福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

日本文化開放10周年

2008年10月20日 |  〇文化・歴史

1998年10月20日、時の金大中政権が日本の大衆文化の
段階的開放に踏み切って以来、今日で10周年。

釜山日報の社説や特集記事を通じて知ったことだ。

ここでは、同紙の特集記事から一つを選び翻訳練習してみた。
例によって紙面の都合上、韓国語原文の引用は省いた。


△「いくらひまな中年だとは言え、
今日の翻訳練習はケッコーこたえたはずだ・・・

髪の毛がもっと薄くなったってしらないぞ
(写真とは無関係)

・・・・・・・・・・・・・・

■[日 대중문화 개방 10년]
"가랑비처럼 다가온 日 문화 이미 옷은 젖어버렸다"
[日本の大衆文化開放10年]
韓国に深く静かに浸透した日本文化
(釜山日報 10月20日)



・プサンでは7、80年代に海賊版漫画が横行

プサンは地理的に日本と近い関係で日本文化の流入が最も
早かった。そうしたプサンの視点から日本の大衆文化開放の
歴史を振り返り、今後を展望してみるのも有意義な方法だと
考えられる。韓国独立後、プサンと日本の大衆文化との関りは
朝鮮戦争当時の臨時首都時代にまでさかのぼる。

△70年代・・・「バビル2世」、作家はキム・ドンミョン?

1952年、当時、臨時首都のプサンで出版された「ジャングル
大帝レオ(※1)」は韓国初の海賊版日本漫画だった。1970年代
最も人気のあった漫画は、「キム・ドンミョン」の「バビル2世(※2)」と
「チョン・ヨンスク」の「ガラスの城(※3)」だったが、実際の原作者は
日本の横山光輝とわたなべまさこだった。テレビでは1968年、
東洋放送の「黄金バット(※4)」を歯切りに、「鉄腕アトム(※5)
(1970年)、「マジンガーZ(※6)」(1975年)、「ガッチャマン(※7)
(1980年)、「銀河鉄道999(※8)」など日本のTVアニメが放映
された。日本の漫画やアニメはそれが日本のものだとは知らされて
いなかった頃から韓国の子どもたちの娯楽世界を支配していた。

※各種漫画の韓国語題名
(※1)「밀림의 왕자」(※2)「바벨 2세」(※3)「유리의 성」
(※4)「황금박쥐」(※5)「우주소년 아톰」(※6)「마징가 제트」
(※7)「독수리오형제」(※8)「은하철도999」

△80年代・・・プサンは海賊版のメッカ

「魔法のプリンセス、ミンキーモモ(※1)」、「未来少年コナン(※2)
などのTVアニメが人気を集める一方、1冊500ウォンほどの海賊版
漫画が登場した。1980年代末、中高生らの文房具キャラクターを
独占したドラゴンボール(※3)の海賊版漫画を出版した会社が、
わずか1週間で20億ウォンを荒稼ぎしたなどという信じられない
ような記録も残っている。多くの海賊版漫画の裏面には「印刷地
プサン」の文字が刻まれていた。プサンは、海賊版音楽テープや
CDのメッカでもあった。ビジュアル系ロックグループ「X-JAPAN」の
CDが南浦洞(プサンの繁華街)のリアカーで売られるかと思えば、
彼らのコンサートや日本ドラマ、バラエティ番組などのコピーテープが
出回り始めた。女子学生らは、ノンノのような日本のファッション
雑誌を見て日本で流行しているファッションをまねた。

(※1)요술공주 밍키(※2)미래소년 코난(※3)드래곤볼

△90年代・・・「エバンゲリオン」上映会の思い出

1995年から日本で放映された「新世紀エバンゲリオン」(略称
EVA)は、日本の大衆文化が開放された当時、その人気がピークに
達していた。禁じられるほど一層強くなる結束力にパソコン通信を
通じたコミュニティ、そこに日本の傑作アニメという3要素が一つに
なり、爆発的な人気を呼んだ。1998年、初めて日本映画「花火」が
上映される以前の1996年、第1回プサン国際映画祭で、すでに
ジャパニメーションの「攻殻機動隊」と「メモリーズ」が正式上映
された。その翌年には、学生を中心に優に20万人がコピーテープで
鑑賞したと言われている「ラブレター」が正式上映され、全国で
140万人の観客を動員した。

