詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

江里昭彦「父の死」「清水邦夫を読みさして眺める春」

2008-08-22 23:16:26 | その他(音楽、小説etc)
 江里昭彦「父の死」「清水邦夫を読みさして眺める春」(「左庭」11、2008年07月30日発行)

 今年の春、三月二八日に父が急死した。いまから記すことは、この緊急事態に私と母がいかにうろたえ、どう対処したかの記録めいた走り書きである。

 という、書き出しで江口は「父の死」を記録している。「父の死」と言っても、その冒頭に書いてあるように「父の死」というよりも、「私と母」の「対処」の記録である。書かれているのは、もっぱら「私と母」である。「父」が動くのは、

隣室でドサッと大きな音がした。人が倒れた音というより、かぐがひっくり返ったような無機質な響きである。地震でもないのに倒れるような家具は父の部屋にはないから、異様な音は父が発したにちがいない。

 これだけである。あとは、動かない。語らない。どんな感情の変化も見せない。死んだのだからあたりまえだが、そのあたりまえのことが、「私と母」をあわてさせるのである。「私と母」を「私と母」ではなくさせる。
 その変化の頂点。

 母と私は控え室で待たされた。約束を思い出して、弟に電話する。搬送中において脈拍も呼吸も停止していたことを告げ、「最悪の事態を覚悟してほしい」と言い添えた。それ以外、母と私にはすることがない。だが、心のなかでは認識と感情がもつれた足どりで走っている。どんどん進行する事態に、不意打ちをくらった認識はついてゆくのが精一杯だ。感情のほうは認識のはるか後方をもたもた走っている。事態と感情の双方に架橋しなければならない認識には、痺れののようなこわばりが生じている。気は動転しているのに、現実感が希薄なのだ。

 ここに書かれていることには、何ひとつ嘘はないと思う。誇張もないと思う。だが、同時に、「正確」というものもないような気がするのである。江里は、「正確」に、「冷静」に、自分のなかで起きたこと、自分がしたことを書こうとしているが、そこには、しかし「正確」はないと、私は感じてしまう。
 ここにあるのは、虚無である。
 ここにあるのは、書く、という意識だけである。書く、という意識だけが、ことばを探している。
 認識も、感情も、何もない。「ついてゆくのが精一杯」と書かれているが、そこには人間を「ついてゆくのが精一杯」にさせるものがあるだけで、それは認識も、感情も拒絶している。認識も、感情も、何にも触れない。何をも抱きしめない。「現実感が希薄」というのは、「私」と「現実」の乖離し、その間に「虚無」が存在しているからである。
 それが「虚無」であるかぎり、どんなことを書こうと、それは嘘にも誇張にも真実にさえもならない。ただ、虚無だけが、そこにある。

 それでも書く。なぜ、書くのか。

 ことばに追いついてきてほしいからである。ことばが「私」に追いつくまで、ただひたすら、虚無に飲み込まれることばを書きつづける。捨てつづける。そうすることよりほかに、江里にはすることがない。
 これは、江里の特徴でもあると思う。
 江里は俳句のひとである。俳句を書いている。その俳句は、どちらかというと、前衛である。江里にとって「前衛」とは、認識・感情をことばにするということではなく、ことばによって認識・感情をつくりだしてゆくということである。認識や感情があって、そこから「ことば(俳句)」が自然発生するのではない。ことばが先にあって、ことばを動かすことで「俳句」をつくり、その「俳句」のなかで認識・感情を育てるのである。虚無を乗り越えて認識・感情を育てるのである。

 江里は、「父の死」という文章も、いわば認識・感情を育てるために書いているのである。虚無しかない「現実」を乗り越えて、認識・感情が育ってくる、やがて認識・感情が現実を乗り越えて、現実を作り替えてしまう--そういうことを欲望して、ことばを書いているのである。
 そういう欲望がくっきりと浮き上がってくる文章である。



