が入り込む余地がない、なぜなら森友学園は財務省より「下」の存在に過ぎないから、ということを何としてでも「文書」に残しておきたいということで「申し出」に書き換えたということだろう。
 財務省が「上」、森友学園が「下」という「証拠」として、「申し出」という「表現」がつかわれたのである。「文書」は「証拠」だという「意識」があるから、そこにつかわれる「ことば」も「証拠」になる。
 こういう「意図」を徹底するのはなかなか難しい。指示しても、見落としがあるかもしれない。「徹底書き換え」がおこなわれているとしたら、それは同時に「徹底チェック」がおこなわれていたということである。「書き換え」よりも「チェック」の方が大変かもしれない。「書き換え」はいわば単純作業である。PDFやワープロの「単語検索」機能をつかえば「要請」ということばは次々に出てくるが、それにつづくことばがあり「要請」を「申し出」に機械的に変換するだけでは文章が不自然になることがあるかもしれない。全体をもう一度読み直さないといけないからである。
 で、ここから思うのだが。
 麻生の、

主に書き換えられたのは「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」。これらの書き換えを反映させる形で残りの文書も書き換えられた。

 このことばの「反映」を利用して「徹底書き換え」を言いなおすと

 不自然な交渉の背後に安倍(昭恵)の存在があるということ、徹底的に隠蔽する。その存在がなかった(感じなかった)ということを「文書」に「証拠」として残す。その「意図」を「徹底」して、書き換え担当者に指示する。言い換えると「指示者の意図」を徹底的に「反映」させる。「書き換えの意図」をすべてに「反映」させろ、と指示したのだ。そして、その「反映」が「共有」されたのだ。
 指示者と実行者に「反映」という「意識」が共有されただけではなく、指示者(黒幕)と麻生にも「反映」ということばが共有された。それを麻生がつかってしまった。麻生には「反映」を言い換える「能力」はない。ひとつ書き換えたために、「連鎖反応的に(あるいは玉突きのように)次々に書き換えざるを得なくなった」くらいの言い方をすれば、「黒幕」の存在は浮かび上がらなかった。麻生につかえることばは、せいぜいが「連鎖」とか「玉突き」くらいだろう。
 私は、この「情報の読み方」の前に、「番外190」を書いた。そこで、野党が質問する際は「反映」ということばに焦点をしぼって追及すべきだと書いた。「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」のどこを書き換えたことを、他のどの文書に「反映」させたのか、ということを追及してほしい。
 「反映」というのは特にかわったことばではないが、これまでは「森友学園」をめぐって「主役」にはならなかった。もっぱら「忖度」が「主役」だった。新しいことばがつかわれるということは、そこに「新しい意図」があるということである。何かを隠す、何かを別の方向へもっていくために、「新しいことば」がつかわれる。
 ここから「事件」を追及していくと、その「新しいことば」をつかい始めたひとが特定できるし、そのほんとうの狙いも浮かび上がるはずである。

 「文書」が問題なのだから、「文書」の「ことば」を追及しなければならない。

 *

 少し話題は変わるのだが。
 「申し出」は「下の立場」にあるものがつかうことば、「下」を指し示すことば、ということで、追加しておく。
 天皇は「象徴としての務め」というメッセージで、「申せ」ということばをつかっていた。これは天皇に圧力をかけている人間がいる、ということを知らせる(暗示させる)ことばであった。天皇を「下」とみなす人間がいる。それに対する「抗議」を「申せ」ということばであらわしていた。さらに「考えられます」「思われます」というような婉曲表現をつかっているところもある。これも「上」から指示するだれかに対して、抗議をあらわしている。
 ことばの細部に目を向けると、そういう「隠れた構造」が見えてくる。これは「天皇の悲鳴」に書いたことである。これを多くの人が見逃しているのが、私には不思議でしようがない。
 また「生前退位」ということばが、皇后の抗議のあと「退位」に突然変わったことも指摘した。皇后のことばの「意図」に気づき、大慌てでマスコミに「生前退位」ということばをつかわないように「通達」を出したのだ。だれかが。
 安倍(内閣)を背後で指揮する「黒幕」は、ぜったいにいる。安倍や麻生のようなことばに鈍感な人間ではない。「未曾有」や「踏襲」「云々」が読めない人間には、こういうことばのつかいわけはできない。
 「高級官僚」というのは、よほど新聞や何かの情報に目をこらさないと、その具体的な存在(名前、活動)が見えない。私はテレビを見ないし、新聞もざっとしかよまないから、「黒幕」がだれかわからないが、「忖度」をぱっと「反映」にいいかえることができる狡賢い人間である。
 「安倍の意図を忖度しろ」ではなく「反映しろ」。「忖度」というなまやさしいものではないのだ。「忖度」という「中間項目(実行者の思い)」なんて、存在してはならないのだ。「忖度」などするのは「ばか」。「忖度」をすると、そこに実行者の「こころのあと(証拠)」が残ってしまう。「忖度」を抜いて「反映」へ直結する。それが「高級官僚」の「頭」である。(多くの官僚は、だれがいちばんの「キレモノ」であるか知っているはずである。一緒に仕事をしていれば、だれに組織力と指揮力があるか知っているはずである。それを「内部告発」する人が出てくるといいのだが、だれもしないだろうなあ。)

 今回の改竄は「忖度」(言い換えると、財務省職員のためらい)を完全に消してしまうということが目的なのだ。「忖度は存在しない」というこことを証明するために「改竄」した。何を「反映」させているか、それを語らせることで、「しっぽ」が出てくるはずである。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

「天皇の悲鳴」(1500円、送料込み)はオンデマンド出版です。
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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
問い合わせは
yachisyuso@gmail.com

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佐川証人喚問のポイント(反映と忖度)

2018-03-16 00:39:32 | 自民党憲法改正草案を読む
佐川証人喚問のポイント(反映と忖度)
             自民党憲法改正草案を読む/番外190(情報の読み方)

 2018年03月15日読売新聞(西部版・14版)の一面の見出し。

佐川氏 来週にも証人喚問

 他の新聞も同じように報じていた。
 「いつ、なぜ」が問われることになるのだが、答えは「国会答弁のあと、目的は答弁との整合性を図るため」というが目に見えている。
 野党には、質問の仕方を工夫してもらいたい。
 そのときの「ポイント」となるのが、麻生が語ったことば。
 2018年03月13日朝日新聞(西部版・14版)の「調査結果と麻生財務相の発言骨子」のなかに、こういう項目がある。

主に書き換えられたのは「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」。これらの書き換えを反映させる形で残りの文書も書き換えられた。

 「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」のどこを書き換えたことを、他のどの文書に「反映」させたのか、ということを追及してほしい。
 そして同時に、麻生に(安倍でもいいが)、それが「反映」なのかどうか、確認してほしい。
 特に、「特例承認の決裁文書」の削除項目と、他の文書の関係。
 「森友学園」の「理事長」がだれであるかを明記した部分に、こうある。(2018年03月13日朝日新聞14面)

