惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

草に埋れて

2005-04-17 20:50:54 | 音楽
 フォークソングの高田渡さんが亡くなられた。まだ56歳。私と2歳ぐらいしか違わない。早すぎます。
 ただ、旅先で倒れられてそのまま逝かれたというのは、いかにも高田さんらしいと思いました。旅をして、歌をうたい、酒を飲み、そのまま寝込んで……。

 高田さんの名前を知ったのは高校生の時。「自衛隊に入ろう」を(たぶん)ラジオで聞いたのだと思います。
 反戦フォークの名曲ですが、テレビで高田渡がこれを歌うのを見た防衛庁のお役人が放送局に電話をして「あの歌をレコードにしたい」といったのは有名な話。

 我が家のレコード棚を引っかきまわして『高田渡フォーストアルバム・ごあいさつ』(キングレコード)を取り出してみました。
 1971年に出ている。出るのを待ち兼ねて買ったような記憶があります。
 大学2年か。あの頃はフォークのコンサートにも足を運んだ。特に高田渡に惹かれるところがあったのでしょう。「自転車にのって」を口ずさみながら、東京の町を歩きまわっていました。
 ラングストン・ヒューズ、エミリー・ディキンソン、谷川俊太郎、吉野弘らの詩に曲をつけて歌っています。バックミュージシャンとして、はっぴいえんどや中川イサトの名があり、加川良と遠藤賢司もコーラスで参加。高田さんのテーマソングともいえる山之口獏の詩による「生活の柄」も、すでにこのアルバムに収録されています(「草に埋れて寝たのです」という繰り返しが印象的)。
 ライナーノートは三橋一夫さんが書いていて、1967年の高田さんとの出会いのことなどが記されている。突然家にやって来た青年(というよりまだ少年でしょうね)が「ピート・シーガーに手紙を出したいから住所を教えてくれ」といったとか。
 いうまでもなく彼が高田渡で、三橋さんはフォークソングのことで初めて出会った客とその夜遅くまで話しこんだという。

 60年代末の反戦運動と結びついた形で世に出た高田さんですが、いわゆる「フォーク運動」とは少し距離を置いたところで活動を続けていたように見えました。上記の詩人たちの言葉をメロディーにのせていたところからも、それはうかがえます。社会に向けて直接訴えるプロテストソングではなく、人の心を覗き込み、何が自分にとって大切かを確認するような歌でした。

 京都三条堺町の喫茶店「イノダ」の名を織りこんだ「珈琲不演歌(コーヒーブルース)」は高田さんのヒット曲のひとつ。微笑ましい片想いの様子がうかがえます。

 その後の高田さんは、武蔵野タンポポ団でアメリカのルーツミュージックを探ったりした後、また1人で歌の旅を続けていたのでしょう。一昨年の映画『タカダワタル的』は観ませんでしたが、それに合わせて作られた高石友也さんと2人を取り上げたTV番組は拝見しました。
 お酒に酔って舞台にあがり、歌の途中で眠ってしまう高田さんを見て「歌と、生きることがひとつになっているんだなあ」と、あきれながらもうらやましく思ったことでした。

 もっと歳をとったとしても、たぶん高田さんの歌のスタイルが変わることはなかったでしょう。あちらでもずっと同じように歌っていることと思います。合掌。