詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

倉田良成『神話のための練習曲集』

2008-08-21 00:30:49 | 詩集
倉田良成『神話のための練習曲集』(私家版、2008年07月07日発行)

 「絵巻」という作品の書き出しの1行が非常に美しい。

 金泥の雲が流線を描いて切れかかると、松の木の緑が顕(た)つ。
 
 文の終わりの「顕つ」が強烈である。日本語はこんな風にして使うのか、と、感嘆し、この1行だけで詩集を読んでよかったと思った。
「顕つ」というのは「顕れる」(あらわれる)という意味と通い合うが、単に姿をあらわすというより、何か背後にあるものを引き連れて、いま、ここに、背後にあるものを代表して進み出てきた、という感じがする。
混沌のなかから松が生成してきた、という運動を感じる。
そして、その混沌と「金泥」が不思議な具合に通い合い、まさに「神話」の激しさ、スピードがいきいきと動いている。
残念なのは、このすばらしい1行の運動の激しさを、つづく行が完全に引き継いではいないということである。つづく行からは一気にスピードが落ちるし、ことばの振幅も小さくなる。

突き抜けてそそり立つのは丹に塗られた血のような五重塔である。

 「突き抜けてそそり立つ」は「顕つ」の後では間が抜けて見える。「そそり立つ」ではせいぜいが平らな地面しか踏みしめていない。「丹にぬられた」と「血のような」は重複であり、スピードが落ちるというより、スピードが死んでしまう。
途中に一箇所、「顕つ」に匹敵することば登場する。

雲の透き間にはまだ水の色。ただし鴛●(おし)やかりがねが泳ぎ回って水紋を印す。
              (注・原文の「おし」の「し」は「央」の下に「鳥」)

文末の「印す」が強い。ここにも日本語の手本とすべき姿がある。

*

「ウイスキー」以後の数編の作品の香り、におい、感覚の変化の描写にもおもしろいものを感じた。ただし、そのおもしろさは、シングルモルトの「通信販売カタログ」にあまりにも似ている。文体が似ている。




海に沿う街
倉田 良成
ミッドナイト・プレス

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