詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

砂川公子「秘色の館」

2008-08-31 01:30:31 | 詩(雑誌・同人誌)
 砂川公子「秘色の館」(「笛」245 、2008年09月01日発行)

 母の残した裁縫箱のことから砂川は書きはじめている。

ひとさし指にひっかけ親指の腹で引く 糸切り歯では切れない糸を 裁縫箱から握り鋏でちょんと切り 結び玉 ちょっんと切り結び玉 ときおり頭紙に針の滑りを通しながら 薄い座布団に時を縫い続けた母がいる

 「母がいる」と書いてはいるが、実は母はいないのであろう。母は亡くなっている。そして裁縫箱が遺品として残されている。それを見ながら、砂川は不在の母が明るみに出すものをみつめる。
 生前は母が隠していた。その母が不在になったとき、母の不在を埋めるように、影に隠れていたもの、見えなかったものが、目の前にあらわれてくる。

母譲りの紫檀の裁縫箱には細かな引き出しがいろいろあって 引き出しの奥にもう一つの隠し箱や 敷板の下にもう一枚の底板があったりする 二十違いの父との恋や 他家へ渡した赤子のことや 紐のような糸もたぐりながら引きながら ひとさし指にひっかけ親指の腹で引く

 人は、だれでも隠しているのである。「秘色」を持っているのである。それは、その人がいなくなったとき、ふいに暴れ出すのである。
 ちょうど、建物が壊されると、その建物が隠していたものがあらわれるように。

隣のアパートが突然とり壊されたので 生態系がゆらぐ 蟇はとりあえず裏づたいの背戸で声をあげ 床下を出入りしていた猫たちも 半世紀を舞台にした物語の物の怪も姿をけした 泰山木の巨樹を失った蜩は 電柱の中空で夜どおし鳴き続ける 一瞬の騒動に少しふくらんで 裁縫箱のような秘色の館も 突如浮かびあがる

 いま、現実に起きていることと、その起きていること--隠しているものが不思議な形で居場所をもとめて動いている状況を見る。そのとき、ふいに、いままで見えなかったものが砂川に見えてくる。見えなかった母の姿が、母そのものとしてではなく、裁縫箱から見えてくる。
 そういう関係を、砂川は、正直に追っている。その正直さが、とてもいい。

蜘蛛の溺死 (略) あやうく逃れた一匹が 一睡の夢に糸をかける 夢は母の裁縫箱に小さく眠る 目覚めたとき たぐりながら引きながら ひとさし指にひっかけ 親指の腹で引こう いやここは結ばず やさしく折り返して 捨て針というふうに

 「捨て針」。なんと美しいことばだろう。
 砂川は母を、母が隠していたものをあばこうとはしない。ただ隠していたものがあるということがわかったというだけで終わる。そのわかったことを「結ばない」(結ばず、に)。そのままにしておく。

 それは確かに「秘色」をいちばん美しく見せる方法かもしれない。遊びを残しておいて、それはその遊びのままにまかせる。
 いいなあ。


生まれない街―Deserted city
砂川 公子
能登印刷出版部

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コメント
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