詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

鷹羽狩行「星祭」

2008-08-20 00:23:41 | その他(音楽、小説etc)
鷹羽狩行「星祭」(「文芸春秋」2008年09月号)

 俳句はまったくわからないが、日本語は美しい、と思う。日本語を話す国に生まれてよかったと思う。

竹割つて内の白さや今朝の秋

 「今朝の秋」ということばの美しさ。まだ夏だけれど、朝、ひんやりする。その変化を「今朝の」と限定して「秋」と呼んでみる。かすかな変化をことばに定着させる機微がこころにしみる。「内の白さや」の、「内」「白さ」と「今朝の秋」の出会いも、とても自然だ。
異質なものの突然の出会いのなかに「詩」は存在する。それは事実だし、その異質なものの出会いを「わざと」試みる「現代詩」が私は好きだけれど、鷹羽の俳句のことばのように、小さな異質の出会いで、視線をかすかなものに向けさせることばも好きだ。
「内の白さや」の「や」。この「切れ字」もとてもいいなあ、と思う。「内の白さ」と「今朝の秋」の繊細な出会い。繊細すぎて、ふたつは溶け合ってしまいそうだが、その溶け合ってしまうような繊細さを、ぱっと切り離す。独立させる。そうすることで、出会いを鮮明にする。
日本語はこんなにも美しい、と、ただただ感心する。

灯籠に灯を入れて部屋暗くなる

静かな明かりが逆に暗さを呼び覚ます。ここにも繊細な視覚、感覚の覚醒がある。ことばは感覚を覚醒させる。それは、感覚を頂点にまで引き上げるということである。三木清は国語はその国民の到達した思想の高みをあらわすといったが、その「思想」には当然感覚も含まれるだろう。鷹羽の句には、とぎすまされた感覚の美がある。
「暗くなる」の「なる」ということばが、この句をしっかり締めている。その断定のありようも、とても美しいと思う。「暗くなる」と「変化」を見出したとき、鷹羽も、「暗くなる」という変化を発見する人間に「なる」。ふたつの「なる」が重なって、世界が充実する。ここの、俳句の「思想」がある。自己と他が一体に「なる」。「なる」ことで世界が生まれ変わる。つまり、新しく「なる」。

原爆忌念珠の切れて珠(たま)こぼさず

祈りの強さが思わず手にこもり、念珠を切ってしまう。けれど、そのとき神経は手の先まで張り詰めているので、繊細の動きもしっかり感じてしまうあ。ちぎれたことを瞬時に肌で知り、珠をこぼすことなく受け止める。
祈りのときの、はりつめた精神が透明な感じで浮かび上がってくる。




十五峯―鷹羽狩行句集
鷹羽 狩行
ふらんす堂

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