藤倉孚子『静かなざわめき』(花神社、2008年08月10日発行)
タイトルの『静かなざわめき』には矛盾がある。「ざわめき」とは「音」である。その「音」が「静か」であるというのは、矛盾である。「音」のない状態が「静か」である。しかし、この矛盾は、矛盾という方がおかしいかもしれない。私たちは「静かなざわめき」というものがあることを知っている。実際に、「静かなざわめき」ということばは、日常的につかう。日常的につかうけれども、真剣に考えると、何か奇妙である。
この奇妙さ、矛盾のなかには、まだ定義できていない何か、不確かなものがある。
藤倉は、そういう不確かなものを、「疑問」の形でそっと提出する。「疑問」の抱くことで、追いつめていく。
「静かなざわめき」の前半。
「存在したものは影にすぎないのか」の「か」。ここに藤倉の詩がある。「か」と問うことで、その疑問の持っているものを強く刻印する。不確かなものを刻印するために、藤倉は「わざと」疑問をあらわす「か」を記すのである。「か」という疑問を提出することで、読者を、その不確かな「場」へ引きずり込み、不確かさを読者と共有する。その瞬間に詩が動く。
「か」がなければ、それに先だつ行はすべて藤倉の「独断」になってしまう。もちろん「独断」だけがもつ孤高の美しさに満ちた詩もあるが、藤倉は「独断」を「か」によってやわらげ、不確かさのなかへ詩を誘い込む。
「か」は、そして藤倉の「思想」なのである。
藤倉のことばが動いて行くとき、何度でも頼りになる確かなものは「か」だけなのかもしれない。(プラトン、あるいはソクラテスが「懐疑」だけが確かに存在するゆいいつのものであると考えたように、藤倉は「か」だけを確かなものと感じているのかもしれない。)
こうした「か」は詩集のなかに何度も出てくる。
「か」をつかわずに、それでも「疑問」、不確かなものへと誘い込むことばの動きもある。
「みえるものやら/みえないものやら」という2行。繰り返しのなかにある反対のことば。
そして、この2行に隠された反対のもの、矛盾、そして断定できない不確かさの方が、もしかするともっと藤倉の本質かもしれない。「思想」そのものかもしれない。「不確かさ」に踏み込んで行く力が藤倉の「思想」そのものかもしれない。
「不確かさ」によって結びつくもの、反対のもの--それはもしかすると「ひとつ」ではないのか。それが藤倉の考えている根本のことである。「西へ行くひと」の後半。
「ひとつ」とは「おなじ」ということである。本来、「名古屋でおりたひと」は「浜松でおりたひと」であるはずがない。「おなじ」ひと、つまり「ひとり(ひとつ)」のひとではありえないというのが日常・現実である。しかし、それは「おなじひと」である可能性がある。「おなじひと」にしてしまう「場」がどこかにある。
複数のものが「おなじ」である。複数のものが「ひとつ」。この矛盾を解決する視点がひとつある。藤倉は、それを書くと野暮になることを知っているのだろう。そのことばを避けている。そのことばとは「永遠」である。あるいは「真理」(真実)である。どこかに「永遠」「真実」があり、その「場」ではあらゆる存在が「おなじ」であり、「ひとつ」である。
浜松でひかりをおりるひと。名古屋でおりるひと。米原、京都でおりるひと。それぞれは別人である。しかし、その別人をつなぐもの、「ひとつ」にするもの、「おなじ」にすのものがどこかにある。悲しみとか、絶望とか、よろこびとか、何かはわからないけれど、そういうものがある。人間をつらぬくものがある。
そういう人間全部をつらぬく「永遠」を藤倉はどこかで感じている。そういう「場」がどこかにあると感じている。
その「場」を、藤倉は「か」の力を借りて探している。「不確か」なものをえがくことで、探している。何度も何度も「おなじ」ことをくりかえし、つまり「か」の力を借りて、くりかえし探している。
藤倉には申し訳ないが、私はこれまで藤倉の作品を読んだことがあるのかないのか、記憶にない。単独で1篇ずつ読んでいたら、たぶん、藤倉の作品は印象に残らない。「か」が抱え込む「思想」にも気がつかない。(少なくとも、私は気がつかない。)
詩集のなかで何度もくりかえし登場することで、そこから「か」の「思想」がみえてくる。
詩は、詩集になることによって、力を発揮することがある。そういうことを思った。
タイトルの『静かなざわめき』には矛盾がある。「ざわめき」とは「音」である。その「音」が「静か」であるというのは、矛盾である。「音」のない状態が「静か」である。しかし、この矛盾は、矛盾という方がおかしいかもしれない。私たちは「静かなざわめき」というものがあることを知っている。実際に、「静かなざわめき」ということばは、日常的につかう。日常的につかうけれども、真剣に考えると、何か奇妙である。
この奇妙さ、矛盾のなかには、まだ定義できていない何か、不確かなものがある。