(2)理事長
籠池康博氏(別紙名刺参照)
同氏は、「日本会議大阪(注)代表・運営委員」を始めとする諸団体に関与している。

 その(注)のなかに、こうある。

 国会においては、日本会議と連携する組織として、超党派による「日本会議国会議員懇談会」が平成9年5月に設立され、現在、役員としては特別顧問として麻生太郎財務大臣、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任。

 この部分を削除し、その削除を、他の文書のどの「改竄」に反映させたのか。ここを削除することで、他のどの文書のどの文言を「改竄」しないと整合性がとれなくなったのか、それを問い詰めてほしい。
 麻生は、はっきりと「特例承認の決裁文書」の書き換えを反映させる形で残りの文書も書き換えられた、という趣旨のことを語っている。「反映」を理解している。その「理解」は佐川の判断と「一致」するか。
 佐川が、この「反映」を説明することができないとき、では、なぜ麻生が佐川の説明を先取りする形で「反映」という表現をつかえたのか、という問題が起きる。

 私は、佐川でも、麻生でも、安倍でもなく、別な人間が「削除」を指示していると見ている。
 麻生にも、安倍にも「反映」というような微妙なことばをつかう「能力」はない。「未曾有」を読めなかったり、「云々」を読めない人間に、「反映」ということばはつかいこなせない。
 麻生は「これらの書き換えを反映させる形で残りの文書も書き換えられた」と言っているが、違うだろう。
 これは、この削除を指示した人間を含め、「日本会議」の意向を「反映」した行為なのだ。そして、こういうときの「反映」は、実は「忖度」のことである。ある人間の「意向」を「忖度」し、それを行動に「反映」させる。
 この「反映=忖度」という「意味」から、安倍の思いを「忖度」して、佐川が削除を指揮したという構図も描けるかもしれないが、麻生にいいように振り回されている佐川には、「大きい構図」の仕事ができるとは思えない。

 世間が、安倍の意向を「忖度」して、佐川が文書を削除した(改竄した)と思い込んでいる。それを逆手にとって、佐川が国会答弁で嘘をついたので、その嘘と整合性を取るために、つまり嘘を文書に「反映」させるために、改竄を始めた。さらに、その改竄の整合性をとるために、次々に改竄を他の文書に「反映」させつづけた。こういう「事件構図」を仕立てようとしている。そうすることで佐川ひとりに責任を押しつけようとしている。(裏で、「悪いようにはしないから」という取引があるのだろうけれど。)
 しかし、そんなものに目を奪われてはいけない。
 「忖度」から「反映」への、ことばの転換。ことばを変えることで、「事実」そのものの「見え方」を変えてしまおうとしている人間がいる。
 「反映」は佐川が語ったことばではない。麻生が語ったことばである。そして麻生は、「反映」というような微妙な言い換えを思いつけるような「知性」を持ち合わせていないことを考えると、絶対に「黒幕」がいる。その人間は「日本会議」と深くかかわっている。「日本会議」の力を借りて、安倍と麻生をあやつっている。「人本会議」に目を向けられては困るから、「日本会議」の項目を削除させたのだ。

 他人の嘘を追及する(見破る)こつは、他人のつかったことばをつかって、他人に語らせることだ。質問する側が「新しいことば」で言いなおすのではなく、あくまで嘘つきのつかったことばをつかって問い詰める。「反映」ということばで、どこまで「説明」できるか問い詰めれば、「事実」は明らかになる。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
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ピーター・ランデズマン監督「ザ・シークレットマン」(★★★★)

2018-03-15 10:08:45 | 映画
ピーター・ランデズマン監督「ザ・シークレットマン」(★★★★)

監督 ピーター・ランデズマン 出演 リーアム・ニーソン、ダイアン・レイン

 現代は「マーク・フェルト」。FBI副長官であり、ウォーター・ゲート事件の「ディープ・スロート」である。
 ウォーター・ゲート事件を引き起こしたのは大統領であり、捜査を妨害しているのは権力だと「内部告発」をする。
 これを見ながら思ったのは、いま日本で起きている「森友学園」事件である。「文書改竄事件」と呼んでしまうと、「ウォーター・ゲート事件」を「盗聴事件」と呼ぶのに似てくる。「事件」が非常に狭い範囲に限定される。「改竄」「盗聴」に限定され、その背後で動いているものが見えなくなる。
 「森友学園事件」は、まさにそういう展開になろうとしている。文書を改竄したのは佐川であり、佐川が保身のために動いた。国会答弁と文書の間に「齟齬」が生じれば、佐川が嘘をついたことになるので、それをごまかすために改竄したということになる。
 なぜ、「文書は廃棄した(存在しない)」と言い張ったのか。そう言わざるを得なかったのはなぜなのか。その追及がおこなわれないことになる。
 映画にもどる。
 マーク・フェルトは、頻繁に、FBIは独立機関である。行政機関の指示は受けないと強調する。「犯罪は許さない」という強い信念がある。そして、新しいFBI長官が大統領にべったりであり、捜査に非協力的であるとわかると、「内部告発」に踏み切る。情報をリークし、さらにそれがどんな「意味」をもつのかまで、記者に教える。ただ情報をリークするだけではだめなのだ。
 一方、「内部告発者」がフェルトであると特定されないようにするため、部下に嘘もついている。「内部告発社」として誰それがうわさされている、というようなことまで言ったりする。
 うーむ。
 日本に、ここまで決意をもって「内部告発」できる人間がいる。自分の仕事に対して信念を持っている人間がいるか。
 その一方で、この映画はFBIの「裏側」も描いている。集めた情報には、人に知られたくないこともある。「秘密」がある。それをちらつかせて、人を動かす。「妻ではない女性と一緒に行動していた。女性ではない愛人がいる」とかの「情報」を公開する(妻に知らせる)と脅すのである。
 こういうことは、日本の場合、「捜査機関」ではなく、もっと別なところでおこなわれているかもしれない。
 与党第二党の、あまりにも自民党べったりの言動を見ていると(自民党内部からさえ、内閣批判、財務省批判が出ているのに、批判しない)、これは「知られたくない情報」をちらつかせて圧力をかけられているのではないか、と疑いたくなる。
 あ、ついつい、脱線してしまうなあ。
 映画そのものとしては、「音」の使い方がおもしろい。「盗聴」が映画のもう一つのテーマであることと関係しているのだが、背景に複数の声が流れる。ニュースであり、テレビのなかのコマーシャルであったりするのだが、そのなかから「必要」なものをピックアップして「情報」にする。「声」(音)というのは、「映像」以上に「事実」を語るときがある。「ことば」には「映像」とは別の「論理」があるからだろうなあ。
 「劇的」なことを「劇的」にせず、たんたんと描いている。それがそのままマーク・フェルトの「姿」に重なる。
 リーアム・ニーソンはスピルバーグの「リンカーン」役をことわったけれど、彼が演じていたらどういうリンカーンになったかなあ、というようなことも考えた。
 (t-joy 博多スクリーン10、2018年03月14日)


