詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

秋山基夫「倉田比羽子のほうへ」、郡宏暢「雨」

2009-06-13 09:29:51 | 詩(雑誌・同人誌)
秋山基夫「倉田比羽子のほうへ」、郡宏暢「雨」(「ペーパー」5、2009年06月01日発行)

 秋山基夫「倉田比羽子のほうへ」は、次のようにはじまる。

 前号のこの欄に、カフカのある言葉に関連してごく短い文章を書いたが、少しだけ補足したい。そのカフカの言葉は、倉田比羽子の詩集『世界の優しい無関心』(思潮社二〇〇五年刊)の<世界の無関心>の中に、「君と世界との戦いでは、世界に支援せよ」の訳で引用されていた。これは『カフカ全集Ⅳ』(新潮社昭和三十四年刊)所収の「田舎の婚礼準備」に付されたアフォリズムの五二(二十三ページ)には、「君と世の中との戦いには、世の中の方に味方せよ」の訳で出ている。加藤典洋の評論に倉田の使った訳と同じものをそのまま題名にしたものがあり、さらにそれは評論集(筑摩書房一九八八年刊)の題名にもなっている。倉田と加藤が誰の訳を用いたのかは知らない。二人の関心の道筋は違っている。

 このあと、秋山の文章は、「加藤の評論は」(第2段落)、「加藤の文章が書かれて」(第3段落)、「マスカルチャーということばは」(第4段落)とつづいていく。倉田が登場してこない。
 そして、なかほどをすぎてから、ようやく倉田の名前が再登場する。しかし、

 ようやく倉田のカフカの引用につてい、いくらかのことを書くことができるまできた。といっても、その前に、カミュの「異邦人」について書かねばならない。

 いくらたっても「倉田」のことが書かれない。びっくりしてしまう。秋山はあくまで「倉田のほうへ」向かおうとしてことばを動かしているのであって、倉田について書いているわけではない。倉田の作品を意識するとき、秋山の頭の中にひろがった世界を書いているのである。「倉田について」ではなく「倉田のほうへ」というのは、ある意味で、とても「正確」なタイトルなのだ。
 なぜ、こんなことを書くかというと、秋山にとっては「正確」ということがとても大切なのだ。「正確」が秋山の「思想」なのである。「正確」であろうとして、道筋をていねいにてねいねいにたどる。読んだ本の出版社、刊行年、引用のページ数もきちんと報告している。ショートカットなどしない。そのために、どんどん対象から遠ざかってゆく。ある意味ではカフカ的だし、ベケット的だとも言える。「正確」にこだわり、「目的」にたどりつかない(たどりつけない、ではない)というのが、カフカ、ベケットだと仮定しての話だが……。
 ただし、秋山は、カフカでもないし、ベケットでもないので、最後に、唐突に倉田にたどりついてしまう。突然、ショートカットがおこなわれる。

 倉田の詩集については、その文体について、注意すべきだと書いたことがある。詩の文体は形式を媒介する、ということは「詩論ノート(1)」で書いたが、倉田の文体は、仮に名づければ「論理的散文」という形式を選択している。注意深く粘り強く論理的思考をつづけ、つまり論理的に考えることをつづけ、それがひとつの区切りに至るまでをひとつのセンテンスとし、それを一行とする。(略)一般に現在書かれている詩の一行は倉田の一行の何分の一かだから、こういう行分けの詩は、常識に従えば異様だ。独創とは、こういうのを言う。

 あ、びっくり。
 「倉田の詩の一行は長い。独創である。」要約すれば、それだけになることを書くために、長い長い「過程」があったとは。秋山に言わせれば、それは「要約」できない。「要約」からはみだしていくものが「思想」なのだから、ということになるのだと思うが(私も、その考え方には賛成するけれども)、そうであるなら、最後まで「結論」を「要約」すべきではないだろう。「結論」は「倉田」ではなく、別のものとして出してこなければ、せっかく、カフカ、加藤、カミュ、ほかにも吉本隆明、大塚英志を歩き回ってきたことが、台無しになってしまう。
 どこかで、何かが、ふっと途切れてしまう。それがなんだか残念である。
 びっくりして、がっかりしてしまう。
 倉田の詩集についての「要約が最後に書かれていなかったら、私は、なんだ、この文章は、と怒りだしたかもしれない。けれど、そんなふうに私を(あるいは誰かを)怒らせてしまうことがあるとするなら、それはほんとうに文章になっている(文学になっている)のだと思う。「がっかり」の中には、文学はない。
 文学に「感動」は必要ではない。ことばに触れて、いままで動かなかったことばが動きはじめる。その運動さえあればいい。
 秋山さん、もっと真剣に怒らせてください。



