朴の葉っぱが手に入ったので、家の人に朴葉寿司を作ってもらいました。
散らし寿司を朴の葉っぱでくるんだものといえばいいのかな。手の平に載るくらいの寿司飯を朴の葉でぎゅっとくるんで半日余り置いたもの。
ご飯って押すと味がよくなるみたいですね。そこに朴の葉の味が浸みているのでしょうか、爽やかな美味しさです。
2年ぐらい前から作ってもらってますが、この時期、一度は食べたくなる味。殺菌力があるらしいから、体にも良いと信じてます。
朴の葉っぱが手に入ったので、家の人に朴葉寿司を作ってもらいました。
散らし寿司を朴の葉っぱでくるんだものといえばいいのかな。手の平に載るくらいの寿司飯を朴の葉でぎゅっとくるんで半日余り置いたもの。
ご飯って押すと味がよくなるみたいですね。そこに朴の葉の味が浸みているのでしょうか、爽やかな美味しさです。
2年ぐらい前から作ってもらってますが、この時期、一度は食べたくなる味。殺菌力があるらしいから、体にも良いと信じてます。
美味しいですね~。最近、初めて食べました。
グレープフルーツの仲間だけど、苦味がなく、さっぱりとした甘み。ジューシーでいて食べやすい。袋を手で剥いてパクパク食べました。
1986年にアメリカで誕生したそうです。交配の仕方に「4倍体グレープフルーツ×ポメロ」とか、「(グレープフルーツ×ブンタン)× ホワイトグレープフルーツ」とか、「オロブロンコ×ホワイトグレープフルーツ」とか、「ブンタン×グレープフルーツ」とか、あれこれあってわかりにくいのですが、要するにグレープフルーツとブンタン(ポメロ)をかけ合わせてつくったオロブロンコ(スウィーティー)に、さらにグレープフルーツをかけてつくった品種のようです。
これからブンタンが出てきますが、味は対照的で良い勝負。
ブンタンはパリパリした心地よい食感とさわやかな苦味が持ち味。メロゴールドの甘みはもっと幅広い層に受けるかも。値段もどっこいどっこいかな。
郷土産品ということで、私としてはブンタンを応援したくなりますが、このメロゴールドも時々は食べたいものです。
う~む、不覚。風邪を引いてしまった。
一昨日の夕方、突然、くしゃみと鼻汁に襲われ、「どうしたんだろう? 何かのアレルギー?」と思っていたのですが、くしゃみはその後、出ないものの、鼻汁がとまりません。
熱もないし、食欲も旺盛。とはいえ、今日は大事をとって水汲みの仕事で出かけただけ。
夕食は「魯肉(ルーロー)飯」。台湾の屋台飯だそうです。
NHKのBSで時々やっている料理家コウケンテツさんの番組があります。「アジア旅ごはん」というらしいのですが、その台湾編で子どもたちが「大好き」と言っていたのを見て食べてみたくなりました。で、家の人に作ってもらったというわけ。
甘辛く煮た豚の三枚肉をご飯にのせた、ぶっかけ飯。ご飯に脂と醤油と砂糖の甘みと香辛料の味や香りが一緒くたになって、これは美味しい!
我が家の定番のひとつにしてもらうことにしました。これとベジブロスで風邪をぶっ飛ばしてしまいましょう!
夕方、近所のクリニックへ寄って、特定健康診査(メタボ健診)の申し込み。
予定が詰まっていて、受診できるのは12月になってからと言われました。やむなく、1日の午前中を予約。
メタボ健診は、このところ毎年、受けています。生活態度を改め、サプリも摂るようになって、あまりひどい結果が出ないのが自信になっています。今年はどうかな。
その後、庭で七厘に炭火をおこしてサバの塩焼き。
鯖、大好きなんです。たぶん魚を食べるとしたら、これがいちばん。
なんでかなあ?
小さい頃から食べつけていることが大きいんでしょうね。
高知は鯖の鮮度がよく、刺身でも食べてました(アニサキスにやられたことは、幸い、ありません)。
鯖寿司もよく食べました。酢で締めた鯖を使ったバッテラですが、この寿司の鯖の部分だけを炭火であぶって食べるのが、また旨いんですよね。いや、酢をしていない、そのままの鯖も旨いのですが。
あれこれ食べなれているのが、やはり、いちばんの理由なのでしょう。いや、そうでなくても鯖は旨いに決まっている。いつまでも庶民の味でいて欲しいものです。
(――と書いて考えたのですが、シマアジも美味しいですよねぇ。戻り鰹の脂ののったのも、たまんない!)
一昨日、紹介した円城塔さんの長編『エピローグ』に「シチュエーション料理」というとても面白いものが登場します。
アルフレッド・y・yという人物が研究している学問というか、グルメ道の一種なのですが、このコンセプトが素晴らしい。実際にこういうことをアドバイスしたり、企画したりする人がいないのが不思議なくらいです。
どういうものかというと、いかなる状況で何を食べるとより美味しく感じられるかについての研究。つまり、食事は料理だけでなく、それをいただくシチュエーションも大事だということを推し進めたグルメ道なのですね。
これを突き詰めてゆくと、とんでもないことになりかねないことは、容易に想像できます。たとえば、砂漠で何日も彷徨った後のコップ一杯の水とか、酷寒の地で指を温めながら齧る焼き芋とか、数十年ぶりに再開した恋人と分け合うタコ焼きとか……味のために困難な状況を設定しだすと、命まで危なくなりかねない。
小説にはそこまでは描かれていませんが、でも、ツアー会社の企画でそのうち実現するかもしれませんねえ、さまざまなシチュエーション料理の旅が。