 *

「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/

コンカッション [SPE BEST] [DVD]
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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(31)

2018-03-15 09:14:50 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(31)(創元社、2018年02月10日発行)

 「ないしょのうた」のことばの変化がおもしろい。

じめんのしたからうたがきこえる
もりのおくからも
ゆうやけのむこうからも
ほしとほしのあいだからも
ないしょのうたがきこえてくる

 「じめんのした」の「した(下)」は見えない。同じように「奥」も「向こう」も見えない。地面の下は土にさえぎられている。森の奥は木にさえぎられている。夕焼けの向こうは、たとえば山にさえぎられている。でも星と星の「あいだ(間)」と見える。
 しかし、これはまた別の言い方もできる。
 「地面の下」には何かが「ある」。「土」がある。「森の奥」には木が「ある」。「夕焼けの向こう」には知らない街が「ある」。でも、「星と星の間」には? 何も「ない」。「無」が「ある」。
 「あいだ」は不思議な「存在」である。
 二連目では「あいだ」はこうつかわれる。

しらないあいだに
わたしのからだにはいってきたうた

 この「あいだ」は「時間」である。(星と星の「間」は「空間」である。)知らない「うち(内)」にであり、知らない「ま(間)」でもある。無意識と言いなおせば、そこに「無」がある。この「無」を「無間」と仮に呼ぶことができる。「無意識時間」の省略形である。そしてこの「無間」を「空間」と比較すると、ちょっと「錯乱」のようなものが私の中で動く。「空」と「無」は、どこか通じるものがあるからだ。
 三連目は、

もしかするとしんだおとうとも
うたってる ないしょのうた

 「しんだ」おとうとは、この世にはいない。「無」である。「いた」けれど「いなくなった」のが「死んだ」。「ある」と「ない」が不思議な形で結びついている。この世に「ない」。でも思い出すとき、この世に「ある」。思い出すというのは「意識」の働きだね。さらに「死ぬ」を「空しくなる」と言いなおすと、ここに「無」と「空」が再び重なり合うものとしてあらわれてくる。
 そして四連目。

こえをあわせて
わたしもからだのなかでうたっているの
だれにもいえないことがあるとき
どうしていいかわからないとき

 「あいだ」は「なか」にかわっている。
 この「なか」にいちばん近いものは、この詩では「奥」かなあ。からだの「奥」でうたっている。「しらないあいだに」を「しらない内に」と読み替え、その「内」を借りて言えば、「からだの内で」になるかもしれない。そのとき「なか」は「無」ではないね。からだの中が「空洞」ではないのだから。
 そうすると「あいだ(間)」は四連目で消えてしまう?

 「ほしとほしのあいだ(間)」は、「ほしとほしの真ん中」と読むことができる。そうすると、そこに「なか」が入ってくる。
 ただし、この「からだの真ん中」は「ほしとほしの真ん中」のように何もないではないね。ぎっしりつまっている「真ん中」。「ま(間、隙間)」が「ない」。
 ただし、その「真ん中」(奥、内)というものが、「からだ」のなかにあらわれるのは、

だれにもいえないことがあるとき
どうしていいかわからないとき

 なのだ。
 「だれにもいえないことがあるとき」には「ある」ということばがつかわれているのでわかりにくいが、これは「言いたいことがあるのに、いえないとき」である。そして「どうしていいかわからないとき」とは「しなければならないことがあるのに、どうしていいかわからないとき」である。
 「ある」と「ない」が絡み合っているのだが、「いえない」「わからない」の「ない」の方に力点がある。
 その「ない」が「からだのなか」を刺戟して「ぎっしりつまった中」を浮かび上がらせる。気づかせる。その「ぎっしりしまった中」というのは、言い換えれば、「なにもかもがからみあった混沌」のようなものだ。「ある」のだけれど、名前がまだ「ない」何か。
 名前が「ない」から、その「ない」ものをなんとかしたくて、「うた」にする。聞こえてくる「うた」にあわせてみる。「声」をあわせてみる。「声」は「からだのなか」から出てくる。「からだのなか」には「何か」を「生み出す」力がある。「力」が「なか(間)」を埋めている。

 「ないしょ」は「内緒」と書く。(「内所」「内証」という書き方もある。)「緒」は糸口、はじまり。「端緒」ということばがある。からまっているものが、ほどけて、そこから糸(道)がのびていく。まだ、どこにもつづいていない「混沌」のようなものに通じる。
 「ないしょ」は、自分ではわかっているが、他人にはわからないこと。「からだのなか」にある「混沌」は、まだ、ことばになっていないから、だれにもわからない。けれど、自分には「わかる」。
 声をあわせるのは、どこかから「聞こえる」ものを手がかりにして、からまっている「意識の糸(こころの糸)」をほどき始めるのに似ている。

 これって、「詩」の書き始めに似ていないだろうか。あるいは、詩の読み始めにも。
 書きたいことが「ある」。でも、それはどう書けばいいのか、わからない。最初のことばが出てこない。読んで感じることが「ある」。でも、それは、どう書いていいのかわからない。
 書き始めると、ことばが四方八方にひろがり、とりとめもなくなるが。
 こういうことを「からだのなか」と結びつけて考えているところがおもしろい。

 書きながら、読みながら、「からだ」は「じめん」や「もり」や「ゆうやけ」や「ほし」という形で世界になってあらわれている。「じめん」を見ると「地面」になる。「もり」を見ると「森」になる。「ゆうやけ」を見ると「夕焼け」に、「ほし」を見ると「星」になる。





*


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樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
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     *
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(30)

2018-03-14 20:27:52 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(30)(創元社、2018年02月10日発行)

 「聞きなれた歌」に書かれている「歌」は鳥の声。谷川はカッコウとホトトギスの声になじんでいる。
 その詩の最後。

 鳥の鳴き声はどんなときも私たちに生命を告げる。近ごろ街なか
の交差点で聞くことがある、電子音による鳥のさえずりがなんとも
不快なのは、あれがにせものだからだろう。にせものとほんものを
聞き分ける耳くらいは私にもまだ残っている。

