「手紙を書く婦人と召使」が展示作品のなかでは魅力的だ。婦人の頭部、肩のハイライトがとてもまぶしい。呼応するように白いカーテンの上部の光に透けた感じが美しい。一心に手紙を書く婦人と、外の気配に目をやる召使の対比が、「時間」を感じさせる。そこに描かれているのは「一瞬」なのだが、どのような一瞬も日常の時間と連続している。長さがある。一瞬を描きながら、その長さ、そして長さが含むドラマを感じさせる。そのドラマは、右下の破られた(丸められた?)紙にもひそんでいる。壁にかけられた絵にも、当時の人ならすぐにわかるドラマが隠されているかもしれない。
左の 5分の1 (?)くらいを占めるカーテンは遠近法の揺らぎを隠すための技法なのかもしれないが、そのカーテンの存在によって、光の中心と絵の構造の中心(対角線をXに描き、そのの交わる地点)と重なり合う(微妙にずれるが)。そのカーテンによるXの位置の移動も、絵に深い味わいを与えている。ずれ、ゆらぎが陰影を誘い込んでいるような印象を与えるのである。そのXの移動によって、フェルメールの描く陰影がより複雑になる。
同時に「デルフトの巨匠たち」の作品も展示されている。彼らの作品と比較すると、フェルメールの視力のよさが歴然とする。「デルフトの巨匠たち」の作品の陰影が3段階あると仮定すると、フェルメールの陰影には10段階ある。その違いが光を透明にしている。微妙な陰影の差が光を磨き上げているという感じである。
「ワイングラスを持つ娘」は白と拮抗するように紅いスカートの輝きが美しい。光をあびて紅が金に変化する。そのとき生まれる色彩の運動がとてもいい。
娘に言い寄る男と、酔いがまわってみだら(?)になりつつある娘の顔の対比がおもしろい。この作品の壁にも絵が描かれている。ステンドグラスにも絵が描かれている。そうした絵が、娘と男のドラマを暗示しているようである。
「小径」は小ぶりの作品だが、とても気に入った。アムステルダムで見たときは、あまり気にとめなかった。(レンブラントを見るのが目的だったからかもしれない。)この展覧会でも最初は見過ごしていた。誰もいない(まだ来ていない)会場で見ると、小さい絵であるはずなのに、なぜか急に大きくかわる。大きさが変わる。町並みが実物大(?)の感じで広がるのである。中庭にいる婦人、道路で遊ぶ子ども、入り口で家事をする婦人の姿が建物を引き立て、そこに暮らしを感じさせる。その瞬間、絵が大きく拡大するのである。この作品にはフェルメール特有の光の諧調はないけれど、なぜか、こころ誘われる。この「小径」を探してデルフトの街を歩いてみたいという感じがする。
「マルタとマリアの家のキリスト」。初期の作品である。このころは光の諧調がまだ3段階くらいである。(後期の作品を10段階の諧調とすれば。)手前の女の右足、その指の輪郭に違和感を覚えた。キリストの手、手前の女の手を見ながら、あ、セザンヌならもっと長く描くだろうなあ、という奇妙な感想を持った。こんな感想がふいに浮かんでくるのは、この初期の作品は私の好きなフェルメールの感じとはかなり違うからだろう。
*
私は 8月20日、21日に見た。20日は午前09時05分ごろ入場したのだが人が多くてゆっくりと見ることができなかった。絵の位置だけ確認して21日に出直す。(20日は午前10時30分ごろ、会場受け付け前で40分待ち、上野駅についた11時ごろは1時間待ちという状態だった。)21日は午前08時30分ごろから列を作って待った。(30人程度、私より前に列を作っている人がいた。)めざす絵「手紙を書く婦人と召使」の前まで一目散で行ったので、この作品は10分ほど、ほぼ独り占めできた。真っ正面で見ることができた。混雑しそうなので、できれば開門前に列をつくり、めざす絵へ直進し、それから入り口にもどり順路をたどり直した方がじっくり鑑賞できそうである。
会期は12月14日まで。
左の 5分の1 (?)くらいを占めるカーテンは遠近法の揺らぎを隠すための技法なのかもしれないが、そのカーテンの存在によって、光の中心と絵の構造の中心(対角線をXに描き、そのの交わる地点)と重なり合う(微妙にずれるが)。そのカーテンによるXの位置の移動も、絵に深い味わいを与えている。ずれ、ゆらぎが陰影を誘い込んでいるような印象を与えるのである。そのXの移動によって、フェルメールの描く陰影がより複雑になる。
同時に「デルフトの巨匠たち」の作品も展示されている。彼らの作品と比較すると、フェルメールの視力のよさが歴然とする。「デルフトの巨匠たち」の作品の陰影が3段階あると仮定すると、フェルメールの陰影には10段階ある。その違いが光を透明にしている。微妙な陰影の差が光を磨き上げているという感じである。
「ワイングラスを持つ娘」は白と拮抗するように紅いスカートの輝きが美しい。光をあびて紅が金に変化する。そのとき生まれる色彩の運動がとてもいい。
娘に言い寄る男と、酔いがまわってみだら(?)になりつつある娘の顔の対比がおもしろい。この作品の壁にも絵が描かれている。ステンドグラスにも絵が描かれている。そうした絵が、娘と男のドラマを暗示しているようである。
「小径」は小ぶりの作品だが、とても気に入った。アムステルダムで見たときは、あまり気にとめなかった。(レンブラントを見るのが目的だったからかもしれない。)この展覧会でも最初は見過ごしていた。誰もいない(まだ来ていない)会場で見ると、小さい絵であるはずなのに、なぜか急に大きくかわる。大きさが変わる。町並みが実物大(?)の感じで広がるのである。中庭にいる婦人、道路で遊ぶ子ども、入り口で家事をする婦人の姿が建物を引き立て、そこに暮らしを感じさせる。その瞬間、絵が大きく拡大するのである。この作品にはフェルメール特有の光の諧調はないけれど、なぜか、こころ誘われる。この「小径」を探してデルフトの街を歩いてみたいという感じがする。
「マルタとマリアの家のキリスト」。初期の作品である。このころは光の諧調がまだ3段階くらいである。(後期の作品を10段階の諧調とすれば。)手前の女の右足、その指の輪郭に違和感を覚えた。キリストの手、手前の女の手を見ながら、あ、セザンヌならもっと長く描くだろうなあ、という奇妙な感想を持った。こんな感想がふいに浮かんでくるのは、この初期の作品は私の好きなフェルメールの感じとはかなり違うからだろう。
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私は 8月20日、21日に見た。20日は午前09時05分ごろ入場したのだが人が多くてゆっくりと見ることができなかった。絵の位置だけ確認して21日に出直す。(20日は午前10時30分ごろ、会場受け付け前で40分待ち、上野駅についた11時ごろは1時間待ちという状態だった。)21日は午前08時30分ごろから列を作って待った。(30人程度、私より前に列を作っている人がいた。)めざす絵「手紙を書く婦人と召使」の前まで一目散で行ったので、この作品は10分ほど、ほぼ独り占めできた。真っ正面で見ることができた。混雑しそうなので、できれば開門前に列をつくり、めざす絵へ直進し、それから入り口にもどり順路をたどり直した方がじっくり鑑賞できそうである。
会期は12月14日まで。