山本純子「すいか」「川向こうから」(「息のダンス」8、2008年09月01日発行)
山本純子の詩の魅力を語るのは、私には、ちょっとむずかしい。いや、とてもむずかしい。「すいか」という作品の全行。
書き出しの「あれっ」「だっけ」「にこっ」「にこっ」の促音の繰り返しが不思議に楽しい。「あれっ」と「だっけ」の「っ」は完全に同じ音だと思う。次の「にこっ」も明るくて、ふたつの「っ」に似ている。ところが、その次の「にこっ」の「っ」は私には同じ音に聞こえない。少し暗い。何かをひきずるような感じ。手放しではじける「っ」ではなく、ほかの「っ」にあわせて「っ」になってみた、という感じの「っ」である。はじけるのを半分やめている。
そのはじけるのを半分やめて、どちらかというと「にこ」に近くなっていることばをひきずって、2連目では「にこにこ」になる。明るいのだけれど、はじけるわけではない。気がかりがひそんでいるのを、(名前を思い出せない--という気がかりと、ぴったり重なる)、むりやり明るくしているような、不思議な感じ。
この音の変化がとても楽しいのだ。
さらに、その音の変化、少し重くなった音を「にこにこしながら」の「ながら」がもう一度明るくしようとする。その変化も楽しい。明るくしようとするが、どうにもうまくいかない、という感じの、中途半端な感じがとてもいい。「ながら」のあと1行あいて、連が変わる呼吸も楽しい。
「どうも」と「言わないで」の「で」の重たい感じが、冒頭の「あれっ」の「っ」から離れてしまっている感じがいい。音の変化と意識の変化がきちんと響きあっている、と思う。
そのあとの「ビー玉」の突然の出現が愉快だし、その愉快さをくぐりぬけて、「ころっ」の「っ」が「あれっ」の「っ」にほとんどもどる。そういう音の変化が、まるで「声」として聞こえてくる。
そういう音楽のあとで、
と音を表記せずに、読者に「音」を想像させるところもとてもいい。
*
「川向こうから」は川の両岸、川の広さが、鳶の動きにあわせて、ゆったりと広さを広げていく、広げながら具体的にしていくリズムが楽しい。春のひかりと、空の輝きが見えるような詩である。
山本純子は声が(耳が)いいだけではなく、視力もとてもいいのだと思う。自在に空間の広さを変化させることができる視力を持っているのだと思う。
山本純子の詩の魅力を語るのは、私には、ちょっとむずかしい。いや、とてもむずかしい。「すいか」という作品の全行。
あれっ
この人の名前
何だっけ
と
にこっとしてくる人に
にこっとしながら
すいか売り場の前で
立ち話をすると
思い出すことは
いろいろあるのに
名前だけがどうしても
と
にこにこしている人に
にこにこしながら
相手の人も
どうも
わたしの名前を言わないので
夏になると
薄着になるから
みんな
人の名前も
ビー玉も
ころっと
落としてしまうのかなあ
と
そのあたりの
すいかを一つ二つ
たたいてみる
書き出しの「あれっ」「だっけ」「にこっ」「にこっ」の促音の繰り返しが不思議に楽しい。「あれっ」と「だっけ」の「っ」は完全に同じ音だと思う。次の「にこっ」も明るくて、ふたつの「っ」に似ている。ところが、その次の「にこっ」の「っ」は私には同じ音に聞こえない。少し暗い。何かをひきずるような感じ。手放しではじける「っ」ではなく、ほかの「っ」にあわせて「っ」になってみた、という感じの「っ」である。はじけるのを半分やめている。
そのはじけるのを半分やめて、どちらかというと「にこ」に近くなっていることばをひきずって、2連目では「にこにこ」になる。明るいのだけれど、はじけるわけではない。気がかりがひそんでいるのを、(名前を思い出せない--という気がかりと、ぴったり重なる)、むりやり明るくしているような、不思議な感じ。
この音の変化がとても楽しいのだ。
さらに、その音の変化、少し重くなった音を「にこにこしながら」の「ながら」がもう一度明るくしようとする。その変化も楽しい。明るくしようとするが、どうにもうまくいかない、という感じの、中途半端な感じがとてもいい。「ながら」のあと1行あいて、連が変わる呼吸も楽しい。
「どうも」と「言わないで」の「で」の重たい感じが、冒頭の「あれっ」の「っ」から離れてしまっている感じがいい。音の変化と意識の変化がきちんと響きあっている、と思う。
そのあとの「ビー玉」の突然の出現が愉快だし、その愉快さをくぐりぬけて、「ころっ」の「っ」が「あれっ」の「っ」にほとんどもどる。そういう音の変化が、まるで「声」として聞こえてくる。
そういう音楽のあとで、
そのあたりの
すいかを一つ二つ
たたいてみる
と音を表記せずに、読者に「音」を想像させるところもとてもいい。
*
「川向こうから」は川の両岸、川の広さが、鳶の動きにあわせて、ゆったりと広さを広げていく、広げながら具体的にしていくリズムが楽しい。春のひかりと、空の輝きが見えるような詩である。
山本純子は声が(耳が)いいだけではなく、視力もとてもいいのだと思う。自在に空間の広さを変化させることができる視力を持っているのだと思う。
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