林嗣夫「雲」、小松弘愛「ぐじをくる」(「兆」138 、2008年06月10日発行)
林嗣夫「雲」は読み終えた瞬間にもう一度読み返したくなる詩である。
3連目が非常に美しい。「その間」が美しさの秘密、林の「思想」である。
3連目の前半は肉眼で見える風景である。「逡巡し」が肉眼の領域を超えているかもしれないが、それでもなんとか肉眼でとらえられる風景である。だれのめにも(このときの目は想像力の目だが)、ケヤキと雲の位置関係がわかる。絵に描いて説明することができる。
ところが「その間」から以後は、絵に描くことはできない。肉眼に見えるようには描けない。ことばのなかの世界なのである。ことばでしか描けないものを林は描いている。
「ケヤキは/なにごともないように雲を抱き/それから 放してやった」とは、林のそう想像である。「なにごともないように」は実際のケヤキの気持ちとは無関係である。ケヤキには気持ちはない。そのない気持ちを林はことばでつくりだす。「雲を抱き/それから 放してやった」も同じである。ケヤキには雲を抱くことも放すこともできない。それは「みせかけ」のことがらであり、その「みせかけ」はことばがあるからこそ表現できることなのである。
「みせかけ」。「うそ」。
詩は「みせかけ」であり、「うそ」である。ことばをつかって「わざと」つくりだす世界である。
時間は見えない。ほんとうにきらめいたのが時間かどうかはだれにもわからない。それは林のことばが、林の「みせかけ」が、「うそ」が到達したひとつの到達点である。そういう到達点が、詩なのである。
「その間」を「時間」と言い換える。意識を深める。そうして、その瞬間に、ことばが「肉眼」を超越し、「心眼」になる。「みせかけ」「うそ」は、そういう「心眼」に至るための方便(補助線、助走期間)でもある。
その出発点に「その間」ということばがある。「その間」を発見した林だけが、「時間」という目に見えないもののきらめきを発見できたのである。
「心眼」を林は、最後にゆっくりと解き放つ。放り出す。「心眼」で見た世界をそのまま、ただ自分だけが見た幻に過ぎませんとでもいうかのように、すーっとかき消してゆく。最終連のことばは、そういう不思議な動きをしている。
肉眼で見える風景をではなく、肉眼で見ることのできない「わたし」(鏡をつかって見ることができるのは一種の像であり、「わたし」そのものではない)そのものを見つめなおす。「わたし」はことばをとおして「ケヤキ」になることができる。ことばをとおして「ケヤキ」になった「わたし」が、同じように「時間」を「きらめ」かせることができるだろうか、と見つめている。
「心もとない」。
「時間」を「きらめ」かせることができるかどうか、そんなことが「わたし」にできるかどうかわからない。だからこそ、寸前に見た「心眼」の風景がいっそう鮮烈になる。
*
小松弘愛「ぐじをくる」は「何かに不満で拗ねてみたり、文句や苦情を言うこと」をあらわす土佐方言である。こういうことばは、ふつうは「ぐじをくらんように」というふうに、否定の命令形でつかう。「文句や苦情を言わないように」。それはたぶん、長い間の人間の知恵なのである。文句や苦情を言って、人間関係をややこしくしないようにする、という知恵がそのことばのなかに含まれている。
「ぐじをくらんように」と小松は俳句の選を依頼してきたひとに対して言い、「それはどういう意味?」と質問されて「文句や苦情をいわないように」と説明しなおす。ちょっと回り道をする。
そして、その回り道をすることで、30年前の訴訟のことを思い出す。「くじ」は「公事」であり、「訴訟」でもある。ときには、何かを受け入れるだけではなく、強く拒否し、自己主張をする必要もあるのだ、ということを思い出す。
他人の質問が、ここでは「心眼」の働きをしている。新しいものを発見する動きをうながしている。
小松は土佐方言を題材に繰り返し詩を書いている。ことばを対象とすることは、ことばがもっているものの「内部」の「時間」をとりだし、それを「肉眼」でみつめなおすことである。ことばを動かすことによってはじめて見えてくるものを明らかにすることでもある。
どんなことばも「肉眼」に到達すれば、そこに詩があらわれてくる。詩は「心眼」を発見し、それを定着させる仕事である。
林嗣夫「雲」は読み終えた瞬間にもう一度読み返したくなる詩である。
本に疲れて
座いすをすこし後ろに倒すと
窓の外に高くのびたケヤキの枝に
白い雲が一つ
静かに近づくところだった
--西高東低の気圧配置で
太平洋沿岸は晴れだと
今朝のテレビが言っていた
雲は大きな枝を通過し
枝と枝との間でしばらく逡巡し
ゆっくりと
もう一本の枝を出て行った
