江里昭彦「父の死」「清水邦夫を読みさして眺める春」(「左庭」11、2008年07月30日発行)
という、書き出しで江口は「父の死」を記録している。「父の死」と言っても、その冒頭に書いてあるように「父の死」というよりも、「私と母」の「対処」の記録である。書かれているのは、もっぱら「私と母」である。「父」が動くのは、
これだけである。あとは、動かない。語らない。どんな感情の変化も見せない。死んだのだからあたりまえだが、そのあたりまえのことが、「私と母」をあわてさせるのである。「私と母」を「私と母」ではなくさせる。
その変化の頂点。
ここに書かれていることには、何ひとつ嘘はないと思う。誇張もないと思う。だが、同時に、「正確」というものもないような気がするのである。江里は、「正確」に、「冷静」に、自分のなかで起きたこと、自分がしたことを書こうとしているが、そこには、しかし「正確」はないと、私は感じてしまう。
ここにあるのは、虚無である。
ここにあるのは、書く、という意識だけである。書く、という意識だけが、ことばを探している。
認識も、感情も、何もない。「ついてゆくのが精一杯」と書かれているが、そこには人間を「ついてゆくのが精一杯」にさせるものがあるだけで、それは認識も、感情も拒絶している。認識も、感情も、何にも触れない。何をも抱きしめない。「現実感が希薄」というのは、「私」と「現実」の乖離し、その間に「虚無」が存在しているからである。
それが「虚無」であるかぎり、どんなことを書こうと、それは嘘にも誇張にも真実にさえもならない。ただ、虚無だけが、そこにある。
それでも書く。なぜ、書くのか。
ことばに追いついてきてほしいからである。ことばが「私」に追いつくまで、ただひたすら、虚無に飲み込まれることばを書きつづける。捨てつづける。そうすることよりほかに、江里にはすることがない。
これは、江里の特徴でもあると思う。
江里は俳句のひとである。俳句を書いている。その俳句は、どちらかというと、前衛である。江里にとって「前衛」とは、認識・感情をことばにするということではなく、ことばによって認識・感情をつくりだしてゆくということである。認識や感情があって、そこから「ことば(俳句)」が自然発生するのではない。ことばが先にあって、ことばを動かすことで「俳句」をつくり、その「俳句」のなかで認識・感情を育てるのである。虚無を乗り越えて認識・感情を育てるのである。
江里は、「父の死」という文章も、いわば認識・感情を育てるために書いているのである。虚無しかない「現実」を乗り越えて、認識・感情が育ってくる、やがて認識・感情が現実を乗り越えて、現実を作り替えてしまう--そういうことを欲望して、ことばを書いているのである。
そういう欲望がくっきりと浮き上がってくる文章である。
*
江里は同じ号で、俳句を発表している。「清水邦夫を読みさして眺める春」。このタイトルは象徴的である。江里は清水邦夫のことばをとおることで認識・感情を育てている。そして、そこで育った認識・感情で「現実」をつくりかえようとしている。現実がことばを引き出すのではない。現実と江里の肉体が呼応して、そこからことばが発生するのではない。ことばがまず最初にあって、それが現実と江里の肉体をつくりかえていくのである。世界をつくりかえていくのである。
俳句は遠心・求心の統一のなかにあるが、江里の場合、その統一の場は「虚無」である。「虚無」をくぐりぬけることで、華麗になるのである。ことばが「虚無」をとおり、通り抜けることで「現実」をつくりかえるのである。
今年の春、三月二八日に父が急死した。いまから記すことは、この緊急事態に私と母がいかにうろたえ、どう対処したかの記録めいた走り書きである。
という、書き出しで江口は「父の死」を記録している。「父の死」と言っても、その冒頭に書いてあるように「父の死」というよりも、「私と母」の「対処」の記録である。書かれているのは、もっぱら「私と母」である。「父」が動くのは、
隣室でドサッと大きな音がした。人が倒れた音というより、かぐがひっくり返ったような無機質な響きである。地震でもないのに倒れるような家具は父の部屋にはないから、異様な音は父が発したにちがいない。
