金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
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法相発言、株主総会答弁に似ているが違いは?

2010年11月18日 | うんちく・小ネタ

柳田法相の発言が国会運営の新たな火種になっている。「法相は2つ覚えておけばよい。『個別案件は答を差し控える』と『法と証拠に基いて適切に対応する』だ」という発言を聞いて、僕はふっと10数年前の株主総会における議長(社長)の質問に対する回答を思い出した。

当時は株主総会の最大の課題は「いかに早く株主総会を終えるか?」ということだった。だが90年代に多発した企業不祥事に対する反省や海外の機関投資家の総会議案の真剣なチェックなどを経て、ちゃんとした会社の株主総会は変わってきた。

つまり「企業統治」がかなり進んだのである。株主利益の極大化を図るという企業統治が日本でも根付き始めているのだ。ところが全く進まないのが国民の利益を極大化する「政治統治」だ。

なぜ政治統治が進まないのか?ということを企業統治との対比で簡単に考えてみよう。

株式会社の経営に不満を持つ株主は株主総会の場で意見を表明できる。また機関投資家など大口株主は、経営者と面談し、提案を行うことも可能だ。また場合によっては経営陣の首をすげ替えることもできる。

もっと小口の株主の場合はどうだろうか?小口の株主の究極の権利行使は株を売るということである。将来性のない会社の株を売る・・・これが究極の株主の権利行使なのだ。株を売られて会社の株価は低迷し、普通であれば経営陣はなんらかのアクションをとるようになるだろう。

ところが国民の場合、国に不満があろうが、将来性に不安があろうが、簡単に株を売る(つまり国民をやめて海外移住する)訳にはいかない。海外に移住できる人は国際的に通用する高いスキルを持つ人か相当な資産家だろう。

退職後生活費の安い東南アジアで暮らすという選択肢もありそうだが、生活原資を国の年金に頼っていると不安を引きずるだろう。

政治家が弛緩する最大の理由は「いい加減な政治をしても国民は出て行く訳でもないし、支持者に甘い汁を吸わせれば選挙では勝てる」という政治の仕組みが著しく「政治統治」の機能を欠いているのである。

マニフェストを経営計画と考えれば、できそうもない経営計画を株主に提出して1年後簡単に「できませんでした」ですます経営者を許す株主がいるだろうか?

ところがそれで済んでしまうのが今の日本の政治の世界だ。

柳田法相は「問責に値する」という追及に対し「思慮にたりなかった」と反省の弁を述べているが、僕は「本音がでたな」と感じている。欠けているのは思慮だけでない、政治とは自分の利益ではなく国民の利益を極大化するという基本姿勢が欠如しているといわざるを得ない。

コメント (3)
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