△2000年代・・・「ジョゼと虎と魚たち」の小さな成功

ある放送関係者のたとえを借りるなら「子どもも二人作って暮らして
いるのに、今になってやっと結婚を認めたような」日本文化の開放
措置は、闇ルートに正規の許可を与えたに過ぎなかったのかも
知れない。しかし、2004年、日本映画の「ジョゼと虎と魚たち」が
全国5か所の映画館で5万人の観客動員に成功したことで変化が
起きた。この頃を分岐点として、韓国社会における日本文化の
位置づけが、「暴力的、扇情的、変質的な」サブカルチャーから、
「繊細で、洗練され、詩的で、多様な」一つのメジャーな文化として
認識されるようになった。また、2000年代に入り、インターネットの
急速な普及とともに、それまでプサンからソウルに流れていた
日本文化の流入経路が、ソウルからプサンへと変わった。昨年、
東明大(プサン市)のアン・スグン教授らが実施した調査の結果に
よれば、日本では韓国の映像コンテンツをテレビを通じて見ている
人が88.8%だが、韓国では日本の映像コンテンツをテレビで
見ている人が51.4%、パソコンで見ている人が45%だった。

△そして・・・本番はこれからだ

日本文化が開放されれば、韓国の文化産業が大きな損害を被り、
日本の低俗文化が大量に流入してくるのではないかとする不安は
杞憂に終わった。予想だにしなかった韓流ブームにより韓国文化に
対する自信も得た。しかし、現在、我々が真に恐れるべきものは、
ライブハウスだけで3000か所を超え、50代も漫画雑誌を買って
読むという日本文化の多様性だ。HOTに始まる国内アイドルの
育成戦略やワンソース・マルチユース(One-Source Multi-Use)の
マーケッティング技法など、日本の大衆文化はすでに韓国の大衆
文化の基底部に深く浸透している。また、日本の小説の大流行や
日本のインディ映画の健闘、日本の劇団四季によるミュージカル
長期公演などは、韓国文化に対する新しい挑戦と言えよう。
これまでの日本文化盗用の歴史から脱却するための著作権
保護強化や、多様性のある映画制作をはじめ大衆文化育成に
対する政府支援など、韓国大衆文化のシステム的体質改善が
何よりも切実に求められている理由がここにある。

(終わり)


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前官礼遇

2008年10月20日 |  〇語彙と表現

大日本帝国時代に使用されていた「前官礼遇」なる歴史的
用語がある。

goo辞書(大辞林)によると、その意味は

「もと、国務大臣・枢密院議長・宮内大臣・内大臣などとして功労の
あった者に対し、退官後も在官当時と同様の礼遇を与えたこと。」

とある。

ところで、韓国ではこの「전관예우(前官礼遇)」なる漢字語が
現在も現役で活躍(?)している。

意味的には日本の歴史的用語とは全く異なっており、韓国司法界の
悪しき病弊を指す用語として限定的に使われている。

つまり、高裁や地裁の長官職などを退任後、弁護士を開業した
裁判官出身弁護士が、自らが勤務していた裁判所が管轄する
事件で担当弁護士となり、当該裁判で有利な判決を引き出すと
いう問題だ。

現実の裁判で、前の直属の上司が弁護する容疑者の量刑などに
実際、どの程度の「配慮」が加えられているのか、あるいは背後で
どの程度のお金が動いているのか、など細部については「ヲタク」が
知る由(よし)もない。

しかし、「前官礼遇」なる漢字語が示唆する韓国司法界、と言うより
韓国社会の抱える闇の深さが、「ヲタク」の想像を絶している
ことだけは確かだ。

関連記事を一つ翻訳練習してみた。



△「オイッ!そこの中年日本人!
一言云わせてもらおうか・・・
オレの想像を絶しているのは、オマエの
そのどす黒い『心の闇』なんだヨッ!