これだけである。あとは、動かない。語らない。どんな感情の変化も見せない。死んだのだからあたりまえだが、そのあたりまえのことが、「私と母」をあわてさせるのである。「私と母」を「私と母」ではなくさせる。
その変化の頂点。
母と私は控え室で待たされた。約束を思い出して、弟に電話する。搬送中において脈拍も呼吸も停止していたことを告げ、「最悪の事態を覚悟してほしい」と言い添えた。それ以外、母と私にはすることがない。だが、心のなかでは認識と感情がもつれた足どりで走っている。どんどん進行する事態に、不意打ちをくらった認識はついてゆくのが精一杯だ。感情のほうは認識のはるか後方をもたもた走っている。事態と感情の双方に架橋しなければならない認識には、痺れののようなこわばりが生じている。気は動転しているのに、現実感が希薄なのだ。
ここに書かれていることには、何ひとつ嘘はないと思う。誇張もないと思う。だが、同時に、「正確」というものもないような気がするのである。江里は、「正確」に、「冷静」に、自分のなかで起きたこと、自分がしたことを書こうとしているが、そこには、しかし「正確」はないと、私は感じてしまう。
ここにあるのは、虚無である。
ここにあるのは、書く、という意識だけである。書く、という意識だけが、ことばを探している。
認識も、感情も、何もない。「ついてゆくのが精一杯」と書かれているが、そこには人間を「ついてゆくのが精一杯」にさせるものがあるだけで、それは認識も、感情も拒絶している。認識も、感情も、何にも触れない。何をも抱きしめない。「現実感が希薄」というのは、「私」と「現実」の乖離し、その間に「虚無」が存在しているからである。
それが「虚無」であるかぎり、どんなことを書こうと、それは嘘にも誇張にも真実にさえもならない。ただ、虚無だけが、そこにある。
それでも書く。なぜ、書くのか。
ことばに追いついてきてほしいからである。ことばが「私」に追いつくまで、ただひたすら、虚無に飲み込まれることばを書きつづける。捨てつづける。そうすることよりほかに、江里にはすることがない。
これは、江里の特徴でもあると思う。
江里は俳句のひとである。俳句を書いている。その俳句は、どちらかというと、前衛である。江里にとって「前衛」とは、認識・感情をことばにするということではなく、ことばによって認識・感情をつくりだしてゆくということである。認識や感情があって、そこから「ことば(俳句)」が自然発生するのではない。ことばが先にあって、ことばを動かすことで「俳句」をつくり、その「俳句」のなかで認識・感情を育てるのである。虚無を乗り越えて認識・感情を育てるのである。
江里は、「父の死」という文章も、いわば認識・感情を育てるために書いているのである。虚無しかない「現実」を乗り越えて、認識・感情が育ってくる、やがて認識・感情が現実を乗り越えて、現実を作り替えてしまう--そういうことを欲望して、ことばを書いているのである。
そういう欲望がくっきりと浮き上がってくる文章である。
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江里は同じ号で、俳句を発表している。「清水邦夫を読みさして眺める春」。このタイトルは象徴的である。江里は清水邦夫のことばをとおることで認識・感情を育てている。そして、そこで育った認識・感情で「現実」をつくりかえようとしている。現実がことばを引き出すのではない。現実と江里の肉体が呼応して、そこからことばが発生するのではない。ことばがまず最初にあって、それが現実と江里の肉体をつくりかえていくのである。世界をつくりかえていくのである。
俳句は遠心・求心の統一のなかにあるが、江里の場合、その統一の場は「虚無」である。「虚無」をくぐりぬけることで、華麗になるのである。ことばが「虚無」をとおり、通り抜けることで「現実」をつくりかえるのである。
荷くずれが港にあって観覧車
巨きすぎて正視できぬぞ海の虹
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