監督・脚本 ジャ・ジャンクー
「長江哀歌」の監督ジャ・ジャンクーの撮ったドキュメンタリー。国営工場が壊され、商業施設に変わる。その工場で働いていた人たちが、思い出を語る。
映像がともかく美しい。冒頭、壊される工場の、壊れかけた様子が映し出される。割れたガラス。雨が降っている。雨が壁を伝い、割れたガラスの上に落ちる。ばしゃばしゃと叩くように。ガラスは汚れている。その汚れが美しい。ガラスの汚れのなかに「時間」がある。人間の「暮らし」がある。破壊の瞬間、「暮らし」が噴出してくる。それが感じられて、あ、美しいと思うのだ。
人間を排除した絶対美、非情の美というものがあるけれど、私は、そういう美とは別に、ジャ・ジャンクーがとらえる人間の「暮らし」の美が好きだ。それは「生きている時間」を大切にする、おしむときに、人間といっしょに存在するものを大切にする、おしむということと重なる。
最初に思い出を語る男。彼は、工場で働き始めたとき知った先輩のことを語る。先輩は道具(工具)のヘラを短くなるまでつかった。男が、ヘラが短くなったので捨てようとした。すると先輩は、「ものにはたくさんの人がかかわっている。ものを捨てることは、そのひとたちをないがしろにすることだ」というようなことをいう。(正確ではない。私には、そんな風に感じられた。)もののなかには「ひと」が暮らしている。ものを大切にすることは「暮らし」を大切にすることだ。
「もったいない」ということばも思い出した。中国流の「もったいない」というこころが生きているのかもしれない。
最後の女の話もおもしろい。甘やかされて育った。あるとき金がなくなり、無心のために、工場で働いている母を訪ねた。母はすぐにはみつからない。みんな作業服を着ていて見分けがつかない。やっとみつけだす。油と汗と埃で汚れている。その姿を見て涙が出た。絶対金持ちになると誓う。女は、自分の暮らしの背後に母の暮らしがあることをその時初めて知った。「もの」の背後に何人もの「暮らし」があるのと同じように、「ひと」の背後にも何人もの「暮らし」がある。そのことを知って、「暮らし」に目覚める。
女の決意は、「金持ちになって、高級マンションを買う」というものだが、それがこんなふうに「暮らし」そのものの「動き」としてとらえられると、それは俗物的なニュアンスが消え、とてもいとおしいものに感じられる。
ジャ・ジャンクーは、生きているもの、人間と一緒にいきてきたもの、その「時間」をとても大切にしている。すべての時間を、失ってはならないものとして、大切にしている。その、大切にするこころが、映像を輝かせている。
「長江哀歌」の監督ジャ・ジャンクーの撮ったドキュメンタリー。国営工場が壊され、商業施設に変わる。その工場で働いていた人たちが、思い出を語る。
映像がともかく美しい。冒頭、壊される工場の、壊れかけた様子が映し出される。割れたガラス。雨が降っている。雨が壁を伝い、割れたガラスの上に落ちる。ばしゃばしゃと叩くように。ガラスは汚れている。その汚れが美しい。ガラスの汚れのなかに「時間」がある。人間の「暮らし」がある。破壊の瞬間、「暮らし」が噴出してくる。それが感じられて、あ、美しいと思うのだ。
人間を排除した絶対美、非情の美というものがあるけれど、私は、そういう美とは別に、ジャ・ジャンクーがとらえる人間の「暮らし」の美が好きだ。それは「生きている時間」を大切にする、おしむときに、人間といっしょに存在するものを大切にする、おしむということと重なる。
最初に思い出を語る男。彼は、工場で働き始めたとき知った先輩のことを語る。先輩は道具(工具)のヘラを短くなるまでつかった。男が、ヘラが短くなったので捨てようとした。すると先輩は、「ものにはたくさんの人がかかわっている。ものを捨てることは、そのひとたちをないがしろにすることだ」というようなことをいう。(正確ではない。私には、そんな風に感じられた。)もののなかには「ひと」が暮らしている。ものを大切にすることは「暮らし」を大切にすることだ。
「もったいない」ということばも思い出した。中国流の「もったいない」というこころが生きているのかもしれない。
最後の女の話もおもしろい。甘やかされて育った。あるとき金がなくなり、無心のために、工場で働いている母を訪ねた。母はすぐにはみつからない。みんな作業服を着ていて見分けがつかない。やっとみつけだす。油と汗と埃で汚れている。その姿を見て涙が出た。絶対金持ちになると誓う。女は、自分の暮らしの背後に母の暮らしがあることをその時初めて知った。「もの」の背後に何人もの「暮らし」があるのと同じように、「ひと」の背後にも何人もの「暮らし」がある。そのことを知って、「暮らし」に目覚める。
女の決意は、「金持ちになって、高級マンションを買う」というものだが、それがこんなふうに「暮らし」そのものの「動き」としてとらえられると、それは俗物的なニュアンスが消え、とてもいとおしいものに感じられる。
ジャ・ジャンクーは、生きているもの、人間と一緒にいきてきたもの、その「時間」をとても大切にしている。すべての時間を、失ってはならないものとして、大切にしている。その、大切にするこころが、映像を輝かせている。
長江哀歌 (ちょうこうエレジー) [DVD]バンダイビジュアルこのアイテムの詳細を見る |