惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

ギャグまんが家

2005-06-20 21:43:28 | アニメ・コミック・ゲーム
 昨日話題にしていた書評用の本というのは武居俊樹著『赤塚不二夫のことを書いたのだ!!』(文藝春秋)です。
 今日、なんとか原稿を書いて送りましたが、とても難しかった。本自体は素晴らしいのですが、どう紹介すればいいのか悩んでしまう。書き出しに半日かかってしまいました。

 ギャグまんが家のことを考えると、大概、痛々しい気持ちになるのはなぜでしょうか。吾妻ひでおさんもそうだし、『ぼのぼの』以前のいがらしみきおさんもそうだった。もちろん、今回の赤塚不二夫さんも……。

 懸命になって人を笑わせようとすることは、いつの間にか人間としての「枠」をどこか破壊してしまうのでしょうか。本来、ギャグまんがの人は心優しい、常識にあふれた、おとなしい人のような気がします。その常識をどんどん拡大変形させてゆかないと、ギャグを描きつづけることは不可能なのだと思う。笑いについてややこしいことはいいたくないので、これ以上は書きませんが。

 で、昔はほとんど読んでいなかった『レッツラ・ゴン』(小学館文庫〈赤塚不二夫名作選4〉)を、今になってようやく読んでいます。
 可笑しい。
 可笑しいけれど、やはり痛々しい。こんな荒野のようなところまで突き進んではいけなかったのだと思います。ギャグまんが家は世界でもっとも危険な職業かもしれない。


スタジオ・ゼロ

2005-06-19 20:32:56 | アニメ・コミック・ゲーム
 書評の参考にと思って『バカは死んでもバカなのだ―赤塚不二夫対談集―』(毎日新聞社、2001年)を読む。
 この本の最後の対談相手が藤子不二雄A(我孫子素雄)さんなのですが、そこで語られる「スタジオ・ゼロ」のことがめちゃくちゃ面白かった。

 1970年、大学に入学した私は西新宿6丁目に四畳(!)のボロアパートを借りました。成子坂下の交差点のそばで、ふだんは青梅街道沿いに新宿駅まで往復するのですが、気が向いた時は新宿中央公園を抜け、十二社(じゅうにそう)の方を回って帰ったりしたものです。その際、十二社の交差点角のビルに「スタジオ・ゼロ」の看板があるのを眺めるのが楽しみでした。「ここでオバQの藤子不二雄さんや、天才バカボンの赤塚不二夫さん、ジュンの石森章太郎さんが仕事をしているんだ」と心ときめかせたものです。
 今回、調べてみるとスタジオ・ゼロは1970年に解散していますから、ギリギリ最後の姿を見ていたわけですね。

 で、対談で藤子さんが語るスタジオ・ゼロの真相は――

「……最高80人いた、社員が。すごいですよ。それで重役は月給を1回ももらったことがない。専務がいてね、つのだ氏の兄さんなんだけど。(給料日の)25日の前の24日に重役会議をやるんですよ。必ず重役会議の時にみんな何十万という社員の月給を持ち寄るわけ。重役がお金出すんですよ、月給を。たまらんよ」

 重役というのは

  • 赤塚不二夫
  • 我孫子素雄
  • 石森章太郎
  • 鈴木伸一
  • 角田喜代一(つのだじろうの兄)
  • つのだじろう
  • 藤本弘(藤子不二雄F)
 の面々。
 「会社ごっこ」と赤塚さんはいってますが、経営だけでなく内情もハチャメチャだったらしい。

 誰か調べて本にしないかな。「第二のトキワ荘」とかいうサブタイトルで。新書1冊にちょうどくらいだと思うんですが。