詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

蜂飼耳「雪ノ下」

2008-01-10 11:14:40 | 詩集
現代詩手帖 2008年 01月号 [雑誌]

思潮社

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 蜂飼耳「雪ノ下」(「現代詩手帖」2008年01月号)
 蜂飼は名前に「耳」という文字を持っているが、その名にふさわしい優れた耳を持っていると思う。「耳」で聞き取る音が世界を開いてゆく。どの作品を読んでも、そう感じる。
 「雪ノ下」の冒頭。

川の片目が
開くときだれかの
両の眼はとじていく

 「川の片目が」の「か」の音の繰り返しに誘い込まれてしまう。「開くときだれかの」には「か」行は隠れながら「ら」行を引き出す。そして「両の眼は閉じていく」と「ら」行の音を冒頭へ放り出す。しかも一回限り。「両眼」ではなく「両の」とその音を浮き彫りにするかのようにゆったりとのばされる音。
 私は、もう、ここで夢中になってしまう。

 つづく2連目。

雪 雪

 音が変わる。音楽でいえば、一種の転調というところか。しかし、ほんとうに転調したかどうかは、まだわからない。「雪 雪」というリズム、繰り返すことで強調されるリズムが、転調のはじまりを予告するようで、わくわくする。

 3連目。

引き取られるものはそのとき息で
血圧酸素の値は低下 断崖を象(かたど)る波形(はけい)は
出没の数を減らしていく(雪 雪)

 何もかもが変わる。転調を通り越した転調かもしれない。それにしても「断崖を象る波形は」という音の美しさは異常だ。美しすぎる。耳に美しいということを超越して、口蓋に、舌に、その半分無意識に動かす筋肉のすべてに美しい。快感を引き起こす。
 そういう音楽を響かせておいて、最後に通奏低音のように

(雪 雪)

 括弧の絶妙さ。2連目の「雪 雪」が静かに、遠くで、しかし確実に響く。こういうときは、もう、音楽に身をゆだねて、それに酔うしかない。
 3連目の後半から4連、5連の初めにかけても、美しいとしか、ほかにことばが見つからない。

かなしみ追い越し浮かぶ魚屋
店頭で手を拭く 店名の薄れた前掛けに
捌(さば)く両手は隠され流されて

雪 雪
 雪 雪 雪

こごえる地平が握る掌ゆるめないときは
 握られたまま、繭つくる繭つくる

 隠された(省略された)助詞がことばの動き、リズムを加速させ、なめらかな輝きを響かせる。
 意図的なのか。それとも無意識なのか。意図が無意識になり、無意識が意図になってしまった「天才」の音楽がここにある。

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