 この部分の詩のポイントは「にせもの」「ほんもの」の違いなのだが。
 「にせもの」「ほんもの」が出てくる前に、私は「あっ」と叫んでしまった。
 交差点の鳥の鳴き声。「カッコー、カッコー」と「ピヨピヨ」。私は谷川のこの作品を読むまでは「ピヨピヨ」をひよこの鳴き声だと思っていた。でも、そうではなくてホトトギスだったのか。
 「電子音」をつくった人がホトトギスを意識したかどうかはわからないが、谷川はホトトギスと認識している。
 同時に、そうか、谷川は鳥の声を山へ出かけていって聞いているのか、とも思った。「幼いころから夏を群馬県の高原にある父の山小屋で過ごした」と書いている。そこでカッコーの声を聞き、それが耳になじんだ。
 ホトトギスも夏鳥なので高原で聞いたのだろう。
 そう考えると、この交差点の鳴き声を考えたひとは、谷川と同じ「体験」をしていることになる。
 そして、そこには谷川の書いたこととは別の「ほんもの」がある。「体験」の「ほんもの」。「ほんものの体験」が、人工音を識別させる。これはカッコー、これはホトトギスと。そのうえで、「にせもの」「ほんもの」と言っている。

 うーむ。

 私はカッコーの声をどこで聞いただろうか。ホトトギスはどこだろうか。谷川の詩の最後の部分で「ピヨピヨ」はホトトギスだったのかと思い出すのだから、どこかで聞いたことがあるのだと思うが、はっきりしない。
 カッコーもホトトギスも、私の住んでいた山の中(私の家の近く)では、あまり聞かない。山鳩と夏のウグイスはひっきりなしに聞く。ウグイスがいるのだからホトトギスもいるのだと思うけれど。
 「ピヨピヨ」をひよこと思ったのは、近くに鶏を飼っている家があり、そこで雛を見ているからだろう。
 耳は「保守的」な感覚器官なのかもしれない。「聞こえる音」を「聞いた音」に結びつけて判断する。「聞いたことのない音」は、もしかすると「聞こえない」かもしれない。「ほんもの」「にせもの」とは別に「聞こえる音(聞いた音)」と「聞こえない音」があるかもしれない。
 「聞き分ける」の「分ける」はなかなかおもしろいことばだとも思った。
 私の耳は「聞き分ける」までは発達していなくて、「聞き、結びつける」という感じでしか働かない。
 「分ける」というのはひとつの文化だな、というようなことも感じた。
 こういうことは、「音」だけではなく、「ことば」でも起きるかもしれない。
 「ことば」を「読み、分ける」、あるいは「読み、結びつける」。

 谷川が書いている「にせもの=深い」ということについては、また別の機会に考えることにする。







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小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
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聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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佐川の語った「ほんとう」。

2018-03-14 19:05:00 | 自民党憲法改正草案を読む
佐川の語った「ほんとう」。
             自民党憲法改正草案を読む/番外189(情報の読み方)

 2018年03月13日朝日新聞(西部版・14版)は「財務省公文書改竄」関連特集新聞。いちばん重要なのは、14、15面に掲載されている「改ざんされた14文書」である。書き換え前と書き換え後が対比されている。ここには、新聞社の「見立て」はなく、純粋に「資料」がある。情報量が多くて、目の悪い私にはひとつひとつを点検することが非常に難しい。しかし、とても特徴的なことがある。それについて書こう。
 一番めだつのは「すべて削除」という文言である。書き換え前はあったが、書き換え後(?)はなくなっている。「項目ごと削除」というのもある。「削除」という文字が70以上並んでいる。

 で、ここから振り返ってみるのだが。
 国会で「森友学園との交渉記録は破棄した」「パソコンの文書は自動的に消えるシステムになっている」というような答弁をした。私は全部を見ているわけではないが、佐川は平然と話していた。「これ以外は言わない、これで切り抜ける」と腹を括っている感じであった。
 佐川の言ったことが「嘘」ならば、これは大変な「嘘つき」である。
 12日の読売新聞の「佐川答弁と整合性図る」は、「嘘」をついたので、それと辻褄をあわけるために、あとで文書を改竄(削除)した、という見立てである。
 私は違うことを考えた。
 ひとはだれでも簡単には「嘘」をつけない。人が語ることの中には「ほんとう」が必ず含まれている。
 佐川は、どんな「ほんとう」を語ったか。

森友学園との交渉記録は破棄した(存在しない)

 これは「ほんとう」だったのだ。
 佐川が答弁に立ったときは、きっとすでに「文書」の処理はすんでいる。「破棄されている」「存在していない」。だから、佐川は、どんな野次を飛ばされようが平然と答えることができた。
 「ないというのなら、これから調べに行くぞ」と言われても大丈夫の状態だったのだ。「あるというならば(そんなに疑るならば)、すぐ調べてみてください」と言っても、大丈夫だったのだ。
 もし、まだ「破棄されていない」(存在している)のだとしたら、そうは答えられない。答弁のあと、財務省にひきあげ、何人かを呼び寄せ、「改竄作業」をすすめるとすると、その「仕事」は目立ちすぎる。
 「あ、佐川が、自己保身のために(辻褄合わせのために)、文書整理をはじめた」とだれもが気づく。「そんなことをしてはいけない」という「声」が出るかもしれない。
 けれど、佐川が「廃棄して、すでに存在しない」という前だったら、どうか。
 「文書の整理」にしか見えないだろう。
 だれか(議員か、役人かわからないが)、「いくつかの文章を丸める(要約する)ことはある。それは改竄にはあたらない」といっていたが、「文書整理」ということで逃げることができる。
 佐川の答弁を聞いて、その「文章を丸める(文書を簡潔につくりなおす)」仕事を手伝った人間は、「あ、あれはこの答弁のための下作業だったのだ」と気づく。しかし、気づいたころにはすでに「文書」はないから、「反対」と言えない。
 何をしているか正確に理解できないままに、佐川の指示に従って「文書改竄(削除)」を手伝った人間もいるかもしれない。

 朝日新聞の資料では「改竄日」が明記されていない(特定されていないのかもしれない)ので、時系列がはっきりしないが、私は「改竄」は佐川答弁の前だと思う。
 そうでなければ、あんなに「何を言われても平気」という顔で「廃棄した、存在しない」とは言えない。
 ひとは、ほんとうのことを言うものなのだ。

 麻生の発言骨子にあった「反映」ということばは、麻生自身のことばではない。そこには「だれか別人がいる」ということを感じさせる。ことばは、とても不思議で、「論理(意味)」だけではなく、それを発言した人と強く結びつけると、「論理(意味)」だけではわからないものが見えてくる。

 さて。
 佐川発言と「改竄」の時系列ははっきりしないが、佐川発言で時系列がはっきりしていることが「ひとつ」だけある。
 佐川の答弁は、安倍が「私や妻(昭恵)が森友学園問題に関与していることになれば、首相も議員もやめる」と言ったのが2017年2月17日であり、佐川が「記録は破棄している」と答弁したのが2月24日であるということだ。
 1週間かけて、懸命に「下準備」をした、という「状況証拠」が、「時系列」のなかにある。
 「削除」された「特例承認決裁文書②「普通財産の貸付に係る特例処理について」(平成27年4月30日)」の中には、首相の名前も昭恵の名前もある。首相の名前は「安倍昭恵総理夫人」という間接的な形のほかに、「日本会議」の註釈の中で「副会長に安倍晋三総理らが就任」という形で出ている。
 なんとしてでも「安倍晋三」の名前を「文書」から完全に削除したいという思いが見える。

