「ショパンへの鎮魂歌 朗読のための」(『綺想曲 Capriccio 』)にも「思う」に派生することばが出てくる。「思い出す」。
「思い出す」ということばは、ここでは二通りにつかわれている。「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」。これは実際に渋沢が知っていること、体験したことを「思い出す」。普通、人がつかう思い出すは、こういう意識の動きだ。
だが、「きみのことを思い出そうとしている」「きみのすべてを思い出すことができる」は少し違う。渋沢はショパンと知り合いではない。「思い出す」対象のショパンは実際のショパンではなく、渋沢が音楽を通して知っているショパン、さらにはそれまでに誰かによって語られたショパンである。
このとき、渋沢は、ショパンを思い出すというよりは、正確には、ショパンという対象に対して渋沢自身の「思い」を積み重ねていると言えるだろう。そこで語られるのはショパンそのものではなく、ショパンに対する渋沢の願いであり、祈りである。
同じような「思う」が、渋沢自身のことばではなく、ジョルジュ・サンドのことばとして詩のなかに引用されている。ジョルジュ・サンドは
これは単に「思う」というよりも、あるいは単なる人物の批評・定義というよりも、愛によって引き出された願いであり、祈りである。
「思う」ということばを渋沢がつかうとき、そこにゆったりした感情が流れるのは、そこに愛が存在するからだろう。
とは、この作品の冒頭の2行だが「希い」が、あるいは渋沢の愛というものかもしれない。渋沢はこの作品で、ショパンを思い、ショパンの「希い」を想像している。ポーランドへの愛を忘れなかったショパンを描くことで、愛そのものを思い描いている。
そして、そういう想像を単に「思う」ではなく、「思い出す」と書く。
ここには「思う」よりも激しい願いがこめられていると私は感じる。
「思う」対象は、いままで存在しなかったものでもありうる。しかし「思い出す」ものは必ず体験したもの、すでに存在したものでなくてはならない。(「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」のように。)
渋沢は、いわばショパンを取り戻そうとしているだ。かつて存在した(これは事実である)ショパン、その「希い」を、ショパンにかわって、今、ここに取り戻そうとしている。それが「思い出す」ということばにこめられた意味である。そして、それは同時に、渋沢がショパンとなって生きるという意味でもある。
「鎮魂歌」とは、単に死者へのなぐさめのことばではない。死者の「希い」を自分自身の願いとして生きることだ。「思い出す」とは、そういうことだ。
ここに『行き方知れず抄』(1997)に通じることばの動きがある。
わたしたちは今
きみのことを思い出そうとしているのだが
すでに旋律は鳴りはじめていて
その音の流れに浸りさえすれば
容易にきみのすべてを思い出すことができる
ついでにわたしはかつて通過した
きみの国での数々の不快な光景をも思い出す
(略)
だが 自然の大地だけは
われわれの国からはもはやうしなわれてしまったものを
懐かしく思い出させてくれもした
「思い出す」ということばは、ここでは二通りにつかわれている。「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」。これは実際に渋沢が知っていること、体験したことを「思い出す」。普通、人がつかう思い出すは、こういう意識の動きだ。
だが、「きみのことを思い出そうとしている」「きみのすべてを思い出すことができる」は少し違う。渋沢はショパンと知り合いではない。「思い出す」対象のショパンは実際のショパンではなく、渋沢が音楽を通して知っているショパン、さらにはそれまでに誰かによって語られたショパンである。
このとき、渋沢は、ショパンを思い出すというよりは、正確には、ショパンという対象に対して渋沢自身の「思い」を積み重ねていると言えるだろう。そこで語られるのはショパンそのものではなく、ショパンに対する渋沢の願いであり、祈りである。
同じような「思う」が、渋沢自身のことばではなく、ジョルジュ・サンドのことばとして詩のなかに引用されている。ジョルジュ・サンドは
「私はあの人が余りに繊細で、余りに洗練されて、われわれ
の粗野で重苦しいこの地上の生活に永いあいだ生きるため
には余りに完全すぎる性格だと思う」とも書いている
これは単に「思う」というよりも、あるいは単なる人物の批評・定義というよりも、愛によって引き出された願いであり、祈りである。
「思う」ということばを渋沢がつかうとき、そこにゆったりした感情が流れるのは、そこに愛が存在するからだろう。
きみの希いが
届くべきものに届くのはいつのこと
とは、この作品の冒頭の2行だが「希い」が、あるいは渋沢の愛というものかもしれない。渋沢はこの作品で、ショパンを思い、ショパンの「希い」を想像している。ポーランドへの愛を忘れなかったショパンを描くことで、愛そのものを思い描いている。
そして、そういう想像を単に「思う」ではなく、「思い出す」と書く。
ここには「思う」よりも激しい願いがこめられていると私は感じる。
「思う」対象は、いままで存在しなかったものでもありうる。しかし「思い出す」ものは必ず体験したもの、すでに存在したものでなくてはならない。(「きみの国での数々の不快な光景をも思い出す」「懐かしく思い出させてくれもした」のように。)
渋沢は、いわばショパンを取り戻そうとしているだ。かつて存在した(これは事実である)ショパン、その「希い」を、ショパンにかわって、今、ここに取り戻そうとしている。それが「思い出す」ということばにこめられた意味である。そして、それは同時に、渋沢がショパンとなって生きるという意味でもある。
「鎮魂歌」とは、単に死者へのなぐさめのことばではない。死者の「希い」を自分自身の願いとして生きることだ。「思い出す」とは、そういうことだ。
ここに『行き方知れず抄』(1997)に通じることばの動きがある。