藤倉は、そういう不確かなものを、「疑問」の形でそっと提出する。「疑問」の抱くことで、追いつめていく。
「静かなざわめき」の前半。
ガラスケースのなか
幾億年の岩に
生きのもの痕跡がひとすじ
闇からあらわれ 光にさらされ
永遠が一瞬になる瞬間
海鳴り 山鳴りは
宇宙のはてに消え行き
みえないものの沈黙が
ふかい痕跡にしずめられ
ざわめきをひきおこす
存在したものは影にすぎないのか
「存在したものは影にすぎないのか」の「か」。ここに藤倉の詩がある。「か」と問うことで、その疑問の持っているものを強く刻印する。不確かなものを刻印するために、藤倉は「わざと」疑問をあらわす「か」を記すのである。「か」という疑問を提出することで、読者を、その不確かな「場」へ引きずり込み、不確かさを読者と共有する。その瞬間に詩が動く。
「か」がなければ、それに先だつ行はすべて藤倉の「独断」になってしまう。もちろん「独断」だけがもつ孤高の美しさに満ちた詩もあるが、藤倉は「独断」を「か」によってやわらげ、不確かさのなかへ詩を誘い込む。
「か」は、そして藤倉の「思想」なのである。
藤倉のことばが動いて行くとき、何度でも頼りになる確かなものは「か」だけなのかもしれない。(プラトン、あるいはソクラテスが「懐疑」だけが確かに存在するゆいいつのものであると考えたように、藤倉は「か」だけを確かなものと感じているのかもしれない。)
こうした「か」は詩集のなかに何度も出てくる。
ホームのはずれに一本の柳の木
しろっぽい光に照らされて
二本になる
もとの木はどれなのか
いずれどちらも消えるだろう
(「カジカの声と柳の木」)
真っ青な井戸の底を
雲がゆっくりと流れて行く
かたちを変え消えてしまうものもある
空は知っているのだろうか
消えたことを
雲が覚えているかどうか
(「谺」)
夜道を歩いている
道はぬれているのか
(「声」)
「か」をつかわずに、それでも「疑問」、不確かなものへと誘い込むことばの動きもある。
ひかりは朝からすいている
乗客には連れがいる
みえるものやら
みえないものやら
(「西へ行くひと」)
「みえるものやら/みえないものやら」という2行。繰り返しのなかにある反対のことば。
そして、この2行に隠された反対のもの、矛盾、そして断定できない不確かさの方が、もしかするともっと藤倉の本質かもしれない。「思想」そのものかもしれない。「不確かさ」に踏み込んで行く力が藤倉の「思想」そのものかもしれない。
「不確かさ」によって結びつくもの、反対のもの--それはもしかすると「ひとつ」ではないのか。それが藤倉の考えている根本のことである。「西へ行くひと」の後半。
名古屋でおりたひとは浜松でおりたひと
今度はひとりで
ひとごみのなかへ消えて行く
吹雪の関ヶ原
晴れて米原 京都
またおなじひとがおりて行く
「ひとつ」とは「おなじ」ということである。本来、「名古屋でおりたひと」は「浜松でおりたひと」であるはずがない。「おなじ」ひと、つまり「ひとり(ひとつ)」のひとではありえないというのが日常・現実である。しかし、それは「おなじひと」である可能性がある。「おなじひと」にしてしまう「場」がどこかにある。
複数のものが「おなじ」である。複数のものが「ひとつ」。この矛盾を解決する視点がひとつある。藤倉は、それを書くと野暮になることを知っているのだろう。そのことばを避けている。そのことばとは「永遠」である。あるいは「真理」(真実)である。どこかに「永遠」「真実」があり、その「場」ではあらゆる存在が「おなじ」であり、「ひとつ」である。
浜松でひかりをおりるひと。名古屋でおりるひと。米原、京都でおりるひと。それぞれは別人である。しかし、その別人をつなぐもの、「ひとつ」にするもの、「おなじ」にすのものがどこかにある。悲しみとか、絶望とか、よろこびとか、何かはわからないけれど、そういうものがある。人間をつらぬくものがある。
そういう人間全部をつらぬく「永遠」を藤倉はどこかで感じている。そういう「場」がどこかにあると感じている。
その「場」を、藤倉は「か」の力を借りて探している。「不確か」なものをえがくことで、探している。何度も何度も「おなじ」ことをくりかえし、つまり「か」の力を借りて、くりかえし探している。
藤倉には申し訳ないが、私はこれまで藤倉の作品を読んだことがあるのかないのか、記憶にない。単独で1篇ずつ読んでいたら、たぶん、藤倉の作品は印象に残らない。「か」が抱え込む「思想」にも気がつかない。(少なくとも、私は気がつかない。)
詩集のなかで何度もくりかえし登場することで、そこから「か」の「思想」がみえてくる。
詩は、詩集になることによって、力を発揮することがある。そういうことを思った。
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