 もうひとつ、さて。
 03月14日の読売新聞夕刊(西部版・4版)の一面、

 自公、佐川氏招致を容認/「森友」書き換え 昭恵氏は拒否

 という見出し。

 佐川辞任の9日から、きょうで5日。辞任はもっと前から「裏交渉」されていただろう。招致容認が「14日」、実際の承認はいつになるか。かりに16日とすると、辞任から一週間。一週間あれば、いろいろ「準備」はできる、ということかもしれない。

 それにしてもなあ。
 佐川は「あるというのであれば」という「仮定」を持ち出して「すぐ調べてみてください」とタンカを切らなかった。これは、嘘のつき方としてまことにすばらしい。準備が終わっているから、そんな「誘い」をかける必要がない。「わな」を見せると、「あっ、これはもう証拠隠滅が終わっているということなのだ」と気づかれる。「仮定」は「状況証拠」になってしまう。
 一方、安倍は「私や妻が関係していたということになれば」と「仮定」の話を持ち出している。ほんとうに無関係ならば、「仮定」など持ち出す必要はない。最近「仮定の質問には答えられない」というのが安倍の「口癖」だが、森友問題がもちあがったときは、安倍をあやつっているブレーンから、そういう「言い方」(逃げ方)を教えてもらっていなかったということだろう。関係しているからこそ、「関係していたなら、首相も議員も辞める」とタンカを切り、ことば「勢い」で逃げようとした。
 「勢い」そのものが「嘘」である。
 「ほんとう」は佐川のように「淡々」としたことばのなかにある。「ほんとう」だから「勢い」でごまかす必要はない。

 佐川が国会で何を語るか。
 「改竄(削除)」の日にちが特定されれば、すべてが明確になるのだが。
 改竄文書の改竄日が「2017年2月24日」以降になるよう、工作はすんだのか。パソコンの「履歴」を丁寧に調べればわかるはずだが。財務省のパソコンは、入れ替えてしまったのだったっけ?
 「だれが、なぜ」よりも「いつ」が事件の本質を明るみに出すはずだ。


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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書き換え「反映」、か。

2018-03-14 00:51:26 | 自民党憲法改正草案を読む
書き換え「反映」、か。
             自民党憲法改正草案を読む/番外188(情報の読み方)

 2018年03月13日朝日新聞(西部版・14版)は「財務省公文書改竄」関連が一面をふくめて計10面。多すぎで、なかなか読めなかった。
 細部も、とてもおもしろい。
 すでに何人かの人が書いているが「天声人語」の最後の一文。

未曾有の不祥事と呼ぶべきであろう。

 この「未曾有」に「ルビ」がふってある。新聞ではルビをふることになっているのだろうけれど、麻生への「あてこすり」とも読める。麻生には読めないだろうが、普通の人には読める。同じように、麻生には「読めないこと」があるだろうが、一般市民(朝日の読者)には「読める」ことがあるんだぞ、と言っているかのようだ。もちろん、朝日の記者にも「読める」。
 で、この「皮肉」を読んで、私は、あっと声を上げそうになった。

 一面に「調査結果と麻生財務相の発言骨子」というのが載っている。
 その「骨子」のうちの、

主に書き換えられたのは「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」。これらの書き換えを反映させる形で残りの文書も書き換えられた。

 が、ふと、強烈によみがえったのだ。
 最初は軽く読みすぎてしまった。ひとつの文書を書き換える(改竄する)だけでも気をつかうと思うが、ひとつを書き換えたために他の文書との間に「齟齬」が出てくる。それをさらに隠すために次々に「改竄」する。これは、よっぽど頭がよくないとできない。さすが「官僚」である、と最初は感心した。
 素人は1ページ改竄すると安心する。他の文章と「齟齬」が生じる、なんて思いつかない。だから、素人犯罪はすぐ露顕するのだろうけれど、とも。

 しかし、「未曾有」に「みぞう」というルビをふってあることに立ち止まった瞬間、ほかのことがひらめいた。。
 麻生が「反映」ということばをつかっていること、そのこと自体に、「ある何か」を感じた。
 何気ないことばだが、なかなか興味深い。普通は、こういうときはひとつの「書き換え」が「玉突き」みたいに拡大していくと言う。「いもづる」という言い方もある。なかなか、ひとつの書き換えを別の文章に「反映」させるというような言い方はできない。
 「未曾有」も読めない人間が、ここで「反映」ということばをつかうのか。たぶん、麻生には思いつけないことばである。
 つまり、「骨子」に紹介されていることは、麻生のことばでなはく、だれかの「作文」なのだ。それを麻生が読み上げた。
 そこがポイント。
 この事件の背後には、麻生を手玉にとって動かすような人間がいるに違いない。その人間は、もしかすると安倍をも手玉にとっているかもしれない。
 朝日新聞は、一番めだつ見出しに

財務省、書き換え認める(12日夕刊)
財務省、森友文書改ざん(13日朝刊)

 と「主語」を「財務省」に限定しているところが、とても興味深い。
 財務省が改竄をしているということは、すでに12日朝刊で各紙が「予告」していた。どう改竄したかが次のポイントであるはずだが、朝日は財務省にこだわっている。
 麻生は、佐川を「犯人」に仕立て、ほんとうの「黒幕」を隠そうとしている。そういう動きさえ、姿を見せない「黒幕」のシナリオなのだろう。
 朝日新聞は、もしかすると、そこまで「視野」にいれて記事、見出しを書いているのではないか。財務省そのものを自在に動かしてしまう「だれか」がいる。その「だれか」をとりあえず「財務省」と呼んでおく。
 朝日新聞は、そこに焦点を当てているのではないだろうか。今回の事件は「黒幕」へたどりつくための「入り口」に過ぎない。
 「昭恵」の名前に惹きつけられて、そこに焦点を当ててしまうと、きっと何かを見落とす。「昭恵」は「昭恵」でポイントだと思うが、「事件の奥」にはもっと大きな問題が隠れているような気がする。
 「反映」を逸脱して改竄、削除された文章に、その「奥」のものが隠れている。特に「削除」されたものがポイントになる。
 朝日新聞は、14、15面で、改竄された14文書を掲載している。私は目が悪くて読むところまでいっていないのだが、「削除」された文章にぜったいに、とんでもない「秘密」がある。「削除」しなくても「齟齬」を引き起こさないのに、先取りする形で「削除」してしまった文章。
 それがほんとうの「黒幕」だ。
 それは安倍をもあやつっている可能性がある。

 こういう「予測」は、まあ、映画のみすぎなのかもしれないけれど。

 だれか、この部分は削除しなくても、佐川の答弁と「齟齬」が起きないというものを一覧表にして紹介してくれないかなあ、と思う。



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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(29)

