日韓併合前に存在した大韓帝国(旧韓国)末期の朝鮮をめぐる
研究成果の一部が韓国日報の記事になっていた。
旧韓末の時代相とともに現代韓国社会の旧韓末認識の一端を
うかがう上で、参考になる部分もあると考え、画像も含め全文を
翻訳練習し記録しておく。
なお、紙面の都合で韓国語原文の引用は省いた。
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■ 明知大「近代西洋人の見た朝鮮の写真・挿話研究」発表
(韓国日報 5月29日)
・顔を隠した女性と乳房を露出させた女性、日本軍の入城を見物
する無知な群集など、西洋人の目に映った歪んだ朝鮮の姿。
・親日派の講演会の写真が独立協会の写真に化けた例も。
顔を隠した女性と乳房を露出させた女性、国運が傾くさなか将棋に
没頭する男たち、生活に追われる母親の無関心のもと危険な
環境に放置された子どもたち...。写真に写された旧韓末の朝鮮の
風景の数々だ。こうした否定的な朝鮮の風景が写された偏った
写真が西洋に流布し、朝鮮は文明の啓蒙が必要な未開社会で
あるとのイメージが固まって行った。
29日、明知大学人文キャンパスで「近代前期の朝鮮に対する
西洋人のイメージ資料研究」発表会が開催された。今回の
発表会は、1860~1910年の間に印刷された写真や挿話などを
分析し、当時の西洋人が朝鮮をどのように認識していたのかを
探る場だったと言える。発表会を主催した明知大学「邦牧」基礎
教育学部(※)は、2005年から学内所蔵の資料や国内出版物、
海外資料などあわせて9400点の写真や挿話からなるイメージを
収集し、現在、整理作業を進めている。
(※)「邦牧」とは大学設立者ユ・サングン氏の号
発表を受け持ったパク・ピョンジョン研究員は「19世紀後半、
西洋人の朝鮮訪問が始まるとともに西洋に朝鮮という異国の
風物や文化を紹介する写真付きの葉書が本格的に作られ
始めた」と述べた。こうした葉書は開港後の1880年代から
朝鮮で営業を始めた日本人の写真館で印刷されたという。
全身を隠す衣装をまとった女性、私塾の風景、砧(きぬた)を打つ
女性の姿など、特定の部分的な生活相を強調し定型化させた
「写真館葉書」が朝鮮の実像を伝える資料として広まりステレオ
タイプなイメージを形成していったとパク氏は分析した。
パク氏は、西洋人が直接作製した写真や挿話、関連記述を分析
しながら朝鮮を見る西洋人の特徴的な観点を探った。例えば、
彼らはたばことキセルを朝鮮男性の必需品だと把握した。
△乳房を露出させた女性(左)と全身を隠す衣装を着た
女性(右)の共存は旧韓末の朝鮮を訪れた西洋人に
とって文化的な衝撃だった。
また、白衣の着用を女性を洗濯という重労働に縛り付けている
原因に挙げ、チェサ(儒教的な法事)は先祖から祟られるかも
しれないという迷信的な恐怖を取り除く行為として理解した。
さらに、顔を隠した中・上流層の女性と乳房を露出させた下層の
女性の共存は早くから西洋人の関心を引き、関連写真も数多く
紹介されたとパク氏は説明した。
一方、日露戦争(1904~5)当時の資料を探ったカン・ミョンスク
研究員は「朝鮮人が無能で国運についても無関心な存在として
描かれている」と述べた。慶運宮が火災で燃えている写真の
下には「日本軍とイギリス軍が火災鎮火と秩序維持に努めている」
との説明があり、朝鮮を列強に依存する国家として認識付けして
いる。日本軍の平壌入場を見物する群集や日本軍の売店の周辺を
徘徊する市民を写した写真は、朝鮮人が国家の危機的状況にも
全く関心を持っていないという西洋の偏見を投影している。
また、韓国文化財資料研究所のイ・スンウ所長は、不正確な情報が
伝えられた写真の例を提示した。当時制作された西洋の資料集の
中には江華島を写した写真を「ソウル、朝鮮の首都」と紹介したり、
全く無関係の別人を「韓国の皇帝」と紹介した事例なども数多く
発見された。さらにイ所長は、後代の研究者の誤認により当時の
写真が現在、誤って解説されている事例も指摘した。
△写真1:現在、独立協会の集会風景として誤って
引用されている独立館(現ソウル西大門区所在)前の
群集を写した写真。
△写真2:高宗退位を迫る日本軍による武力示威の場面
と誤解されている徳寿宮惇徳殿前に整列した日本の
砲兵部隊の写真。
現代韓国で、独立協会の集会場面としてよく引用されている写真
(写真1)は、実際は親日派「一進会」の講演会を写したものだし、
高宗を退位させるため日本軍が圧力を加えている場面として
知られている徳寿宮惇徳殿前の写真(写真2)は、単に日本の
寺内陸軍大臣の訪韓記念として撮影されたものに過ぎないことが
わかったという。
(終わり)
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