詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小松弘愛「おおきに」

2008-01-19 10:28:37 | 詩(雑誌・同人誌)
 小松弘愛「おおきに」(「兆」136 、2007年11月05日発行)
 ことばはいつ「詩語」になるか、ということを考えた。小松は失われてゆく高知方言をていねいに記録しているのだが、ことばには失われていくことばと同時に新しく誕生してくる(登場してくる)ことばがある。そういう「新しいことば」はいつ「詩」のことばとしてつかわれるか。
 「おおきに」の冒頭の3連。

「ありがとう」
子供の頃には使った記憶がない
いつも「おおきに」だった

蜜柑畑の多い村の中学校を出て
高知市内の簿記学校に通い
貸借対照表(バランスシート)の作り方などを習った後
繁華街でマネキンなんか置いて
洋装店を開いていた伯母の店へ
住込店員として入り--

「おおきに」は消えてゆくことになった
「ありがとうございます」
「ありがとうございました」

 「おおきに」と「ありがとう」の「バランスシート」。「バランスシート」はたしかに「貸借対照表」だが、最近は「貸借対照表」ということばはつかわれず「バランスシート」という。政治家がこういうことばを好むのは、なにかを隠したいからである。「貸借対照表」というと「借金」の残高、赤字がよくわかる。貸し借りにこれだけの差がある、どうする? でも、「バランスシート」というと「バランス」(均衡、つりあい)くらいのイメージしか普通の市民は思わない。「バランス」はたまたま崩れているだけ。すぐ取り戻せる。転んだって、人間なんかすぐ立ち上がれる--というようなイメージだ。しかし、それが何兆円の「差」だった場合は? ほんとうのことを知らせないためにつかわれることばというものもある。
 こういうことばが「詩」のなかで消化されるまでには時間がかかる。詩のことばというのは、そこでつかわれていることばそのものへの批評を含んでいる。批評の姿勢がきちんとつかう人のなかで確立されない限り、それは詩にはならない。
 小松ははっきりそのことを自覚している。
 詩の最後の方。

きょう
『新解さん』と呼ばれたりする辞書
を手にして
たまたま目にすることになったのは

おおきに(感)
[各地の方言。特に関西で好んで使う]ありがとう。

せっかく
国語辞典に入れてくれてあるのに
「各地」の一つである高知では
「好んで使う」ことにはならず
言葉のバランスシートは崩れてしまった

 政治家のつかう「バランスシート」ということばが、ここでは洗い直されている。
 古いことばとしての(?)方言「おおきに」と、共通語としての「ありがとう」の「出入り」が高知ではおかしくなってしまった。どちらが「貸す」でありどちらが「借りる」なのか。そんなことは、ことばのなかではわからない。
 でも、借金の場合は? たとえば住宅ローンを借りている場合。毎月いくらかの金額を支払っているとする。そのとき、どちらが「貸す」でありどちらが「借りる」であるか、勘違いするひとは誰もいない。(できるなら、勘違いしてしまいたいし、さらには「貸す」「借りる」の立場が逆転してほしいものだが。)
 「バランスシート」ということばのつかい方には「罠」があるのである。その「罠」を小松はここでは「ありがとう」と「おおきに」を例に具体的に再現している。そこに批評がある。そして、批評からはじまる詩がある。新しいことば「バランスシート」が「詩」になったといえる。

 小松は「俗・土佐方言の語彙をめぐって」という連作で、土佐方言をとりあげつづけているが、ここでは土佐方言の失われていく味わい(ことばにならない肉体のようなもの)をすくい取るといういつもの方法ではなく、新しいことばを批評してみせている。そして、その姿勢は、土佐方言を消し去っていくものへの厳しい批評ともなっている。
 方言の「バランスシート」を正しいものにしないと、すべてはごまかされてしまう。肉体からの批評(生活からの批評)を確立しないと、すべてはごまかされてしまう。--そんなふうに「露骨」に書いてはいないが、そういう声が、ことばの奥底から聞こえてくる詩である。
 新しいことば--それはいつでも生活に根付いた視線をはぐらかすためにつかわれる。日常の生活は見ていた風景が、新しいことばが突然持ち込まれた瞬間から、一瞬はぐらかされてしまう。新しいことばを知らない人間が劣っている(?)ような印象を引き起し、日常(暮らし)の視線が築いてきた世界をはぐらかしてしまう。そういうものにはぐらかささてはならない。
 なんだがアジテーションのようなことを書いてしまったが、そんなことを改めて考えた。
コメント
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