2018-03-13 11:46:13 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(29)(創元社、2018年02月10日発行)

 「夜のラジオ」から、二つのことを書いてみたい。

半田鏝を手にぼくは一九四九年製のフィルコのラジオをいじっている
真空管は暖まってるくせにそいつは頑固に黙りこくっているが
ぼくはまだみずみずしいその体臭にうっとりする

 「もの」に対する愛着。「半田鏝」「真空管」に、それを感じる。谷川はことばよりも「もの」が好きなのだ。「もの」の確かさと言えばいいかもしれない。それは「頑固」「黙りこくっている」に象徴的にあらわれている。「ことば」を拒絶している。
 この「ことばの拒絶」を愛するというのは、前に読んだ「きいている」の最終連に通じる。

ねこのひげの さきっちょで
きみのおへその おくで

 それまで書いてきた「ことば」の運動が突然飛躍する。延長線上を動かない。それまでの「意味」を拒絶して「ねこのひげ」「さきっちょ」「きみのおへそ」が「もの」として「ある」。
 これをナンセンス(無意味)と、私は呼ぶ。
 ここでいう「無意味」というのは、「きみの言っていることは無意味だ」というときの「無意味」ではない。「意味」という連続性を断ち切って、ただ「もの」として「ある」。その「力」のことである。
 あらゆる「もの」は「意味」づけられる。ラジオを組み立てるときの「半田鏝」「真空管」もラジオの構造の中で確かな「意味(位置)」をもっている。人間の意識が「もの」を「意味」に変える。
 この「意味」の連続性を断ち切って、「もの」そのものとして「ある」がままにする。それを、私は「無意味」と呼んでいる。
 で、これから書きすすめることは、「論理的」に書けるどうかわからないのだが。(他人につたわることばになるかどうかわからないのだが。)私の感じていることは、こういうことだ。
 「半田鏝」も「真空管」もラジオ(をつくる)という過程の中では「意味」をもっている。どことどこをつなげるか。真空管をどうやってつなげるか、ということはラジオの構造にとって「意味」をもっている。つなぎ方を間違えたら、ラジオは鳴らない。
 それがわかっているけれど、谷川はここでは「意味/構造/接続」を一瞬わきにおいておいて、「半田鏝」「真空管」という「もの」を「もの」として愛している。愛着をもって、「もの」をみつめている。「意味(構造/位置づけ)」を離れて、その「存在」を納得している。
 だから、ラジオが「頑固に黙りこくっている」としても、何かうれしい。まだラジオになっていない(?)のに、ラジオを超えて、その存在が「好き」。これは、「論理的」には「ナンセンス(無意味)」なことである。でも、そこに「こだわる」。
 そして、その「ラジオ以前」に特別の「名前」をつけるところまで、ことばは動いていく。

体臭

 たしかに「真空管」にも「におい」はある。ガラスにも金属にもにおいはある。真空管独自のにおいを「真空管の体臭」と呼ぶことはできるかもしれない。でも、そのときの「体臭」の「意味」は、流通言語でいうときの「体臭」とは違う。「意味」を超えている。「意味の超越」と言ってもいいが、おおげさなことばは私は苦手なので、「無意味(ナンセンス)」と呼ぶ。
 真空管がどんな「体臭」をもっていようが、それはラジオの「構造/鳴る仕組み」とは関係がない。「におい」を利用して音が出るわけではないのだから。
 こういう「意味の構造」をこえることばが動くところに、谷川の詩の魅力がある。それは「もの」に対する愛好、「もの」が「意味づけられる」前の状態を愛するというのとつながる。
 完成された「もの」も好きだが、「完成以前のもの」も好きである。「完成以前」を「未生」と言い換えると、谷川の多くの詩を動かしている「方向性」のようなものが、そこから見える。「ことば以前のことば」を書くことが詩であるように、「完成されたもの以前のもの」に目を向け、それを「もの」として生みなおす、というのが谷川の、「もの」との関係の「詩」の行為なのだ、と思う。
 これが、書きたかったことの、ひとつ。

 もうひとつは二連目を引用しながら書いてみる。

どうして耳は自分の能力以上に聞こうとするのだろう
でも今は何もかも聞こえ過ぎるような気がするから
ぼくには壊れたラジオの沈黙が懐かしい声のようだ

 これは一連目を受けた「起承転結」の「承」のような連である。「黙りこくっている」は「沈黙」と言いなおされている。
 その「沈黙」を含む一行は、とてもおもしろい。
 「壊れたラジオの沈黙が懐かしい」ではなく、「壊れたラジオの沈黙」を「懐かしい声」と比喩にしている。(「声のようだ」の「よう」は、そのことばが直喩であることを明らかにしている。)
 でも、「沈黙」と「声」というのは、同じ性質のもの? 正反対だ。「沈黙」があるとき、そこには「声」はない。共存し得ない。それなのに、その共存し得ないものを「比喩」として提示する。
 そして、それが共存し得ないものなのに、つまり「比喩」としては「論理的」には破綻しているにもかかわらず、この一行を読んだとき、とても惹きつけられる。「あっ」と思い、そこに惹きつけられる。つまり、「矛盾」など感じていない。
 このことばの切断と接続には、やはり「ナンセンス(無意味)」がある。流通している「意味」を否定して、ただ「ある」ものとして存在を確立する超越的なものがある。この「超越的な何か」を「詩」と呼んでしまえば、まあ、簡単なのだろうけれど。

 で。
 ここから、もう一度、

ねこのひげの さきっちょで
きみのおへその おくで

 に戻ってみる。
 この「ナンセンス(無意味)」と「沈黙」は、どう違うのか。
 音楽(詩)は「音/ことば」と「沈黙」の共存(拮抗)によって生み出される。そういう種類の音楽(詩)がある。
 また、詩にはもうひとつ「ことば」と「もの(意味にそまっていない存在)」が出会うことで生み出されるものがある。
 「沈黙」が「音のない状態」を呼ぶなら、「もの」は「意味のない状態」と呼ぶことができる。「無」である。「無意味」である。それは「意味」を破壊すると同時に、「意味」をあらゆる方向に解放する。完全に開いてしまう。そのど真ん中にほうりだされて、「私」がただ「ある」だけのものになる。「私」と「もの」とが、まったく新しく出合いなおす。
 そういうことが起きるのだと思う。
 そしてこのときの「無意味(ナンセンス)」のなかで起きているのは、「否定」ではない。「私の否定(自己否定)」でも、「ものの否定」でもない。逆に、「私」「もの」の「絶対肯定」なのだ。「私」が完全に存在する。どんな意味にもとらわれずに「私」で「ある」。「もの」も、どんな「意味」にもとらわれずに(アイデンティファイされずに)、ただ「もの」として「ある」。