 郡宏暢「雨」は文体が簡潔である。秋山とは違って、すべての行が「ショートカット」で成り立っている。その火花が、意識化されていなかった「世界」のどこかを照らしだす。

私たちはいつも
郊外を走るバスのようにどこかにつながってしまう会話
を恐れていた
雨が降っていた
会話ではなく--あなたの呼気を飲み込み あるいは
互いの境界線を一体形成したキューピー人形が陳列された街に
私たちは出かけてゆく

 「あなたの呼気を飲み込み」の「飲み込み」がとてもいい。「肉体」感覚がいい。



オカルト
秋山 基夫
思潮社

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『田村隆一全詩集』を読む(114 )

2009-06-13 02:14:45 | 田村隆一
 

 「合唱」。タイトルは「合唱」なのだが、書いてあることは「眼」についてである。

眼は泥の中にある
眼は壁の中にある
眼は石の中にある
眼は死んだ経験の中にある しかし
われわれの中にはない!

 この「眼」とは何か。「肉眼」か「眼」。その区別もつかない。2連目を読むと、さらにわからなくなる。

その眼は沙漠なのかでしか生きてこなかつた
その眼は時間よりも空間だけした瞶めてこなかつた
その眼は近代生活の倦怠と現代の内乱のうちに閉ざされて
深夜都会の窓とドアとベッドのかげで
月光と死と破滅の意味でみたされる眼

 「眼」は何をみつめるべきなのか。何を目撃しなければならないのか。「その眼は時間よりも空間だけした瞶めてこなかつた」を中心に考えれば、「眼」は「空間」よりも「時間」をみつめてこなければならない。けれど、それはみつめてこなかった。
 そして、それは「近代生活の倦怠と現代の内乱のうちに閉ざされて」いる。1連目と関連づけると、「泥」「壁」「石」が「近代生活の倦怠と現代の内乱」になる。「中にある」と「閉ざされている」は同じ意味になるだろう。同じ意味を言い換えたものだろう。
 それは求められている「眼」なのか。
 求められている「眼」のようには考えられない。
 しかし、その「眼」について、田村は「われわれの中にはない!」と書いている。その「眼」が求められているものではない「眼」、否定的な「眼」であるなら、「われわれの中にない」と言う必要はない。「われわれの中にある眼」とはいったいどんな「眼」なのか。何をみつめているのか。
 3連目。

それは その瞳は思いきり開かれて驚愕と戦慄と反問にみちみちている
それは俺の父の眼である
それは血と硝煙と叫喚のなかで存在の形式と
  有機的壊滅を目撃した男の眼である
それは或る不幸な青春が彼の属している国家の
  崩壊を見なければならなかつた眼である
それは彼の全経験の詩を確認した眼である
それは「私」の眼であつてしかも「我々」の眼である

 括弧でくくられた「私」と「我々」。ここに田村が言いたい何かがある。それは「俺の父」につながっている。「俺の父」と「私」と「我々」。それは「われわれ」とは無関係なものである。「我々」と「われわれ」は別なのだ。
 そうなのだ。田村は、「俺の父」につながる眼を拒絶しているのだ。「われわれの中にはない!」それは「われわれ」へとつながったこようとする。「われわれ」の誰かも、そういうものを求めるかもしれない。けれども、田村は、それを拒絶する。そういう人間を「我々」と括弧でくくることで明確にし、その眼を排除しようとする。

眼は火と医師と骨の中にある
眼は死んだ経験の中にある しかし
われわれの中にはない!

 これは、「戦後」からの「独立宣言」というべきものかもしれない。「俺の父」に代表される男たちの「眼」がみつめてきた何か。それはそれで貴重なものかもしれない。けれど、田村は、それを引き継ぐのではなく、田村自身の「肉眼」で世界と向き合おう、向き合いたいと宣言している。「俺の父の眼」ではなく、それとは断絶した「肉眼」で世界をみつめたい、そういう「われわれ」を目指しているのだ。
 「戦後からの独立宣言」はまた「肉眼宣言」でもある。

 タイトルが「合唱」となっているのは、その思想を田村個人のもではなく、「われわれ」の声にしたい、という思いがあるからかもしれない。



詩人からの伝言
田村隆一/長薗安浩
メディアファクトリー

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