詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西岡寿美子「花山で」

2009-06-07 14:38:50 | 詩(雑誌・同人誌)
西岡寿美子「花山で」(「二人」279 、2009年06月05日発行)

 西岡寿美子「花山で」は花見の記憶と今の花見を重ね合わせている。文体が少し変わっている。読みながら、「現実」を書いているという印象がしない。そこから「現実」というものを私は感じることができない。

花は水源山の南平(みなみひら)だが
生業も区々だし
その年最良の見頃に
全員の都合を合わせるのは難しかった
多くが旧街(ふるまち)でるあ南から五百
新開地である来たからわたしが一キロ
双方から花山へ落ち合うのを習いとした

どんなに周到に設定しても
花は一、二分咲きだったり
髪飾りや衣服の彩りになる落花だったり
陣取った途端に雨に降り出され
敷いたゴザを引き被って走り戻るなど
つまり見頃の花時に行き合わせたことは一度もない

 花見がいつもうまくいかなかったということなのだが、その文体が不思議に「物語」じみている。いまとは別世界という感じがする。書かれている「時間」に飲み込まれずに、「いま」「ここ」に踏みとどまって、遠い「時間」を描写している感じがする。「現実」を感じられないというのは、そういう意味である。
 「生業」「区々」「習いとした」ということばのせいだろうか。「髪飾りや衣服の彩りになる落花だったり」というような、それだけで一篇の詩のような行のためだろうか。
 詩のつづき。

三組の夫婦がいて
二組半までが失せてしまった
みながみな何かしらの創り手で
その妻で
仲間で
上下十歳ほどを同世代と見なせば
どの人も十全の生だったか
と考えればいずれも非業の感に囚われてならぬ
やがてのわが姿もそれであろう

 この3連目の、「三組の夫婦がいて/二組半までが失せてしまった」の「二組半」に私は驚いてしまった。夫婦を一組二組と数えるのはわかるが「半」という見方は私にはない。西岡は、どこか、非常に「冷徹」な感じで世の中をみている。単位、尺度が、独特なのだ。
 私は最初、この詩の文体を「物語」と感じたが、「物語」というより、たとえば夫婦のうちのひとりが死んでしまった場合を「半組」と数えるような、独特の尺度で世界をみているので、それが「いま」「ここ」から、分離したもの「現実」ではないもの、「物語」に見えてしまうのだ。

 西岡は、自己と世界の「分離」を不思議な冷静さで受け止めることができる詩人なのかもしれない。

揃ってお出ましなのですね?
酒肴を広げようとするわたしを見てられるのですね?
道理で頬が五つの視線に刺されて痛い

杯を乾して頂戴
手作りの馳走もつまんで頂戴
とまでは さすがに無理なお勧めですよね
あなたも あなたも あなたも あなたも
そして新入りのあなたも

 「二組半」の夫婦。つまり、5人。「五つの視線」。その冷静な数えかた。そして、酒や馳走を勧めながら「さすがに無理なお勧めですよね」という冷徹な現実感覚。ふつうは、無理とわかっていても、その無理の中へ「ことば」の力を借りて入っていく。ところが、西岡は「ことば」の力を借りてそういう世界へ入っていくのではなく、そういう世界から自分を切り離すのである。
 西岡にとって「ことば」は、いまここにないものを見るための手段というよりも、いまここにないものを「見てしまったということ」から引き返すための方法なのである。「物語」をつくり、そのなかに入っていく、そのなかで感情が満足するまで動き回るのをあじわう--というのではなく、「物語」をつくることで、自分の感情が何かに「汚染(?)」されるのを回避するかのようである。
 「あなたも あなたも あなたも あなたも/そして新入りのあなたも」という書き方には、4人は先に亡くなり、1人がその後に(たぶん昨年?)亡くなったという「時間」の経過が含まれている。亡くなった仲間さえ「時間」の区別ではっきり識別している。「亡くなった仲間」と「ひとつづき」の中には含めることをしない何か非常に冷静な認識方法というものが、西岡にはある。
 そして、西岡は、そういう自己の認識方法を意識した上で、自己を演じる。ふるまう--ということばが、いいのかもしれないが……。「物語」へ向けて、自己を「物語化」してみせる。「物語化」したまま、それをことばにする。

触れます
感じています

そこで
声なし手振りなし
人には酔余の宙に物言うひいやりとした
奇異なわたしの花狂いの所作と見えましょうが
ただこの日この時の一期
生者死者交じり没(い)入り没入って
花山の陽炎と溶け歓を尽くすといたしましょう

 現実を「物語」にして、そのあと、その「物語」から「わたし」を「物語」にする。ふたつの物語が触れ合って、その触れ合いのなかに、詩を動かす。ことばはふたつの物語を行き交うために、なんだか不思議なものになる。




西岡寿美子詩集 (日本現代詩文庫)
西岡 寿美子
土曜美術社

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『田村隆一全詩集』を読む(108 )