 この詩の最後は、一行一連で、その一行がぽつんと置かれている。

生きることを物語に要約してしまうことに逆らって

 この一行を借りて言いなおせば「物語」は「意味の連鎖」である。それに逆らうのが、「意味」から解放された「もの」である。「意味」を叩きこわし、解放を手にするための出発点が「もの」という「無意味」である。







*


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目次

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河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83

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人はなぜ嘘をつくか

2018-03-13 07:58:18 | 自民党憲法改正草案を読む
人はなぜ嘘をつくか
             自民党憲法改正草案を読む/番外187(情報の読み方)

 2018年03月13日読売新聞朝刊(西部版・14版)の見出し。

森友文書15ページ分削除/理財局指示 佐川答弁に合わせ

 読売新聞は、あくまでも「佐川答弁との整合性」にこだわっている。この場合、「理財局指示」は「佐川指示」と同じだ。
 人はだれでも、自分のためにしか嘘をつかない。
 佐川の答弁と文書が食い違っていたとして、「理財局のだれ」が困るのか。佐川が嘘をついているといことが分かれば、理財局長としてふさわしくない。佐川の嘘をあばけば自分が理財局長になれる、と考える人がいてもおかしくはないだろう。他人の「功績」を奪ってのし上がるのではなく、他人の犯罪行為を摘発するのだから、これはやましいことでもなんでもない。

 佐川は、国会答弁が嘘だとばれると、佐川自身がどういう不利益を被ると考えたのか。クビ(懲戒解雇)になるとか、減給処分になるとか、そういうことを考えたのか。そうだとして、自分がクビにならないために、なぜ他人をまきこんだのか。15ページも削除する。小さな文言の細部を削る。そういう作業を部下にさせたのか。
 佐川個人がやった、とはだれも言っていないのだから、組織がそれに協力したということになるが、そういう嘘をつくことが、自分のためになると、他の局員が考えたというのも理解できない。
 さらに、佐川が指示してやったのなら、なぜ、もっとはやく、多くの人が声を上げないのか。野党の聴取の段階で、「佐川の指示でやらされた。改竄、隠蔽文書はこれだけある」と言ってしまえば、問題はもっとはやく進展しただろう。
 佐川の指示によっておこなわれた、ということになれば、その指示に従ったのはだれなのか。佐川の指示に従って、文書を改竄することで自分がどんな利益を得ると考えたのか。佐川に引き立てられて、出世すると考えたのか。
 佐川の後任にしても、嘘をつき続けて、だれから評価されると思ったのか。誰から「利益」となるものを受け取ることができると考えたのか。

 ここで嘘をつき続けないと出世できないと思っているのかもしれない。でも、その嘘がばれたときは、どうなるのか。
 佐川のように「辞任」させられ(解雇、だな)、退職金も減らされる。そういう成り行きが見えなくなるほど、「常識」をなくしてしまっているのだろうか。

 それにしても。
 「頭のいい人」たちというのは、なんとたくみに「他人の考えに合わせることができる人」なのだろう。学校にいたころは、「先生」が求める「答え」を「答える」。これが「百点」のこつとわかって、ひたすら自分より上の人が要求してくることに合わせる、それを先取りする。そういう「習性」が肉体にしみついてしまってほるだろう。
 これって、自分に嘘をつくことだと気づいていない。

 ふつうの人間は、他人をだますために嘘をつく。だませば自分の得になる。少なくとも不利益にはならないと考える。でも、頭のいい官僚たちは、自分をだますために嘘をつく、ということか。
 自分に自身に嘘をついてまで奉仕してくれる人だけを評価する組織というのは、不気味である。「独裁」社会である。独裁者の気に入られないと生きていけない社会が財務省という組織なのだろう。
 自殺者まで出たのに、何の反省もせずに、また嘘をつき始めている。



 コンビニで朝日新聞を買ってきた。
 大展開の報道である。そのなかで私が注目したのは、二面、

削られた「昭恵氏」

 という見出しの最後の部分。

書き換えの具体的な指揮系統に質問が及ぶと「俺に聞かないで」と明言を避けた。

 これは「知っている」、だから「俺に聞かないで」だね。
 知らないなら「知らない」と言う。あるいは「調査中」とかね。



#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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「見立て」への疑問(新聞の見出し、その2)

2018-03-13 01:17:57 | 自民党憲法改正草案を読む
「見立て」への疑問(新聞の見出し、その2)
             自民党憲法改正草案を読む/番外186(情報の読み方)

 「番外186(情報の読み方)」のつづき。
 2018年03月12日の読売新聞夕刊(西部版・4版)の見出にしは、いろいろなことを考えさせられる。

佐川答弁と整合性図る/問題発覚後書き換え/森友文書 昭恵氏名前も削除

 記事には、こう書いてある。

 学校法人「森友学園」への国有地売却に関し、財務省近畿財務局が作成した決裁文書などが書き換えられた問題で、書き換えは佐川宣寿・前国税庁長官が財務省理財局長時代に国会で答弁した内容と整合性を取るため、本省の主導で行われていたことが分かった。

 なるほど。
 佐川は「適正な価格で売却した」「不当な働きかけはなかった」「価格交渉はしていない」と答えている。それと辻褄を合わせるために文書を改竄した。
 こういう「論理」は佐川が嘘をついた、ということを出発点にすれば成り立つ。
 でも、それでは、佐川がなぜ嘘をついたかということがわからない。

 だいたい人が嘘をつくのは自分の利益を守るためである。
 たとえば銀行員が顧客の金を使い込む。ばれると首になる。だから次々にやりくりして使い込みと穴埋めを繰り返す。そのために「書類」を改竄する。
 でも、佐川は、「適正な価格で売却した」「不当な働きかけはなかった」「価格交渉はしていない」と答弁することで、佐川自身のどんな「利益」を守ろうとしたのか。
 その「動機」がわからない。

 「動機」は、ここで、こういう嘘をつけば、誰かに恩を売ることができる。その見返りがきっとある。そう思って嘘をつくのだろう。
 「見返り」以外に「利益」はない。

 では、佐川は「だれに」恩を売ろうとしたのだろう。
 もちろん「人事権」を握っている「上司」である。財務省を管理する麻生に恩を売るのか。さらには麻生の上の安倍に恩を売るのか。
 だれだって推測はできる。

 問題は。
 「佐川答弁と整合性図る」とき、その「整合性」によって、だれがいちばん「利益」を得るかである。
 「適正な価格で売却した」「不当な働きかけはなかった」「価格交渉はしていない」という答弁で「利益」を得るのはだれか。籠池ではない。佐川でもない。麻生でもない。
 「不当な働きかけをしたのではないのか」と疑われている人だろう。
 だれが疑われていたか。

 「佐川答弁と整合性図る」という「見立て」は、佐川に罪をおしつけるように見えて、結果的に「論理破綻」に陥る。
 金を管理する責任者のような人間が、「損得勘定」を考えずに行動するはずがない。
 人はだれでも自分の利益のために動くということから考えれば、すぐにわかる。




