中本道代『花と死王』(思潮社、2008年07月31日発行)
「水の包み」という作品にひかれた。
「枯れると花びらは薄くなりそこに色素が沈着して」に中本の特徴がある。もっと具体的に書くと、「枯れると花びらは薄くなりそこに色素が沈着して」の行のなかの「そこに」に中本の特徴がある。「枯れると花びらは薄くな」るという事実を提示し、「そこ」という指示代名詞でつなぐ。「そこ」とは薄くなった「花びら」である。
枯れた「花びら」には二つのことが起きている。ひとつは「薄くなる」こと。もうひとつは「色素が沈着する」こと。二つのできごとが「出会っている」。その出会いを浮かび上がらせるのが「そこ」という指示代名詞である。「そこ」は二つのできごとの「出会い」を明確にする。いや、明確にする、というより、二つのできごとの出会いを演出するのである。二つのできごとはそこで偶然出会うのではなく、中本によって演出され、出会うのである。結びつき、つながるのである。
そういうつながりは、中本が書く前にも存在したかもしれない。存在したから、中本は書くことができる。ただし、そういうつながりは、中本によって明確になったのである。こういう操作を「発見」という。
この操作が、同時に、違った「発見」につながっていく。
いままでつながっていなかったもの(つながっていると意識化されなかったもの)をつなげる。すると、そこに詩があらわれる。つまり、いままで存在しなかった世界(異次元)が出現する。
「非常に微妙な色彩の諧調をなします」は物理現象である。花びらが薄くなるのもの、そこに色素が沈着するのも物理現象である。ところが、ことばは、そういう「物理現象」の世界からはみだして動いていく。
「夢」が入り込んでくる。この「夢」を引き出すための出発点として「そこ」という指示代名詞があった。いわば、それは「異次元」へ飛躍するための助走の出発点である。そして、助走し、加速し、ジャンプする。そのときの踏切台が、「それは忘れられた夢に似ています」の「それ」である。
この「それ」は何か。何を具体的に指している。国語の試験なら「微妙な色彩の諧調」ということになるかもしれない。だが、「微妙な色彩の諧調」と言い切ってしまうと、何かが不足する。その色彩の諧調の奥には、花びらが薄くなるというできごとと、色素が沈着するというできごとがあり、その出会い(むすびつき)がある。
「それ」とそういう「むすびつき」そのものを指している。
その証拠(?)には、その結びつきは、そこからさらに拡大していくからである。
「そこ」ということばで、いままで意識されなかったできごとを明確にし、つなげてしまった結果、そのつながりは、「わたし」と「枯れ花」をより緊密に結びつけ、区別がつかないものにする。
「夢」。
「夢」のなかで「わたし」と「枯れた花」が融合してしまうのだ。
最終連にあられわる「死んだ少女」は、「枯れた花」であり、「わたし」(中本)である。この完全な融合によって、「異次元」は確固としたものになる。つまり、詩になる。
*
指示代名詞から始まる「異次元」、「異次元」を誘い出すための指示代名詞。それはつぎのような詩にも見受けられる。
「水の包み」という作品にひかれた。
莟をつけたまま枯れているフリージア
もう薫らないが
花は枯れた後でさらに美しくなる
(略)
枯れると花びらは薄くなりそこに色素が沈着して
非常に微妙な色彩の諧調をなします
それは忘れられた夢に似ています
「枯れると花びらは薄くなりそこに色素が沈着して」に中本の特徴がある。もっと具体的に書くと、「枯れると花びらは薄くなりそこに色素が沈着して」の行のなかの「そこに」に中本の特徴がある。「枯れると花びらは薄くな」るという事実を提示し、「そこ」という指示代名詞でつなぐ。「そこ」とは薄くなった「花びら」である。
枯れた「花びら」には二つのことが起きている。ひとつは「薄くなる」こと。もうひとつは「色素が沈着する」こと。二つのできごとが「出会っている」。その出会いを浮かび上がらせるのが「そこ」という指示代名詞である。「そこ」は二つのできごとの「出会い」を明確にする。いや、明確にする、というより、二つのできごとの出会いを演出するのである。二つのできごとはそこで偶然出会うのではなく、中本によって演出され、出会うのである。結びつき、つながるのである。
そういうつながりは、中本が書く前にも存在したかもしれない。存在したから、中本は書くことができる。ただし、そういうつながりは、中本によって明確になったのである。こういう操作を「発見」という。
この操作が、同時に、違った「発見」につながっていく。
いままでつながっていなかったもの(つながっていると意識化されなかったもの)をつなげる。すると、そこに詩があらわれる。つまり、いままで存在しなかった世界(異次元)が出現する。
非常に微妙な色彩の諧調をなします
それは忘れられた夢に似ています
「非常に微妙な色彩の諧調をなします」は物理現象である。花びらが薄くなるのもの、そこに色素が沈着するのも物理現象である。ところが、ことばは、そういう「物理現象」の世界からはみだして動いていく。
それは忘れられた夢に似ています
「夢」が入り込んでくる。この「夢」を引き出すための出発点として「そこ」という指示代名詞があった。いわば、それは「異次元」へ飛躍するための助走の出発点である。そして、助走し、加速し、ジャンプする。そのときの踏切台が、「それは忘れられた夢に似ています」の「それ」である。
この「それ」は何か。何を具体的に指している。国語の試験なら「微妙な色彩の諧調」ということになるかもしれない。だが、「微妙な色彩の諧調」と言い切ってしまうと、何かが不足する。その色彩の諧調の奥には、花びらが薄くなるというできごとと、色素が沈着するというできごとがあり、その出会い(むすびつき)がある。
「それ」とそういう「むすびつき」そのものを指している。
その証拠(?)には、その結びつきは、そこからさらに拡大していくからである。
眠るわたしたちから立ち昇る
一つの夢
ただ一つの薫り
解(ほど)かれない贈り物の包みのような
眠るわたしたちを見てください
奇怪な悲しい形
恐れと願いが未知の花を開かせています
雪どけの水が流れると
死んだ少女が見つめてくる
深い瞳の色のない頬
戦(そよ)ぐ繊(ほそ)い髪の毛
けれどすぐに彼女は底知れぬ国へと退(ひ)いていく
「そこ」ということばで、いままで意識されなかったできごとを明確にし、つなげてしまった結果、そのつながりは、「わたし」と「枯れ花」をより緊密に結びつけ、区別がつかないものにする。
「夢」。
「夢」のなかで「わたし」と「枯れた花」が融合してしまうのだ。
最終連にあられわる「死んだ少女」は、「枯れた花」であり、「わたし」(中本)である。この完全な融合によって、「異次元」は確固としたものになる。つまり、詩になる。
*
指示代名詞から始まる「異次元」、「異次元」を誘い出すための指示代名詞。それはつぎのような詩にも見受けられる。
力は海の中心から来て
岩のはざまで旋回し
そのとき一瞬
強靱で深く透明な胴体を見せる (「貝の海」)
貝は
この世でただ一つの意匠をつくっては死に
その眩(くる)めく内容は
限りなく宇宙の穴へと吸い込まれていく (「貝の海」)
だれも知らない一隅で横たわる裸形の
その失われゆく時のために
肉はふいに生きて薫り (「薄暮の色」)
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