詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

田原(ティエンユアン)「堰き止め湖」

2008-08-01 12:16:02 | 詩(雑誌・同人誌)
 田原(ティエンユアン)「堰き止め湖」(「現代詩手帖」2008年08月号)
 四川大地震。山が崩れ巨大な「堰き止め湖」ができる。その非情な力。それに対する人間の無力。それが重なり合い、母の内部に、深い深い「堰き止め湖」が生まれる。それは「和解」ではない。母性そのものが、愛の愛が、ものを超越して、歴史になる。その、瞬間。田原は、時間のなかで、母の愛を救済しようとしている。悲しみをすくい取ろうとしている。その悲しみは、けっしてすくい取れない。だからこそ、すくい取りたいと願う。その、願いのなかに、たしかに、人間の存在理由がある。
 芒克、田原の詩には、たしかにことばを書く必然性がある。ことばを頼りに、自己を突き動かしていかなければならない祈りがある。その祈りを強く感じる。
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日差しの形をねじ曲げ
感情を押し殺して成長し、深みを増していく
窃かに
夜空の月星をどうやって溺死させようかと
企んでいる

お前は天と高さを競おうというのか
白鳥の湖となり
水辺に戯れる白鳥たちに卵を産み付けさせようというのか
あるいはもうひとつ別の悲劇を仕掛け
瓦礫の下に押しつぶされた声を押し流し
大地の癒合できない裂け目に流れ込もうとでもいうのか

たとえお前が大地よりはるかに横暴だとしても
山と樹木を根こそぎ押し流そうとも
死者の魂はお前にはもう何も感じはしない
生き残った者にもお前を呪う余裕などありはしない

堰き止め湖、堰き止め湖
若い母親の涙の枯れたあの目をお前は見たか
ただ茫然とそれでも諦めきれず、昂然と廃墟を眺めながら
呼び声が聞こえてくるのを待ち望んでいる目を
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 「堰き止め湖」は「若い母親の目」を見ない。けれども、田原は見る。「若い母親の目」を見ることができるのは人間だけである。だから、田原は見たことを書かなければならない。自然が見なかったものを、人間として見たものを書かなければならない。
 「死者の魂はお前にはもう何も感じはしない/生き残った者にもお前を呪う余裕などありはしない」。人間は、生き残った人間に目を向ける。そして、そこに手をさしのべる。私はあなたを見た、あなたの悲しみを見た、と。その証言は、いまは、母親にとってなんの救いににもならないかもしれない。母親の絶望は、他人の救いの手を見ない。「諦めきれずに」ただ、廃墟の下のいのちを探しているからだ。
 田原の声はとどかない。それでも、田原は書かずにいられない。とどかないものへ向けて、とどかないことばを書かなければならない。--その矛盾と、絶望のなかに、人間が共有しなければならない祈りがある。

 田原は、その「祈り」を、次のようにことばにする。
<blockqute>
一万年後、お前はその時の人々に
感嘆され称賛される景色になっているかも知れない
しかし、私はこの詩を証として書き残しておきたい
西暦二〇〇八年五月のお前は
何億もの人々の涙が溜まってできたものであることを
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 「祈り」は、このとき「何億もの人々」の「祈り」になる。ひとりの人間、詩人個人の声ではなく、何億もの人々の声を、そんなふうに高みへ運ぶ。「国民詩人」ということばを私は好むわけではないが、四川大地震のような巨大ななにかが突発したときには、田原のように、国民の声を統合していく詩人がたしかに必要なのだと感じた。



現代詩手帖 2008年 08月号 [雑誌]

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