詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

キキダダマママキキ『死期盲』、その2

2006-06-25 23:40:40 | 詩集
 詩集には一気に一冊を読み終えてしまうものと、中断を挟みながら一篇一篇しか読み進むことができないものがある。キキダダマママキキ『死期盲』(思潮社)は続けて読むことが難しい詩集である。きのう触れた冒頭の作品がすばらしい。しかし、そのすばらしさが強烈すぎて、他の作品のことばと私のなかでは一体になってくれない。「( 、( 、」のことばの運動が、次の詩とどんな関係にあるのかつかめない。とはいっても、それ以外の作品がつまらないかというとそうではない。むしろ、作品それぞれが自己主張していて、そのために印象がまとまらないのかもしれない。私がキキダダマママキキのことばの速さについていけないだけなのだろう。
 詩集全体の感想を書こうと思って、きょうまた詩集を読み返してみたが、ふたたび全体の感想がまとまらない。とても気に入った一行について書くことにする。

海は近い、けれど近い

 「乳の民」のなかのその一行を読んだとき、私は、キキダダマママキキのことばが心底好きになった。
 普通の散文では「海は近い、けれど海は遠い」か「海は遠い、けれど近い」か、どちらかになる。その場合、「けれど」とともに省略されていることば(意識)がある。たとえば「海は近い、しかし足をケガしてしまった私にはその近いはずの海は遠い」。あるいは「海は遠い、だからそこへ行くことはできないけれど、私はその海を忘れたことがない。こころはいつも海と一緒にある。だから私にとっては海は近い」。
 しかし、キキダダマママキキは「海は近い、けれど近い」と書く。そこには私の知らない何かがある。キキダダマママキキにしかわからない省略された「事実」がある。いや、キキダダマママキキにもわからない省略されたものがある。わからないのに書いてしまうのは、その「わからなさ」が「頭」の問題であるからだ。「肉体」ではわかってしまう。しかし、その「肉体」の内部の回廊をたどって「頭」のなかで整理されるまでの道筋がキキダダマママキキにもわからないということなのだと思う。肉体ではわかるが頭ではわからないもの、それを何とか明るみに出そう、ことばにしてしまおうとする意欲のようなものが、ここにある。それを感じる。私の頭ではなく、私の肉体が。「海は近い、けれど近い」とことばにするとき、喉が、声帯が、口蓋が、その音を受け止めてくれる肉体を探しているのを感じる。こういうものが感じられたとき、私は、その詩のとりこになってしまう。キキダダマママキキの探しているものを一緒に探している気持ちになる。
 今、引用した行は次のように展開する。

海は近い、けれど近い
(遠近感の加減速はいよいよ人生と等価になってきた
音のフィルム! 壺の中だ、だのに
匂いはなし)
鼻の中まで平坦な巡礼路
死神だけがやさしい
断言。なぜならば他のすべては、
ドーナツばかり配るのです(バームクーヘンもおいしいよ)
性欲でなく食欲。満足した胃袋には

 「だのに」のなかにも省略がある。「青のフィルム」が本当にフィルムであるなら、物理的・生理的には、それが壺の中だろうが外だろうが匂いなどしないだろう。しかし、キキダダマママキキの肉体ははそれが壺の中なら匂ってもいいと判断している。だからこそ「だのに」ということばを呼び寄せる。この省略が、キキダダマママキキの肉体を刺激する、覚醒させるのだろう。次の「鼻の中まで平坦な巡礼路」ということばに触れたとき、鼻だけではなく、肉体全体のなかにことばと感覚の回路が動き回るのを感じる。
 省略の一方、奇妙な迂回もある。「ドーナツばかり配るのです(バームクーヘンもおいしいよ)」。この行は意味上は不要だろう。この行がなく「なぜならば他のすべては/性欲でなく食欲。」という展開の方がことばの上での意味は明確になるだろう。しかし人間はことばの「意味」だけを生きているのではない。肉体がある。それは不可侵のものだ。その不可侵の肉体が、たとえばドーナツとバームクーヘンを記憶している。その違いを記憶している。違いとともにあるさまざまな感覚を記憶している。

 ことばにできるものとことばにできないもの。肉体が記憶しているものと、肉体のなかに回路を確立していないもの。それがせめぎ合い、キキダダマママキキを揺り動かしている。ことばを揺り動かしている。キキダダマママキキのことばがどこへ動いていくのかわからない。わからないけれど、「海は近い、けれど近い」というような、絶望的な省略のことばを明確に発することができる肉体なら、かならず「事実」を突き止めるだろうという感じがする。
コメント
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