2009-06-07 01:05:45 | 田村隆一


 「アタマ島」という短い作品がある。

眠れない夜であつた 夜と言ふ言葉はボクの側の人々がいろいろな意味で語つてゐた 「小さな夜の場合」と「夜の人間」と言ふやうに

「市民的女神」 窓を抜ける外側は市民の輿論や 動物の生活などが起りはじめてゐた

 「アタマ」とは「頭」だろう。人間は「頭」で言葉をつかう。ひとつのことばをいろいろにつかう。その具体例として、田村は「夜」をとりあげ、「小さな夜の場合」「夜の人間」と書いている。どちらも「日常的なことば」とは言えない。ふつう「小さな夜」というような言い方はしない。「夜の人間」は「夜の仕事をする人間」「夜型の人間」というふうにつかうかもしれないが、なんとなく違和感が残る。
 それが田村の「違和感」かどうかはよくわからない。判断する根拠はないのだが、私は、田村は、「頭」で動かしていることばに対して違和感を感じていたのではないか、と思う。
 一方、それとは反対に「市民的女神」とのうような不思議なことばに田村は親しみを感じていたように思える。「市民的女神」の方が「夜の人間」よりも造語的な印象がつよいが、そのむりやりつくりだしたようなことばに親密感を感じていたのではないだろうか。ちょっとむりをした「小さな夜の場合」「夜の人間」ではなく、もっとむりにむりを重ねた「市民的女神」の方に。
 その実践として、それまでの作品があるとも言える。
 そして、そのむりにむりをかさねた、いわば「わざと」が極限にまで達したようなことばの運動に、田村は「市民の輿論」「動物の生活」というようなものを感じている。生々しい何かを感じている。
 初期詩篇は、モダニズムといえばいいのかどうかわからないが、ことばの運動がとても奇妙である。日常的なことばの動きとはまったく違う。しかし、その動きのなかに、田村は「頭」を超える何かを感じていたのだと思う。ことばを「頭」で動かすのではなく、「頭」から遠いもので動かす--その動かす力をどこかで感じ、そうしたことばの方向へ行こうとしていたように感じられる。

 「頭」(アタマ)ということばは、「アタマ島」(1940年6月13日)のあとの詩篇にも何度か登場する。
 「不思議な一夜を過ぎて」には、

「いろいろなアタマがあつた 海鳴りを耳にして島民たちも住んだ それからユリの花が咲いたりした」

先祖がこの道を歩いたやうに 僕も一通りの生活をはじめてゐた

わが先祖よ
あなたの感傷を僕たちは知つてゐる

 「アタマ」を「頭」と仮定してのことだが、それは「知る」ということと関係しているかもしれない。「頭」で知っていること。それをことばにするのではなく、「頭」のしらないことばを動かす。そのとき、詩が生まれる。--田村は、どこかでそんなふうに感じていたのかもしれない。
 「頭」を否定して動くことば--それが、詩。
 モダニズムふうの、風変わりなことばの動き--それは「頭」を否定したことばたちなのだ。

 「海霧のある村里」の冒頭。

坂をのぼり、花のある山波の麓へ曲つた
オルゴオルが俺の耳に響き、ふとこの村里の意識に触れた
「ナミダの意識か」 ひととき、俺の郷愁が海鳴りのやうであつた
村雨が俺のアタマを流れ、花花をたたいた
            (「たたいた」の2文字目の「た」は原文は、踊り文字)

 「村里の意識」とは「感傷」のことである。だから、それは「ナミダ」「郷愁」ということばで繰り返される。そういうものが「俺のアタマ」を叩く。攻撃をしかけてくる。それに対して田村は戦いはじめる。
 これからあとが、とてもおもしろい。

坂をのぼり、花のある山波の麓へ曲つた
オルゴオルが俺の耳に響き、ふとこの村里の意識に触れた
「ナミダの意識か」 ひととき、俺の郷愁が海鳴りのやうであつた
村雨が俺のアタマを流れ、花花をたたいた
形から遁れ、その時、むかしの鳥を見た!
俺の手は震へ、路傍の石を拾ふ
「形から遁れ、形へ帰るんだ!」
冷い石は父の体臭のごとく、俺の手のヒラに動いてゐた
ああ、その石の中に、俺は生きてゐるメダマを見た

 「頭」と戦うとき、「肉・体」が剥き出しになる。「父の体臭」。そして、突然、「肉眼」が「肉眼」ということばとは違うもっと生々しいことばで出てくる。「生きてゐるメダマ」。
 「頭」に押し寄せてくる感傷・涙・郷愁。どう戦っていいかわからないが、とりあえず「石」を拾う。そうすると、それは動いた。石が動いた。そこには「生きてゐるメダマ」があった。「生きてゐるメダマ」が「頭」と戦う武器である。
 このとき、「生きてゐるメダマ」は、その後に田村が書く「肉眼」にほかならない。

 最後の1行は象徴的である。

その夜、俺は海霧のある村里に眠り、いつの間にか父は海を渡り、濡れた手のヒラに形のメダマを握り、石の中に入れてゐた

 「石の中にメダマを入れる」。それは「石」のなかに「肉眼」で見たものを入れるということである。「肉眼」で見たものを「石」の中に入れて、それを武器にする。この「石」を「ことば」に置き換えると、そのとき「石」は「詩」になる。



5分前 (1982年)
田村 隆一
中央公論社

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