詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

豊原清明「人生の青い中也よ(一)」

2007-04-23 08:46:42 | 詩(雑誌・同人誌)
 豊原清明「人生の青い中也よ(一)」(「SPACE」73、2007年05月01日発行)。
 詩とは屹立してくることばである--とあらためて思った。豊原清明「人生の青い中也よ(一)」の1連目。

ぐっすりと眠った、家族の顔よ、
このすこやかな顔には
涙が流れ、一つのラインを引き、
胸、しっかりと、襟立て、
人生の青い砂漠よ。
今、僕の目に映るのは、ただ人形のように可愛い、
家族の営みであった
くすっと笑って、僕と別れた
女よ。あなたの笑顔が
僕の喉にへばりつていいるから、
人生は青いたばこのようだ。

 「すこやかな顔」と「涙」の対比、「涙」と「一つのライン」の「ライン」への浮遊の透明さ。こういう透明さはことばの引き出しをいくらあけても出てこないものである。ふいに天から降ってくる美しさだ。
 「胸、しっかりと、襟立て、/人生の青い砂漠よ。」のなかの飛躍も美しいとしかいいようがない。人間の肉体、肉体を立て直そうとする意志(胸、襟)と青い砂漠のふいの衝突。肉体が、意志が、突然「青い砂漠」という透明さのなかにほうりだされる。
 人間の肉体や意志には関係ない世界(宇宙)がある。関係ないというのは、人間の肉体や意志がどんなにあがいても、宇宙はそんなことなど気にしない、非情だという意味だ。そういう非情さを知って、そこにとどまりながら、肉体へやわらかな視線をもどす。
 詩人だ。天才にだけ与えられた特権だ。

女よ。あなたの笑顔が
僕の喉にへばりつていいるから、
人生は青いたばこのようだ。

 私はたばこを吸わない(医師からとめられている)が、この感覚を味わうためにたばこを吸ってみたいという欲望に襲われた。
 肉体のあたたかく深い宇宙と、人間を考慮しない非情な宇宙の清潔さを、豊原は自在に行き来する。肉体の内部が深く温かくなればなるほど、宇宙は透明に冴え渡る。冷たくはりつめる。そのつなぎ目に豊原が生きている。



 豊原は、シナリオ『SPACE・泣き声をあげる』も同時に発表している。どの部分を取ってもすばらしいが、せりふが絶品である。

おかあさんの声「まゆみ」僕はどきんとして振り返った。
すると口元に黒子のある、女性が微笑みながら立っていた。(初恋の人だ!)
僕はゆっくりつけてゆく。色黒の男が居た。まゆみ「パパ!」男「マユコ、ホテルで一服して、トランプでもしようか?」僕はたまらなくなって、
お母さんという人に小説家の名刺を手渡し、正直に告白した。
するとマユコは大層、懐かしがった。「まゆみがあなたの小説の「超」ファンなんですよ。あの、今お一人ですか?」僕はまゆみちゃんに新刊のライトのベルズをプレゼントしてまゆみちゃんと友だちになった。
男は「ヨカッタナ」と言って、好感抱かれたと狂喜した。

 それぞれのせりふに「過去」があり、「過去」をことばのなかに出しながら「現在」から「未来」へと時間が動いてゆく。その動きを「僕」が支配しているのではなく、登場人物のそれぞれが支配していると感じさせる「日常」の時間があふれている。
 豊原の俳句、詩はすばらしいが、小説、戯曲(芝居)といった複数の人物が登場する文学を書くと、世界はもっともっと豊かになると思った。


コメント
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