詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岩崎風子「阪神淡路大震災の体験者として」、北川透「射影図、あるいは、はるかな二つの地震」

2008-08-02 10:21:20 | 詩(雑誌・同人誌)


現代詩手帖 2008年 08月号 [雑誌]

思潮社

このアイテムの詳細を見る



 岩崎風子「阪神淡路大震災の体験者として」、北川透「射影図、あるいは、はるかな二つの地震」(「現代詩手帖」2008年08月号)
 四川大地震に寄せられた文章、詩。そのなかで私が心を打たれたのは、岩崎風子の文章である。それは季村敏夫の詩に通じるものがある。「阪神淡路大震災の体験者として」という文章で、岩崎が、現在にいたった過程を短く書いている。

 どうやって今日まで立ちあがったのか、という事ですがとりわけ私は、アルバイトをしつつ、夜は今迄自分のやってきた仕事、書を教えることに専念しました。
 書とは、墨でことばを表わすということなのですが、毎日毎日ことばを表わしているうちに、わたしは、自分が人に話していたことばを、やっと思い出したのです。
 何かをとり戻すには、長い時間がかかります。けれど、生きられなかった人達とともにわたしがいきていくすべを、探してきたように思います。

 「毎日毎日ことばを表わしているうちに、わたしは、自分が人に話していたことばを、やっと思い出したのです。」岩崎がここで書いていることは、とても重要なことである。地震の被害に遭ったとき、こわれたのはビルや家だけではない。道路だけではない。ことばもこわれてしまったのである。
 そして、ことばがこわれてしまったとき、それをどうやって取り戻すか。岩崎は、書を書く。文字を書く。書きながら、教え、教えながら、ひとつひとつ書のなかに含まれていることばをなぞる。なぞりながら、確認する。すでに存在するものに頼りながら、ことばを取り戻すのである。それを、岩崎は「思い出」すのだと書いている。
 つくりだすのではなく、まず、「思い出す」。
 それは、単にことばを思い出すだけではなく、いっしょに生きてきたひとたちを正確に思い出すということである。そして、いっしょに生きてきたひとたちを思い出すということは、いっしょに生き残ることのできなかったひとたちのいのちを、いま、ここに、甦らせることなのである。
 他者を、いっしょに生きることのできなかったひとの、いのちの無念を、特別なことばではなく、いつもそのひとが話していたことばとして取り戻す。甦らせる。生きるというのは、たしかに、いままでと同じ暮らしをすることなのだ。同じことをすることなのだ。その同じことに戻るまでには、時間がかかる。時間がかかるけれど、その時間がかかることをただ淡々と繰り返す。
 岩崎の書いていることは、とても「地味」なことである。しかし、その「地味」なことのなかに、「思想」がある。「思想」とはもともと「地味」なものである。「地味」でなければ、多くの人に、ゆったりと受け入れられない。「地味」になるまでには、とても長い時間がかかるのである。(たとえば、男女は平等である、という「思想」が誰の眼にも当然と受け入れられるまでには、長い長い年月がかかった。--まだ完全に、すべてのひとの「思想」にはなっていないから、まだまだ長い年月がかかるだろうけれど。)
 岩崎が、この短い文章を書くまでにかかった時間を思い、そして、この文章に込めた祈りを思い、胸があつくなった。四川の人々に対し、どんなふうに生きていけばいいのかわかるまでには、とても時間がかかる。でも、その時間に、岩崎は寄り添う、というのである。寄り添いながら、自分自身の「いきていくすべ」をもう一度探すというのである。このやさしさに、あたたかさに、胸があつくなる。



 北川透「射影図、あるいは、はるかな二つの地震」は四川大地震と、63年前の三河地震を対比させながら書いている。
 ここにも、岩崎が書いているのと同じ、ことばを取り戻す作業が試みられている。そして、そこでは、ことばそのものが問われている。

記述。岩波ブックレット『年表 昭和史』をはじめ、すべての自国
 の歴史書から抹消されている、わが少年時の地震。その記憶。
記述。あり余るほどの情報量、衝撃的な映像に溢れているが、自由
 な取材も報道も許されていない体制での、悲惨な地震の実態。

 ことばにはいくつもの種類がある。
 その、いくつものことばのなかで北川が重視しているのは「自由」なことばである。誰かによって規制されたことばではなく、自由なことば。このときの自由は「いのちの自由」につながる。
 北川は四川の地震を伝える「情報言語」を「自由」なことばとは見ていない。溢れていても「自由」ではないものがある。「自由」でないからこそ、あふれさせているのかもしれない。

 岩崎がとりもどしたことば--書のことば。それは、すでに存在するものであり、いわば伝統のことばである。それは一見「自由」からは遠く感じられるかもしれない。岩崎自身がつくりだしたものではないからだ。しかし、そこには、不思議な形で岩崎の「自由」がはいりこんでいる。好き・嫌い。たぶん、そういうものがあらゆる書のなかにある。そういう選択を「自由」にくりかえしながら、岩崎はくらしのことばをひとつひとつつみかさね、人との交流をくりかえしたのだと思う。そこには、ことばはあふれてはない。むしろ、限定されているかもしれない。けれども、その少ないことばは誰かによって規制されたものではなく、それぞれが「自由」に選び取ったのである。(この選択の自由を錯覚という見方もあるかもしれないが、そのことについては、きょうは触れない。)

 北川は、岩崎の方法とは違うけれども、やはりことばを取り戻し、そのことばに「自由」をあたえる。三河地震を語るという自由を。その三河地震を語るという自由といっしょに、三河地震を生きたひとの、いのちが甦り、四川地震に向き合い、向き合うことでいっしょに生きる。四川地震と正確に向き合うために、北川は三河地震と向き合い、ことばを復活させるのである。
 この詩には、どんなことであっても、対象がなんであっても、絶対に自分自身のことばで語るのだ--という北川の強い決意があふれている。そういう強い決意、正直な気持ちがないと、たしかに、四川大地震には向き合えない。無数の死者には向き合えない。


ポーはどこまで変れるか―北川透詩集
北川 透
思潮社

このアイテムの詳細を見る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする