入沢康夫『死者たちの群がる風景』(1982年)。
「Ⅰ 潜戸から・潜戸へ--死者たちの群がる風景1」、「Ⅱ 潜戸から・潜戸へ--二人の死者のための四章」、さらには他の作品にも出てくるのだが、印象に残る表記スタイルがある。
繰り返される「(か、どうか)。」
事実が求められているのではない。想像することが求められている。想像できるならば、それはありうることなのだ。ありうることならば、あったことなのだ。「誤読」は、こんなふうにしてつくられてゆく。
この「(か、どうか)。」を、どう呼べばいいのだろうか。「Ⅱ」におもしろいことばがある。
入沢が描いているのは「想像力」の世界ではなく、「洞察力」の世界と呼んだ方がいいのかもしれない。
単に思い描くのではない。それなりの根拠をもって思い描く。そこには判断があり、判断のそばにはかならず現実がある。自分自身の現実に照らし合わせ、それにあわせて判断するのだ。現実を無視して、空想するのではない。
「誤読」について、私はこれまで「想像力」と抱き合わせる形で入沢の書いたことばを読んできたが、ほんとうは「洞察力」と重ね合わせる形で読み直すべきなのかもしれない。
『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』。宮沢賢治の作品群の校定(校訂)と深い関わりがあると推測されるその作品。テキストを読むこと、その読むこと自体を詩にした作品。テキストから「想像力」をかってきままにおしひろげるのではない。そこで展開されていることばは、あくまで「洞察力」によって動いている。「想像」あるいは「空想」ではなく、ある「洞察」にもとづいているからこそ、その「誤読」はいったん動きだすと簡単には覆らない。覆すことができない。根強い「誤読」の裏には鋭い「洞察力」がある。「洞察」することができる精神だけが「誤読」できるのである。
「洞察力」のない精神に可能なのは、「誤読」ではなく、「誤解」である。
「誤読」は積極的な作業である。ことばの先へ、ことばを突き破って突進していく作業である。新しい世界を作り上げていく作業である。
「Ⅰ 潜戸から・潜戸へ--死者たちの群がる風景1」、「Ⅱ 潜戸から・潜戸へ--二人の死者のための四章」、さらには他の作品にも出てくるのだが、印象に残る表記スタイルがある。
塵の教科書の裏表紙に
「P・L・H、
(略)
宇宙」
と書いた(か、どうか)
(「Ⅰ 潜戸から・潜戸へ--死者たちの群がる風景1」)
彼の塵の教科書の裏の見返しに、
「P・L・Hはぼくの名前です。
アイルランドはぼくの国です。
ダブリン市はぼくの住んでた所です。
天国がぼくの目的地です」
といたづら書きした(か、どうか)。
ローマ・カトリック教会への
彼の敵意はこの少年期に固められた(か、どうか)。
(「Ⅱ 潜戸から・潜戸へ--二人の死者のための四章」)
繰り返される「(か、どうか)。」
事実が求められているのではない。想像することが求められている。想像できるならば、それはありうることなのだ。ありうることならば、あったことなのだ。「誤読」は、こんなふうにしてつくられてゆく。
この「(か、どうか)。」を、どう呼べばいいのだろうか。「Ⅱ」におもしろいことばがある。
「すべての外国著述家のうち、彼こそ最も
われわれの心に近いところまで来てゐたのです。
一民族の魂の隠れた秘密を
多民族に示すのに
ものを言ふのは博識ではない、
洞察です。
入沢が描いているのは「想像力」の世界ではなく、「洞察力」の世界と呼んだ方がいいのかもしれない。
単に思い描くのではない。それなりの根拠をもって思い描く。そこには判断があり、判断のそばにはかならず現実がある。自分自身の現実に照らし合わせ、それにあわせて判断するのだ。現実を無視して、空想するのではない。
「誤読」について、私はこれまで「想像力」と抱き合わせる形で入沢の書いたことばを読んできたが、ほんとうは「洞察力」と重ね合わせる形で読み直すべきなのかもしれない。
『かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩』。宮沢賢治の作品群の校定(校訂)と深い関わりがあると推測されるその作品。テキストを読むこと、その読むこと自体を詩にした作品。テキストから「想像力」をかってきままにおしひろげるのではない。そこで展開されていることばは、あくまで「洞察力」によって動いている。「想像」あるいは「空想」ではなく、ある「洞察」にもとづいているからこそ、その「誤読」はいったん動きだすと簡単には覆らない。覆すことができない。根強い「誤読」の裏には鋭い「洞察力」がある。「洞察」することができる精神だけが「誤読」できるのである。
「洞察力」のない精神に可能なのは、「誤読」ではなく、「誤解」である。
「誤読」は積極的な作業である。ことばの先へ、ことばを突き破って突進していく作業である。新しい世界を作り上げていく作業である。