山田輝久子「水 六題」(「どうるかまら」2、2007年05月31日発行)。
「水」の変容が描かれている。そのうちの「あめ」。
「純潔」や「禊」ということばに少し違和感を覚えるが、「惑星の乳房」ということばに不思議な魅力を感じた。「あめ」を山田はみつめているのか。そうではなく、「あめ」と一体になっている。そう感じた瞬間、違和感を覚えたはずの「純潔」や「禊ぎ」が、山田の肉体の願いのように感じられてくる。
この「あめ」は「かわ」を流れ、「うみ」へ向かう。その「かわ」もおもしろい。
やはりところどころに(ほとんどすべてに)不満は残るのだが「いらっしゃい」という呼びかけと「からい水の溶鉱炉」の比喩に魅力を感じた。むりがないというのか、日常・肉体をくぐり抜けてきたことばだけが持つ膨らみを感じる。
「水」の変容が描かれている。そのうちの「あめ」。
透明で純潔なわたしは
地上に近づくにつれ
灰色になり
赤く変色し
まれに
まっくろに汚れる
だが怯まず
触れるものすべての禊をとり行うと
みるみる
惑星の乳房はみなぎり
いのちがあふれだす
「純潔」や「禊」ということばに少し違和感を覚えるが、「惑星の乳房」ということばに不思議な魅力を感じた。「あめ」を山田はみつめているのか。そうではなく、「あめ」と一体になっている。そう感じた瞬間、違和感を覚えたはずの「純潔」や「禊ぎ」が、山田の肉体の願いのように感じられてくる。
この「あめ」は「かわ」を流れ、「うみ」へ向かう。その「かわ」もおもしろい。
いらっしゃいこちらへ
私の懐はふかくひろく
なんでも受け入れましょう
地の恵みも天の災いも
はねる魚たちも子猫の死も
初盆の精霊も雛人形たちも
おどろおどろの妖怪も
ゆったり抱いて運びます
からい水の溶鉱炉へと
やはりところどころに(ほとんどすべてに)不満は残るのだが「いらっしゃい」という呼びかけと「からい水の溶鉱炉」の比喩に魅力を感じた。むりがないというのか、日常・肉体をくぐり抜けてきたことばだけが持つ膨らみを感じる。