 江里は同じ号で、俳句を発表している。「清水邦夫を読みさして眺める春」。このタイトルは象徴的である。江里は清水邦夫のことばをとおることで認識・感情を育てている。そして、そこで育った認識・感情で「現実」をつくりかえようとしている。現実がことばを引き出すのではない。現実と江里の肉体が呼応して、そこからことばが発生するのではない。ことばがまず最初にあって、それが現実と江里の肉体をつくりかえていくのである。世界をつくりかえていくのである。
 俳句は遠心・求心の統一のなかにあるが、江里の場合、その統一の場は「虚無」である。「虚無」をくぐりぬけることで、華麗になるのである。ことばが「虚無」をとおり、通り抜けることで「現実」をつくりかえるのである。

荷くずれが港にあって観覧車

巨きすぎて正視できぬぞ海の虹





ロマンチック・ラブ・イデオロギー―江里昭彦句集
江里 昭彦
弘栄堂書店

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ボストン美術館収蔵「浮世絵名品展」

2008-08-22 13:35:30 | その他(音楽、小説etc)
ボストン美術館収蔵「浮世絵名品展」(福岡市美術館)

 「浮世絵初期の大家たち」「春信様式の時代」「錦絵の黄金時代」「幕末のビッグネームたち」の4コーナーにわけて作品が展示されている。墨一色から始まり、美人画、肖像画、風景と変遷していく浮世絵の歴史がくっきりと浮かび上がる。時間の流れの中においてみると東洲斎写楽の異様さ(特異性)がとりわけ際立つ。
 多くの美人画は江戸時代のひとにはどんなふうに見えたのかわからないが、私には同じ顔にしか見えない。彼女たちを区別するのは着物(衣装)、髪飾りにすぎない。美人であるかどうかはより豪華な着物を着ているか、帯をしているか、髪は華麗に結われているかの違いにしか見えない。浮世絵には「春画」というジャンルがある(残念ながら展覧会では展示されていない)から、美人画が「プレイボーイ」の写真のように庶民のあいだで利用されたとは考えにくい。美人画は美人の紹介というよりも美人のファッション画として利用されたのかも知れない。ファッション画というのは実際に着物を着るひとの目安になると同時に、色の組み合わせ、着こなし(着くずしのスタイル)というような美意識の表現であったかもしれない。美人を描くというよりも、作家の美意識の表現、そして表現技術を競う場であったかもしれない。蚊帳のこまかな網目、薄墨で表現される雨の動き。その繊細な視線を競うかのように次々に浮世絵が生まれていったような印象を受ける。
 ところが写楽だけが違う。写楽にも繊細な表現の意識はあっただろうが、それは一番目の意識ではない。写楽はまず「顔」を描いた。のっぺりした非個性的な顔ではなく、誇張された顔を書いた。表情のなかに人生を描いた。それはファッションとは無縁である。人は顔を通してこれだけ表現できる、ということをあらわした。ひとそれぞれの個性を発見し、個性を確立したのが写楽かもしれない。
 「金貸石部金吉」。その目。眼光。それは顔を逸脱している。逸脱するものこそ個性であり、芸術なのだ。そうしたことをとても印象づけられる。色もおもしろい。特にバックの灰色が美しい。図版などで見ていたときはぼんやりしていて灰色に気がつかなかったが、その灰色は特異である。背後を完全に沈めてしまう。人間だけが、顔だけが、あらゆるものを凌駕してそこに出現してきたような印象である。誇張された表情と同時に、その灰色に写楽の「思想」を見たように思った。

 北斎の風景画は、構図の発見である。どの絵も独特の遠近感と躍動感に満ちている。風景というものは本来動かない。不動である。そういう世界に運動を引き込んだところが北斎のおもしろいところだと改めて思った。

*

 展示されている作品全体から感じたのは黒の美しさだ。非常に強い。墨の美しさがあって初めて線で描くという日本の絵の独特な技術が発達したのかもしれない。
 西洋の絵は面である。日本の絵は線である。その違いは、アニメにまで尾を引いている。そんなことも考えた。
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