その間 ケヤキは
なにごともないように雲を抱き
それから 放してやった
時間だけがきらめいていた
離れていく雲を見送ったのち
もう一段
座椅子を後ろに倒した
目をつむると
私と意志一本の枝がのびている
風もないのにすこし揺らいでいる
すると
はるかかなたから 一つの雲の輝きが
ゆっくり近づいてくる気配がした
うまく枝分かれできない
心もとなさに向かって
3連目が非常に美しい。「その間」が美しさの秘密、林の「思想」である。
3連目の前半は肉眼で見える風景である。「逡巡し」が肉眼の領域を超えているかもしれないが、それでもなんとか肉眼でとらえられる風景である。だれのめにも(このときの目は想像力の目だが)、ケヤキと雲の位置関係がわかる。絵に描いて説明することができる。
ところが「その間」から以後は、絵に描くことはできない。肉眼に見えるようには描けない。ことばのなかの世界なのである。ことばでしか描けないものを林は描いている。
「ケヤキは/なにごともないように雲を抱き/それから 放してやった」とは、林のそう想像である。「なにごともないように」は実際のケヤキの気持ちとは無関係である。ケヤキには気持ちはない。そのない気持ちを林はことばでつくりだす。「雲を抱き/それから 放してやった」も同じである。ケヤキには雲を抱くことも放すこともできない。それは「みせかけ」のことがらであり、その「みせかけ」はことばがあるからこそ表現できることなのである。
「みせかけ」。「うそ」。
詩は「みせかけ」であり、「うそ」である。ことばをつかって「わざと」つくりだす世界である。
時間だけがきらめいていた
時間は見えない。ほんとうにきらめいたのが時間かどうかはだれにもわからない。それは林のことばが、林の「みせかけ」が、「うそ」が到達したひとつの到達点である。そういう到達点が、詩なのである。
「その間」を「時間」と言い換える。意識を深める。そうして、その瞬間に、ことばが「肉眼」を超越し、「心眼」になる。「みせかけ」「うそ」は、そういう「心眼」に至るための方便(補助線、助走期間)でもある。
その出発点に「その間」ということばがある。「その間」を発見した林だけが、「時間」という目に見えないもののきらめきを発見できたのである。
「心眼」を林は、最後にゆっくりと解き放つ。放り出す。「心眼」で見た世界をそのまま、ただ自分だけが見た幻に過ぎませんとでもいうかのように、すーっとかき消してゆく。最終連のことばは、そういう不思議な動きをしている。
肉眼で見える風景をではなく、肉眼で見ることのできない「わたし」(鏡をつかって見ることができるのは一種の像であり、「わたし」そのものではない)そのものを見つめなおす。「わたし」はことばをとおして「ケヤキ」になることができる。ことばをとおして「ケヤキ」になった「わたし」が、同じように「時間」を「きらめ」かせることができるだろうか、と見つめている。
「心もとない」。
「時間」を「きらめ」かせることができるかどうか、そんなことが「わたし」にできるかどうかわからない。だからこそ、寸前に見た「心眼」の風景がいっそう鮮烈になる。
*
小松弘愛「ぐじをくる」は「何かに不満で拗ねてみたり、文句や苦情を言うこと」をあらわす土佐方言である。こういうことばは、ふつうは「ぐじをくらんように」というふうに、否定の命令形でつかう。「文句や苦情を言わないように」。それはたぶん、長い間の人間の知恵なのである。文句や苦情を言って、人間関係をややこしくしないようにする、という知恵がそのことばのなかに含まれている。
「ぐじをくらんように」と小松は俳句の選を依頼してきたひとに対して言い、「それはどういう意味?」と質問されて「文句や苦情をいわないように」と説明しなおす。ちょっと回り道をする。
そして、その回り道をすることで、30年前の訴訟のことを思い出す。「くじ」は「公事」であり、「訴訟」でもある。ときには、何かを受け入れるだけではなく、強く拒否し、自己主張をする必要もあるのだ、ということを思い出す。
他人の質問が、ここでは「心眼」の働きをしている。新しいものを発見する動きをうながしている。
小松は土佐方言を題材に繰り返し詩を書いている。ことばを対象とすることは、ことばがもっているものの「内部」の「時間」をとりだし、それを「肉眼」でみつめなおすことである。ことばを動かすことによってはじめて見えてくるものを明らかにすることでもある。
どんなことばも「肉眼」に到達すれば、そこに詩があらわれてくる。詩は「心眼」を発見し、それを定着させる仕事である。
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