(写真とは無関係)


・・・・・・・・・・・・・・・・

■"고위법관 전관예우 심하다"
裁判官出身弁護士、裁判所との癒着深刻
※原文直訳「高位法官への前官礼遇、深刻」
(釜山日報 10月20日)

・퇴직 근무처 수임 빈번, 참여연대 실태 조사
・退職した裁判所の事件を弁護士として担当する
前長官ら多数、市民団体調査

변호사 개업을 한 고위 법관들이 마지막으로 자신이
근무하던 법원의 사건을 퇴임 후 단기간 내에 수임하는
사례가 많아 '전관예우' 논란이 여전하다.
弁護士を開業した元裁判官らが、最後に勤務した裁判所の事件を
退任後すぐに担当する事例が数多く見られ、「裁判所と裁判官出身
弁護士らの癒着関係(※)」を指摘する声が依然として強い


(※)原文では「前官礼遇」

20일 참여연대가 지난 2004년부터 지난해까지 법원장
출신으로서 퇴임 이후 변호사 개업을 한 전직 고위 법관
들의 사건 수임실태에 대해 조사한 결과에 따르면 이
기간 퇴임한 고법원장 7명과 지법원장 13명 모두 퇴임일
로부터 1년 이내 자신이 마지막으로 근무했던 법원의
사건을 수임한 것으로 나타났다.
20日、市民団体「社会参与と連帯」2004年から07年まで、
高裁や地裁の長官出身者で退任後、弁護士を開業した裁判官出身
弁護士らの業務実態について調査
した結果、同期間に退任した
高裁長官7人と地裁長官13人の全員が、退任した日から
1年以内に自身が最後に勤務した裁判所の事件を弁護士として
担当していた
ことが明らかになった。

이들 전직 고위법관 출신 변호사가 수임한 사건은 모두
210건으로 나타났으며 이 가운데 인신구속과 밀접한
연관이 있는 형사사건이 155건으로 73.8%에 달한다고
밝혔다. 참여연대는 판결문 등을 통해 공식적으로 확인
됐거나 변호사 선임계 제출일이 확인된 사례만 취합했기
때문에 실제로는 이보다 훨씬 수임사례가 많을 것이라는
분석을 내놨다.
こうした裁判所長官出身弁護士が担当した事件は合計で210件
にも上り、その内、懲役刑と密接な関連のある刑事事件が
155件と全体の73.8%にのぼっていることがわかった。「社会
参与と連帯」は、判決文などを通じ事実関係が公的に確認できる
事例や弁護士選任届け提出日が確認できる事例のみを調査
対象としているため、実態はこれらの数字をはるかに上回っている
ものと見ている

이 가운데 박모 전 광주지법원장은 퇴직일로부터 1년
이내에 광주지법의 사건을 43건 수임해 가장 많은 수임
건수를 기록했다. 부산지역에서는 김모 전 부산고법원장과
강모 전 부산지법원장이 각각 2건과 6건의 형사사건을
수임한 것으로 나타났다.
このうち、パク某前光州地裁長官は、退任日から1年以内に
光州地裁管轄の事件を43件も弁護士として担当し関与件数が
最も多かった。プサン地域では、キム某前プサン高裁長官とカン某
前プサン地裁長官が、それぞれ2件と6件の刑事事件を退職した
裁判所の法廷で担当したことが明らかになった。

퇴직 전 최종 근무법원에서 진행 중이던 사건을 퇴직 후
맡은 사례도 적지 않아 김모 전 부산고법원장과 강모
전 부산지법원장은 각각 1건과 2건의 퇴직 전 진행
사건을 수임했다.
在任時、係争中だった事件を、退職後担当した事例も数多く見られ、
キム某前プサン高裁長官とカン某前プサン地裁長官の場合、
それぞれ1件と2件、在職当時から係争中であった事件を退職後、
弁護士として担当した。

법조계에서는 이 같은 전관예우 논란을 막기 위해 최종
근무법원 형사사건 수임을 제한하는 변호사법 개정과
아울러 지난 4월부터 시행된 '법관 등의 사무분담 및
사건배당에 관한 예규'의 적용을 더욱 엄격히 해야
한다고 입을 모으고 있다.
司法界では、こうした「裁判官出身弁護士らと裁判所の癒着
問題(※)」を防ぐためには、弁護士法を改正し、最後に勤務した
裁判所の刑事事件への関与を禁止することとあわせ、今年4月から
施行された「裁判官等の事務分担及び事件担当分担に関する
例規」の適用を一層厳格にする必要があるとの声が強い。

(※)原文では「前官礼遇」

(終わり)

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