藤維夫「それはそれはそれは」(「SEED」15、2008年05月15日)
藤の詩にはいつも静かな思考がある。思考の詩だけれど、「頭」で書いた詩ではない。それが魅力だ。
「それはそれはそれは」の中ほど。
「考え事が先だった」。この不思議な断定に、私は震える。ある対象があり、あるいはある存在があり、それについて後から「考え」がやってくるのではない。まず「考え」がある。
「考え事が先だった」。そして、これほど悲しいことばはない。まず考えがあって、それから「世界」が見えてくるというのは、とてもつらい。「世界」は考えに汚れてしまっていて、もう取りかえしがつかない。
1連目、書き出しに戻る。
「悲しみ」ということばが直接出てくる。この「悲しみ」は「感情」であるけれど、もう「感情」を突き破ってしまっている。そして「悲しみ」という「考え」になっている。「感情」は動かないのだ。「感情」は「考え」になってしまって、簡単には揺り動かされない。「悲しみ」が動く(たとえば、解消する、喜びや笑いにかわる)とすれば、それは「考え」を通過して、つまり「論理的」に動いていくしかない。
それを藤は「不能」と呼んでいる。
こんなとき、ひとは、どんなふうに解放されるのだろうか。
「眠り」と「夢」。それは「考え」を裏切って動く精神である。眠って、夢を見て、意識的には動かすことのできない何かを身をまかせるしかない。「悲しみ」が「考え」にまでなってしまったら、たしかにそんなふうに「考え」を中断するしかないかもしれない。 その「夢」に汽船が走っていく。
「それはそれはそれは」と3回繰り返す。繰り返して、確かめている。「中断」、「考え」の停止。その瞬間の「美」。
末尾の3行。たしかにそうなのだろう。「中断」に身をまかせる。急ぐことはない。「中断」が運んできてくれる「無意識」。そこに、再生の力がある。--藤は、いま、そういうところにいるのだろう。
「SEED」15の作品は、どれも悲しい。悲痛な声がする。どう感想を書いていいのか、私には実のところよくわからない。私に悲しんでいるひとに声をかけることが苦手である。
読みました。読んで、時間が経って、ようやく少しだけ、何か言いたくなった。でも、何も言えない--あらためて、そう思った。そのことだけを伝えたい。とてもとてもとても悲しい詩だ。
藤の詩にはいつも静かな思考がある。思考の詩だけれど、「頭」で書いた詩ではない。それが魅力だ。
「それはそれはそれは」の中ほど。
陽にかざして見ている空虚な部屋で
考え事が先だった
孤独の固まりに齧りついて
もう死んだように眠るしかない
夢のなかは水平線が再生されて
また汽船が走って行く
それはそれはそれは
美事な映画のようだ
「考え事が先だった」。この不思議な断定に、私は震える。ある対象があり、あるいはある存在があり、それについて後から「考え」がやってくるのではない。まず「考え」がある。
「考え事が先だった」。そして、これほど悲しいことばはない。まず考えがあって、それから「世界」が見えてくるというのは、とてもつらい。「世界」は考えに汚れてしまっていて、もう取りかえしがつかない。
1連目、書き出しに戻る。
なにを見ても悲しい
そんな不能な生き方がある
そのひとは朝が来れば起き
食事をとるにはとる
いびつな姿勢だから
不運に見えて さらにつらく悲しそうだ
「悲しみ」ということばが直接出てくる。この「悲しみ」は「感情」であるけれど、もう「感情」を突き破ってしまっている。そして「悲しみ」という「考え」になっている。「感情」は動かないのだ。「感情」は「考え」になってしまって、簡単には揺り動かされない。「悲しみ」が動く(たとえば、解消する、喜びや笑いにかわる)とすれば、それは「考え」を通過して、つまり「論理的」に動いていくしかない。
それを藤は「不能」と呼んでいる。
こんなとき、ひとは、どんなふうに解放されるのだろうか。
「眠り」と「夢」。それは「考え」を裏切って動く精神である。眠って、夢を見て、意識的には動かすことのできない何かを身をまかせるしかない。「悲しみ」が「考え」にまでなってしまったら、たしかにそんなふうに「考え」を中断するしかないかもしれない。 その「夢」に汽船が走っていく。
それはそれはそれは
美事な映画のようだ
「それはそれはそれは」と3回繰り返す。繰り返して、確かめている。「中断」、「考え」の停止。その瞬間の「美」。
プロデュースするかたわらで
清浄な生死を急ぐことはない
きっとゆっくりゆっくり
末尾の3行。たしかにそうなのだろう。「中断」に身をまかせる。急ぐことはない。「中断」が運んできてくれる「無意識」。そこに、再生の力がある。--藤は、いま、そういうところにいるのだろう。
「SEED」15の作品は、どれも悲しい。悲痛な声がする。どう感想を書いていいのか、私には実のところよくわからない。私に悲しんでいるひとに声をかけることが苦手である。
読みました。読んで、時間が経って、ようやく少しだけ、何か言いたくなった。でも、何も言えない--あらためて、そう思った。そのことだけを伝えたい。とてもとてもとても悲しい詩だ。