平田俊子「私は悲しい」(「現代詩手帖」2008年08月号)
四川大地震に寄せられた詩。「私は悲しい」の書き出し。
この書き出しだけでは、四川大地震に寄せられた詩かどうかわからない。戦争で死んだ子どものために書いた詩である、といってもとおるかもしれない。つまり、一編として自立していない。最終連に「学校」が出てくるので、地震で倒壊した学校、その下敷きになった子どもたちを悼んだ詩であることがわかるけれども、それでも一編の詩としては何か弱い。四川大地震そのものを感じさせない。
しかし、それが、とても効果的である。それが、とてもいい。
多くの人が(詩人が)、四川大地震に寄せて作品を書く。そのことが最初からわかっているので、四川大地震と結びつくことばを最小限におさえている。その抑制が、そのままことばの静かさとなって響く。
人生訓めいている。とても簡単で、誰かほかの人も言いそうな感じがする。どこかで聴いた感じがしないでもない。でも、そこが、とてもいい。ほんとうに、いい。
人は傷ついているとき、知っていることばしか理解できない。人は知っていることを確認するだけで手いっぱいである。そういうときは、平凡なことばがいい。平凡なことばが胸に迫ってくる。人は傷ついているとき、考えたくはない。ただ、誰かにそばにいてもらいたい。そばにいて、自分の辛さを受け止めてもらいたい。そういうときに、聞きたいことば。それが、平田の詩にはある。
3連目に出てくることばである。このことばも、平田の署名がなければ平田のことばだと誰も気がつかないだろう。だが、それでいいのだ。傷ついているひとを受け止めるき、その悲しみを、絶望を受け止めるとき、受け止める側に「固有名詞」はいらない。というより、「無名」であることが必要である。「主役」は傷ついているひとであって、そばにいるひとではない。
平田の、自己主張を極力おさえた、控えめなことばに胸が熱くなる。「詩人」としてではなく、たまたま四川大地震と向き合った「無名」のひととしての祈りがある。
岩崎風子「阪神淡路大震災の体験者として」のなかに響いていたことばも、「無名」のひとりとしての実感だった。「無名」であることの、美しさが、そこにあった。
四川大地震に寄せられた詩。「私は悲しい」の書き出し。
子どもの命を奪ってはならない
どの国 どの町
どの家の子どもも
生きて
大人にならなければならない
この書き出しだけでは、四川大地震に寄せられた詩かどうかわからない。戦争で死んだ子どものために書いた詩である、といってもとおるかもしれない。つまり、一編として自立していない。最終連に「学校」が出てくるので、地震で倒壊した学校、その下敷きになった子どもたちを悼んだ詩であることがわかるけれども、それでも一編の詩としては何か弱い。四川大地震そのものを感じさせない。
しかし、それが、とても効果的である。それが、とてもいい。
多くの人が(詩人が)、四川大地震に寄せて作品を書く。そのことが最初からわかっているので、四川大地震と結びつくことばを最小限におさえている。その抑制が、そのままことばの静かさとなって響く。
生きていても
いいことばかりあるわけではない
人に欺(あざむ)かれ
運に見放され
死んでしまいたくなるときもある
それでもたまにはいいこともあり
ああ、生きていてよかったと
そんなときは思う
生きる苦しみを知らないうちに
死んではいけない
生きる喜びを知らないうちに
死んではいけない
子どもは
生きて
大人にならなければならない
人生訓めいている。とても簡単で、誰かほかの人も言いそうな感じがする。どこかで聴いた感じがしないでもない。でも、そこが、とてもいい。ほんとうに、いい。
人は傷ついているとき、知っていることばしか理解できない。人は知っていることを確認するだけで手いっぱいである。そういうときは、平凡なことばがいい。平凡なことばが胸に迫ってくる。人は傷ついているとき、考えたくはない。ただ、誰かにそばにいてもらいたい。そばにいて、自分の辛さを受け止めてもらいたい。そういうときに、聞きたいことば。それが、平田の詩にはある。
子どもは ひかり
子どもは 希望
子どもは 慰め
子どもは 宝
3連目に出てくることばである。このことばも、平田の署名がなければ平田のことばだと誰も気がつかないだろう。だが、それでいいのだ。傷ついているひとを受け止めるき、その悲しみを、絶望を受け止めるとき、受け止める側に「固有名詞」はいらない。というより、「無名」であることが必要である。「主役」は傷ついているひとであって、そばにいるひとではない。
平田の、自己主張を極力おさえた、控えめなことばに胸が熱くなる。「詩人」としてではなく、たまたま四川大地震と向き合った「無名」のひととしての祈りがある。
岩崎風子「阪神淡路大震災の体験者として」のなかに響いていたことばも、「無名」のひとりとしての実感だった。「無名」であることの、美しさが、そこにあった。
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