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新聞の見出し(森友文書問題)

2018-03-13 00:10:07 | 自民党憲法改正草案を読む


新聞の見出し(森友文書問題)
             自民党憲法改正草案を読む/番外185(情報の読み方)

 2018年03月12日の夕刊は「森友文書」報道。朝日、毎日、読売、西日本各紙の見出しを比べてみると、とてもおもしろい。

朝日
財務省、書き換え認める/理財局の指示と認定/森友文書 答弁との整合性図る

毎日
書き換え十カ所/森友文書/昭恵氏記述 削除/財務省 理財局が主導

読売
佐川答弁と整合性図る/問題発覚後書き換え/森友文書 昭恵氏名前も削除

西日本
森友文書「昭恵夫人」削除/書き換えは14文書/財務省、与党へ報告

 朝日は、「朝日新聞記事は捏造である」という批判を前提にして反論している。「財務省が認めた」ということを前面に出している。文書に書き換えがあると財務省が認めるということはすでに日曜づけの各紙に載っている。だから、「財務省が認める」をメーン見出しにとる必要はないとも言えるが、あえて「嘘をついているのは財務省」と明確にしている。だれが改竄したのか、それを重視している。
 「昭恵」の名前を見出しにとっていないのは、たぶん朝刊でそのことを書くためだろう。夕刊と朝刊とセットでとっている家庭は少なくなっている。朝刊対策で見出しを残しておいているのだろうが、もしかすると、「第三弾」の特種を用意していて、そこに「昭恵」が出てくるのかもしれない。「第三弾」を書くために、夕刊では「昭恵」を外したとも考えられる。
 いつ書くのかわからないが「第三弾」が楽しみである。

 毎日は、書き換えの「数」を重視している。一か所、二か所ではない。大量である。これは「ミス」ではなく、明らかな「改竄」であると強調したいのだろう。だれが主導したかということよりも、「改竄の内容と規模」を重視している。これだけの大がかりな改竄は「ひとり」ではできない。そう示唆している。

 読売は、「改竄」を主導したのが佐川であるという「見立て」を主見出しにしている。他の各紙が「事実」をメーンの見出しにしていると、大きく異なっている。
 だれが主導したのか、動機は何なのか、これがこれからのテーマになるが、それをリーとする見出しといえる。

 西日本は、「昭恵」を削除することが改竄の主目的であると暗示している。「昭恵」の存在がなければ、今回の事件は起きなかったという見立てである。だから大胆にも、一面に昭恵の写真を掲載している。
 まあ、世間一般の大方は、そう見ているのだが。
 見出しは事実だから、これでいいが、写真掲載はかなり「大冒険」であると思う。昔の報道ならありふれていたかもしれないが、最近はこういう報道は見ない。
 
 ほんとうの「勝負」は「夕刊」ではなく、あしたの朝刊だ。
 どこまで「事実」に近づけるか。
 この場合の「事実」というのは、「だれが、何のために」ということだ。
 麻生が辞任するかどうかは、重大ではない。(というと、語弊があるが。)

 だれが「民主主義の基本」を踏み外したのか。だれが「議論させない」ということを狙ったのか。「議論させない」を「沈黙作戦」と私は呼んでいる。そう呼ぶと、おのずと「主語」が決まってくる。
 私のブログを読んでいる人には「主語」がわかるはずだから、ここでは明記しない。




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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」

2018-03-12 09:23:22 | 詩(雑誌・同人誌)
劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」(「イリプスⅡ」24、2018年03月10日発行)

 劉燕子「チベットの秘密」のことばは独特のリズムと響きをもっている。

闇のなかの白刃に
烈火の玄鳥(つばくら)が時間の沈黙を
レバーの塊にする
轟音と寒風でちぎられ
剥がされた禿鷹は
黎明の肺を噎せかえさせる
君の辞世は蹄で
断崖絶壁をまっしぐらに駆け上がり
ぼくの眼球をめがけて
垂直に釘を打つ

 「玄鳥」「禿鷹」「蹄」は何の比喩だろうか。「白刃」や「辞世」が死を連想させる。そして「轟音」ということばが象徴的だが、ここには強い音がある。ことばにならない音、しかし小さな音ではなく「烈火」のように拡大していく音である。音が音を呼び、「まっしぐら」に動く。「駆け上がる」のか「垂直」に下へ叩きつけられるのか。
 しかもその音は「沈黙」とともに「時間」をつくっている。
 私はいま、谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』を読みながら感想を書き続けている。ことばと沈黙、沈黙と音楽がテーマの詩集だ。その谷川のことばと比較すると、劉のことばのなかにある「沈黙」と「音」は非常に硬質なものだとわかる。葉紀甫(すゑ・のりほ)の『不帰順の地』を読んだときの印象に似ている。

涙の重さを量るに中国語が凍てつく
雪が萎えた春の灰燼を燃え上がらせる

 とても強烈だ。
 「意味」というものはいつでも「頭」の先にぶら下がって「頭」を引っ張っていくものだが、劉のことばを呼んでいると「意味(表意文字/漢字)」の奥底から「声」(しかも非常に太い声)が「意味」を突き破って噴出してくる感じがする。
 「涙の重さを量るに」の「に」の凝縮された響きも強い。
 もう一篇「詩人の逝った日」の書き出し。

一匹のミミズが窪地の痩せこけた悲しみを測量する
夏の風は禿頭病を患い
隔離病棟に密集し
トマトの薄皮に産卵する
落日は言葉の絶壁から剥がれ隕石のように落下する



 比較してはいけないのかもしれない、違う視点から読まないといけないのかもしれないが、松尾真由美「音と音との楔の機微」の音は、劉のことばがもっている激しさを欠いている。

             やすらぐために耳を澄ましてたたかうために耳を澄まして
微細なものがこぼれることをどうして確信できるのだろう空気中の見えない塵がきらら
きら惹きつけるから自分も塵となることできらめとき同化できる夢をきらら反転展開さ
せるのだほら耳を澄ませ耳を澄ませわたしたちの音をだすなそれは雑音に過ぎず濁音に
過ぎず(略)

 ここに「沈黙」はあるか。「耳を澄まし」て聞くとき「沈黙」が聞こえるかもしれない。劉の場合は、激しい音と一緒に「沈黙」が噴出してくる。耳を澄ます必要などない。つまり劉の「轟音」は「雑音」や「濁音」ではなく、「透明」なのだ。「清音」なのだ。
 松尾は「弱音」に溺れている。「自分も塵となることできらめとき同化できる」という「視覚」が「聴覚」にかわってしまうところもある。「音と音との楔」と書いているが、その「楔」は「沈黙」でも「音楽」でもなく「視覚の侵入」のように、私には感じられる。





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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83

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詩集 独り大海原に向かって
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