永富和子「お父さんお母ちゃんと呼ぶ夫婦来て球根つらねし彼岸花植う」(読売新聞1月20日朝刊、佐賀県版「文芸欄」)
偶然読んだ一首なのだが、忘れられない。
実際に体験したことをていねいに描いている。夫婦がいる。一方は「お父さん」と呼び、他方は「お母ちゃん」と呼ぶ。「さん」と「ちゃん」。この違いに作者はなにかを感じ取っている。そして、そのなにかを説明はしない。ただ違いのまま、ことばのなかに定着させる。読者がなにかを感じてくれるならそれでいい。作者の感じたことと読者の感じたことが違ったら違ったでかまわない。そういうゆったりした感じである。自分が感じたことをなにがなんでも正確に伝えよう、感動を呼び起こそうというわけではない。
このゆったりした感じが、そのまま歌の世界と重なる。「お父さん」と呼ぶ。「お母ちゃん」とこたえる。二人のあいだには微妙なこころの動きがある。たとえばそれを「尊敬」「甘え」と呼んでもいいかもしれない。しかし、わざわざ、それをことばに出して説明するようなことではない。ただ、あっ、と思うだけで十分である。その「あっ」のなかに行き来する思いは、たぶん、夫婦というものを体験したことのある人ならだれでもが感じるなにかである。「尊敬」「甘え」などとことばにしてしまうと、「あっ」そのものが変質してしまう。違ったものになってしまう。だから、そういうことはいわずに、そっと見たまま、聞いたままをことばにする。
この見たまま、聞いたままをことばにするというのはなかなか難しい。ひとは、どうしても自分の考えていることを説明してしまいがちである。(たとえば、私のこの文章。)
永富和子は、そういう「間違い」をおかさない。説明することで、自分の気持ちをおしつけない。そのかわりに、読者が感じてくれるのをただ待っている。
この姿勢は「お父さん」「お母ちゃん」と呼び合う夫婦の姿そのものにも見えてくる。そして、また「球根つらねし彼岸花」のようにも見えてくる。「球根」ではなく、どこかで、たとえばこころの根っこ、暮らしの根っこでつながっている姿そのものにみえてくる。そういう二人だからこそ、いっしょに花を植える姿がしっくりくるのだ。
永富和子の作品を私はほかに知らない。ほかに知らないのだけれど、たいへんすばらしい歌人だと感じた。もっと多くのを歌を読んでみたいと思った。
偶然読んだ一首なのだが、忘れられない。
お父さんお母ちゃんと呼ぶ夫婦来て球根つらねし彼岸花植う
実際に体験したことをていねいに描いている。夫婦がいる。一方は「お父さん」と呼び、他方は「お母ちゃん」と呼ぶ。「さん」と「ちゃん」。この違いに作者はなにかを感じ取っている。そして、そのなにかを説明はしない。ただ違いのまま、ことばのなかに定着させる。読者がなにかを感じてくれるならそれでいい。作者の感じたことと読者の感じたことが違ったら違ったでかまわない。そういうゆったりした感じである。自分が感じたことをなにがなんでも正確に伝えよう、感動を呼び起こそうというわけではない。
このゆったりした感じが、そのまま歌の世界と重なる。「お父さん」と呼ぶ。「お母ちゃん」とこたえる。二人のあいだには微妙なこころの動きがある。たとえばそれを「尊敬」「甘え」と呼んでもいいかもしれない。しかし、わざわざ、それをことばに出して説明するようなことではない。ただ、あっ、と思うだけで十分である。その「あっ」のなかに行き来する思いは、たぶん、夫婦というものを体験したことのある人ならだれでもが感じるなにかである。「尊敬」「甘え」などとことばにしてしまうと、「あっ」そのものが変質してしまう。違ったものになってしまう。だから、そういうことはいわずに、そっと見たまま、聞いたままをことばにする。
この見たまま、聞いたままをことばにするというのはなかなか難しい。ひとは、どうしても自分の考えていることを説明してしまいがちである。(たとえば、私のこの文章。)
永富和子は、そういう「間違い」をおかさない。説明することで、自分の気持ちをおしつけない。そのかわりに、読者が感じてくれるのをただ待っている。
この姿勢は「お父さん」「お母ちゃん」と呼び合う夫婦の姿そのものにも見えてくる。そして、また「球根つらねし彼岸花」のようにも見えてくる。「球根」ではなく、どこかで、たとえばこころの根っこ、暮らしの根っこでつながっている姿そのものにみえてくる。そういう二人だからこそ、いっしょに花を植える姿がしっくりくるのだ。
永富和子の作品を私はほかに知らない。ほかに知らないのだけれど、たいへんすばらしい歌人だと感じた。もっと多くのを歌を読んでみたいと思った。