1998年10月20日、時の金大中政権が日本の大衆文化の
段階的開放に踏み切って以来、今日で10周年。
釜山日報の社説や特集記事を通じて知ったことだ。
ここでは、同紙の特集記事から一つを選び翻訳練習してみた。
例によって紙面の都合上、韓国語原文の引用は省いた。
△「いくらひまな中年だとは言え、
今日の翻訳練習はケッコーこたえたはずだ・・・」
「髪の毛がもっと薄くなったってしらないぞ」
(写真とは無関係)
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■[日 대중문화 개방 10년]
"가랑비처럼 다가온 日 문화 이미 옷은 젖어버렸다"
[日本の大衆文化開放10年]
韓国に深く静かに浸透した日本文化
(釜山日報 10月20日)
・プサンでは7、80年代に海賊版漫画が横行
プサンは地理的に日本と近い関係で日本文化の流入が最も
早かった。そうしたプサンの視点から日本の大衆文化開放の
歴史を振り返り、今後を展望してみるのも有意義な方法だと
考えられる。韓国独立後、プサンと日本の大衆文化との関りは
朝鮮戦争当時の臨時首都時代にまでさかのぼる。
△70年代・・・「バビル2世」、作家はキム・ドンミョン?
1952年、当時、臨時首都のプサンで出版された「ジャングル
大帝レオ(※1)」は韓国初の海賊版日本漫画だった。1970年代
最も人気のあった漫画は、「キム・ドンミョン」の「バビル2世(※2)」と
「チョン・ヨンスク」の「ガラスの城(※3)」だったが、実際の原作者は
日本の横山光輝とわたなべまさこだった。テレビでは1968年、
東洋放送の「黄金バット(※4)」を歯切りに、「鉄腕アトム(※5)」
(1970年)、「マジンガーZ(※6)」(1975年)、「ガッチャマン(※7)」
(1980年)、「銀河鉄道999(※8)」など日本のTVアニメが放映
された。日本の漫画やアニメはそれが日本のものだとは知らされて
いなかった頃から韓国の子どもたちの娯楽世界を支配していた。
※各種漫画の韓国語題名
(※1)「밀림의 왕자」(※2)「바벨 2세」(※3)「유리의 성」
(※4)「황금박쥐」(※5)「우주소년 아톰」(※6)「마징가 제트」
(※7)「독수리오형제」(※8)「은하철도999」
△80年代・・・プサンは海賊版のメッカ
「魔法のプリンセス、ミンキーモモ(※1)」、「未来少年コナン(※2)」
などのTVアニメが人気を集める一方、1冊500ウォンほどの海賊版
漫画が登場した。1980年代末、中高生らの文房具キャラクターを
独占したドラゴンボール(※3)の海賊版漫画を出版した会社が、
わずか1週間で20億ウォンを荒稼ぎしたなどという信じられない
ような記録も残っている。多くの海賊版漫画の裏面には「印刷地
プサン」の文字が刻まれていた。プサンは、海賊版音楽テープや
CDのメッカでもあった。ビジュアル系ロックグループ「X-JAPAN」の
CDが南浦洞(プサンの繁華街)のリアカーで売られるかと思えば、
彼らのコンサートや日本ドラマ、バラエティ番組などのコピーテープが
出回り始めた。女子学生らは、ノンノのような日本のファッション
雑誌を見て日本で流行しているファッションをまねた。
(※1)요술공주 밍키(※2)미래소년 코난(※3)드래곤볼
△90年代・・・「エバンゲリオン」上映会の思い出
1995年から日本で放映された「新世紀エバンゲリオン」(略称
EVA)は、日本の大衆文化が開放された当時、その人気がピークに
達していた。禁じられるほど一層強くなる結束力にパソコン通信を
通じたコミュニティ、そこに日本の傑作アニメという3要素が一つに
なり、爆発的な人気を呼んだ。1998年、初めて日本映画「花火」が
上映される以前の1996年、第1回プサン国際映画祭で、すでに
ジャパニメーションの「攻殻機動隊」と「メモリーズ」が正式上映
された。その翌年には、学生を中心に優に20万人がコピーテープで
鑑賞したと言われている「ラブレター」が正式上映され、全国で
140万人の観客を動員した。
△2000年代・・・「ジョゼと虎と魚たち」の小さな成功
ある放送関係者のたとえを借りるなら「子どもも二人作って暮らして
いるのに、今になってやっと結婚を認めたような」日本文化の開放
措置は、闇ルートに正規の許可を与えたに過ぎなかったのかも
知れない。しかし、2004年、日本映画の「ジョゼと虎と魚たち」が
全国5か所の映画館で5万人の観客動員に成功したことで変化が
起きた。この頃を分岐点として、韓国社会における日本文化の
位置づけが、「暴力的、扇情的、変質的な」サブカルチャーから、
「繊細で、洗練され、詩的で、多様な」一つのメジャーな文化として
認識されるようになった。また、2000年代に入り、インターネットの
急速な普及とともに、それまでプサンからソウルに流れていた
日本文化の流入経路が、ソウルからプサンへと変わった。昨年、
東明大(プサン市)のアン・スグン教授らが実施した調査の結果に
よれば、日本では韓国の映像コンテンツをテレビを通じて見ている
人が88.8%だが、韓国では日本の映像コンテンツをテレビで
見ている人が51.4%、パソコンで見ている人が45%だった。
△そして・・・本番はこれからだ
日本文化が開放されれば、韓国の文化産業が大きな損害を被り、
日本の低俗文化が大量に流入してくるのではないかとする不安は
杞憂に終わった。予想だにしなかった韓流ブームにより韓国文化に
対する自信も得た。しかし、現在、我々が真に恐れるべきものは、
ライブハウスだけで3000か所を超え、50代も漫画雑誌を買って
読むという日本文化の多様性だ。HOTに始まる国内アイドルの
育成戦略やワンソース・マルチユース(One-Source Multi-Use)の
マーケッティング技法など、日本の大衆文化はすでに韓国の大衆
文化の基底部に深く浸透している。また、日本の小説の大流行や
日本のインディ映画の健闘、日本の劇団四季によるミュージカル
長期公演などは、韓国文化に対する新しい挑戦と言えよう。
これまでの日本文化盗用の歴史から脱却するための著作権
保護強化や、多様性のある映画制作をはじめ大衆文化育成に
対する政府支援など、韓国大衆文化のシステム的体質改善が
何よりも切実に求められている理由がここにある。
(終わり)
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